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有能な弁護士と、ドジな下っ端法務助士。裁判がうまくゆかず悲嘆と苛立ちに暮れた二人は、気晴らしに鮨屋で賭けをする(ネタバレなし) 亜双義一真 / 大逆転裁判 | 名前変換 | 9min | 初出20160517

「かんぱち。」
「まぐろ。」
 大将の生きのよい返事とともに、二人の注文は空を泳いで消えた。亜双義は湯呑みの上の方を持ち、薄い緑茶を仰ぐ。先程から日本酒の入っている御猪口の中身が減っておらず、男はこうして茶ばかり飲んでいる。なまえもあわせて茶を飲む。彼女もまた、酒に弱い体質であった。
「わたし、写真ってきらい。」
 なまえは、一昨日買ったばかりの、花の刺繍がされているブラウスの裾で涙を拭って言った。「へたな真実より余程信頼性があるんだもの。」
「まだ気にしているのか。」亜双義が茶を飲み下して言った。
「気にするわよ。」
「酒が足りないんじゃないのか。」
 笑って亜双義は徳利を傾けたが、なまえは嫌がって首を振った。「これ以上呑んだら、吐いちゃう。」
 野太い掛け声とともに、大将が握った寿司を出す。黒く焼かれた上品な皿の上に、頼りない白熱灯の光をきらきらと跳ね返す魚の身は見るからに食欲をそそった。まぐろだ、まぐろだ。嬉々としてなまえは醤油皿に乗せていた箸をとるが、いち早く亜双義がまぐろに箸を伸ばす。
「ああ! わたしのまぐろ!」
「もう一度頼んだらどうだ。」寿司を食いながら、器用にも亜双義は鼻で笑う。
「その手には乗りませんよ。そうやって数を稼ごうとしたって無駄なんだからね。」
「はいはい。」
 そうして、まぐろは、意地悪く男の口の中に消えてしまう。なまえは溜息ひとつ吐き、かんぱちひとつを口に放り込んで、悩ましげに微笑んだ。存外、美味かったようである。
「それにしてもあの証拠は、日本警察の恥だな。」亜双義は昼間のことを思い出して言った。
「あんなもの、信用してどうする。真犯人のでっち上げに決まっているだろう……。」
 手拭きで指先の脂を拭う大将が、ちらりと二人に目配せをする。まるで話を聞いていないような素振りだが、きっと完璧に耳を傾けているのだろう。目の前で繰り広げられる探偵小説じみた話に、その目は夢中になって輝いている。
「それを、正当な理由で証明できたらねえ。」なまえは鼻をすすって言った。
「ああ、本当に、そうだ。」
「だから、写真なんてきらいよ。」
 二人してぐっと茶を飲む。がたん、と湯のみを置くと
「いくら。」
「えんがわ。」
 同時に声を発した。大将は面食らったように慌ててから元気の返事をして、少しのあいだ裏の方へ下がった。チッとなまえは悪態をつく。女子が舌打ちをするな、と亜双義は諌めた。
「いくらはあげないよ、さすがに。」
「いくらは、大人の口には合わないからな。」
 亜双義の余裕ぶった物言いになまえは舌を出してベエッと言った。せせら笑い、亜双義は、奥の部屋に向かって「あがり、二丁。」と声を張ると、奥から焦りを隠そうと必死なくぐもった返事が聞こえた。

 亜双義は、弁護士だった。事務所きっての有能さで若くして数々の刑事事件に取り組んでおり、その評価は所長や上司のお墨付きだった。一方なまえは下っ端法務助士で、おてんばが過ぎておっちょこちょい、ドジ、失敗の数は計り知れない。有能な彼と冴えない彼女が組むのは、事務所内の力の均衡を考えても、また彼女の教育を考えても、当然のことといえる。
 しかし、教育の成果はあってないようなものだった。彼女は相変わらず先輩に敬語を使えないし、ドジをする、失言もする、関わった裁判は窮地に追いやられる。しかし、なぜかいつも、誰よりも早く、真実を見据える目を持っているので、亜双義は一目置いているのである。
 そんな二人の、何回めか判らぬ窮地の裁判は、結局、窮地に居たまま幕を閉じた。直後、最高裁への再審理を申し出て、裁判所を出た後二人はしばらく歩いた。散歩したくて歩いていたのではない。途方に暮れ、行く宛も気力もないので、ただ目の前にある道を気分次第に辿っていただけである。外はおそろしいほどに晴れていた。雲ひとつない。それが余計に現実味があって、なまえも亜双義も呆然とした。
 しばらく歩いていると、気付いたら事務所最寄りの商店街へと辿り着いていた。どうだ、なまえ、寿司でも。亜双義は隣の彼女に問いかける。なまえは沈んだ声で、いいですよ、と取ってつけたような敬語で返事をした。死んだ魚のような目。まさに、そんな目だった。
「賭けでもするか。」亜双義が言う。「賭け?」なまえはきょとんとする。
「おれとなまえは同時に寿司を頼む。五回頼むうちに、一度でも注文するネタが被ったら、奢ってやる。」
 なまえは、ブラウスで目の縁を拭って鼻を啜って唾を飲み込んで、「いいだろう。」と偉そうに言った。亜双義は気にする素振りもせず、のれんを手で避け木の戸を引いた。

 いくらとえんがわが二人の目の前に差し出された。宝石のように赤々と輝くいくらをなまえはさっと口に入れて咀嚼する。亜双義は皿に醤油を足して、えんがわに手を伸ばそうかどうか悩んでいた。いくらを頬張る彼女の瞳が一瞬涙で揺れたのを亜双義は見逃さなかった。余程昼間の裁判が悔しかったのだろう、だって、目と鼻の先に犯人が居て、それを証拠不十分でみすみす逃してしまったのだから。
 ついで、新しい湯のみに入ったあがりが二人の間にゴトンと置かれた。なまえは湯のみに目もくれず、ポケットからハンカチを出して、亜双義に背を向け顔を拭いた。なんだ、ハンカチ、持っているんじゃないか。亜双義は自身の鞄に伸びかけた左手を、ゆっくりと引っ込めた。そうして、えんがわを一口で平らげた。
「……今回は、おれの力不足で、すまなかった。」
 亜双義は嚥下してから、なまえを気遣うように声を掛けた。考えを廻らせよく思い返してみると、やはりおれのせいなのだ、おれのせいで彼女は泣く羽目になったのだ、という考えに至ったので、真面目な彼は謝罪せずは居られなかったのである。謝罪を受けたなまえは、ハンカチで鼻を覆いながら、亜双義をキッと睨んだ。
「謝らないでください。」
「そういうわけにもいかない、今回の全責任はおれにあるのだ。」
「いいです、そういうの。」
「勿論、おれも全力で取り組んだつもりだ、ただ、まだまだ力が及ばないことを、おれは改めて痛感、」
「そんなの、たくさん!」
 なまえは足を踏み鳴らした。ガタガタと机と陶器とが揺れる。亜双義もこれにはかなり驚いた。そのため、大将が気まずそうに再度奥へ引っ込んだことや、奥でひそひそと様子を伺われていることなどは、全く気がついていないようだった。
「亜双義さん、あなた、毎日家に帰ってから正座して反省してるんでしょ。知ってるんだからね。精進が足りないとか、甘かったとか、立派すぎるのよ。」
 唇をかみ、顔を歪ませ、なまえはまた目を潤ませて言った。「わたし、それが報われなくてこんなに悲しいのに、それを無かったことに、されたら、もう。」
 嗚咽をこらえて、彼女は泣きじゃくる。亜双義は慣れない手つきで彼女の肩をさすろうとした。女性をこういう風に泣かせてしまったことが、初めてだったのである。しかし、その手はパシリと、気の強い女の子により弾かれてしまう。
「触らないで変態。」
「へ……、へん、」
「まだ未婚なんだから。」
 意味のわからない理由で、亜双義は立つ瀬なく心に傷を負った。既婚なら良いのか。おそらくそういう問題でなく、好きな人に取っておく、という意味だったのであろうが、亜双義はとにかく手を引っ込めて腿の上で拳を握った。今日も六畳の部屋で反省会のようである。
「大将! たいしょうう!」
 なまえは鼻声で奥に向かって叫ぶ。躊躇いがちの返事とともに、奥の暖簾を上げ大将が顔を出した。「あじ二つ、それで〆! お勘定はこの人払います。」指差された亜双義は気休めに飲んでいた茶を吹き出した。
「ゲホッ、ゴホ、ゴフッ……。」
「ふん、ぐすん、苦しそうね。」
「ゴホッ……貴様……。」
「まあ、いいじゃない。ひっく……どうせ、次、あじを頼む、つもりだったんでしょ?」
 泣いた後遺症を抱えながらも、なまえは飄々と言い放った。息を落ち着かせ、手拭きで申し訳程度に机を拭きながら、亜双義は、何故それを、とか細い声で聞いた。次頼むことがあればあじを頼もうとしたのは、本当なのである。
「えんがわの次は、大体あじだからね、亜双義さんって。」
 鼻をすすって生意気に威張るなまえに亜双義はなんとも言えず、まだ咳も止まらず、ただただ机を縦横無尽に拭い、頷くばかりだった。