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初出20160125

融雪


6

 お礼する、と言いつつも、次チェレンから連絡が入ったのは二ヶ月もあとのことで、季節はすっかり初夏の入り、すこしじめじめして、雨が降ると肌寒いような、そんな頃になってしまっていた。
 彼はセイガイハへ行こうと言ってきた。ジムが新設されたから見に行こう、ということだった。
 このやり取りをして、わたしは少なからずがっかりしてしまった。彼の別れ際のあの照れた顔は、わたしの見間違いだったのだろうか。いまさらジムを見に行きたいと思うほど、わたしはトレーナーではないのだ。そんなこと、頭のいいチェレンだったらすぐわかるようなものだと思うのに。
 もしかしたら、チェレンは女の子相手には全部あの表情をしてしまうような男の子なのかもしれない。
 そう思うと、不思議なくらいしっくりきた。
「おまたせ」
 カゴメまで来てくれたチェレンに向かってわたしは挨拶をする。チェレンが手をゆっくりあげるのと同時に、後ろからひょっこり顔を出してきた古い友人がいた。
「やっほーなまえひさしぶり」
 トウヤだった。わたしはすこし唖然としたが、すぐに何でもないことのように「ひさしぶり」と返した。チェレンはさあ行こうと言ってケンホロウをボールから出す。あわせてトウヤもボールを構えると、見たことのない鳥ポケモンを出す。ああ、これが今回のお出かけのフルメンツなのか。わたしは知らされていなかったその情報を、感情は無視してなんとか飲み込む。ボールをバッグから出そうとすると、
「なまえ、なんなら一緒に乗る?」
 と、トウヤが手を差し出してきた。「あー……」わたしは暫し固まり、断ろうと思って口を開くと、「久々だから、話したいこともあるしさ」とトウヤは無邪気に言った。その笑顔に、小さい頃一緒に遊んでいたことをすこし思い出してしまって、わたしはまあいいかと思ってトウヤの手を取ることにした。

 トウヤに引っ張り上げられ、わたしは彼の後ろに乗った。このポケモンはピジョットと言うらしい。なんでも、彼は半年ほどジョウトやカントーへ行きバッジを集めていて、そのときその地方で出会ったのだという。トウヤは、今日はめでたい日なんだ、と言う。なぜかと尋ねると、賞金累計額がキリのいい数字に達した、ということだった。新たに旅立つトレーナーは、ポケモンセンターでトレーナーカード登録ついでにガイドブックをもらうのだけど、そこには「払った賞金、もらった賞金を手帳につけましょう」と結構大きな文字で書いてあるので、トウヤはそれをきちんと実行していたのだろう。こっそり累計額を耳打ちしてもらったのだけど、わたしは自分の常識が覆された。桁が、自らの生活範囲内より、一桁多かったのである。
「まあ、お金はお金で、おれは勝負がなにより楽しいから、それだけで満足なんだけどね」
 顔は見えなかったけど、たぶんトウヤは笑顔でそう言っているのだと思われた。
 今は、強いトレーナー同士で行われる大会のツアーを回っているらしい。これほどに強いトウヤでも、その中のランキングでは全然だめだと言っていたので、世界は広いとつくづく感じる。
「なまえは今なにしてんの?」
「えっと、本屋で働きながら絵を描いてる」
「えーそうなんだ。今度見せてよ」
 チェレンは、この会話が聞こえているのだか聞こえていないのだか、静かに前を飛んでいた。

 ものの三十分程度で目的地へたどり着いた。はじめてのセイガイハは、日差しがあったかくて、南国のようで、カゴメやセッカとは大違いだった。それなりに北のほうにある街なのに、地形のせいなのか、この街はいつでも暖かいと聞く。着くなり、ごうごうという浪の音とはしゃぐ水着姿の人びとの姿、夏の匂い、じりじりと肌を焼くやさしくも熱を持った日差し、などが全身で感じられた。本当にここにジムができたのかな、と思うくらい、ここは立派すぎるリゾート地だ。
「あっついね」
 トウヤが手で無意味に扇ぎながら言うと、チェレンが適当な相槌を打つ。わたしはそのチェレンの反応にあわせて遠慮がちに頷いた。男の子同士の距離感って、女子にはすこし掴みづらいと思う。チェレンは汗をぬぐってシャツの腕をまくった。
「まだオープンしていないらしいけど、たぶんあの看板がジムだね」
 チェレンが指をさすほうを見て、わたしたちは感嘆した。イッシュに今あるジムは軒並みすこし古い印象だが、このジムは出来上がったばかりできれいだったのだ。
「いろんな地方のジムを見てきたけど、ここまできれいなところはなかったなあ。まあ、土地柄もあるんだろうけど」
「そうだね。イッシュはいままで古い建物をジムに変えてきたところがあったけど、他の地方からの挑戦者にも来てもらいたいっていうところもあって、新しく作ったり刷新したり最近いろいろやってるみたいだよ」
「ふうん。でも、やっぱり一つの地方に八個までなのは変わらないんだ?」
「そう。新しく作ったら、どこかがお休みになるね」
「んーつまんねーの! もっといっぱいあっていいのにな」
 二人の会話を、そうなんだ……と思いながら聞いていた。気がつくともうジムの目の前で、日差しとさざ波を照り返す汚れひとつない硝子の輝きをみて、わたしはくらくらしてしまう。
「ジムリーダーってやっぱり人気なの?」トウヤはジムの周りを駆け足で見て回った後、チェレンに聞いた。
「そこそこ人気、だね。離職率も高いけど」チェレンは捲ったシャツの腕の部分で汗をふいた。「なにかと兼業している人も多いしね。今は一つのジムで何人かサブリーダーを取るところが多いし、ジムトレーナーから入る手もあるし、そんなに狭き門ではないね」
「チェレンはどこか狙ってるとこがあるのか? ここがいいとか」
「新設予定のヒオウギがいいな。まあ、来月の協会の試験にまず受からないと、だけどね」
「えっもう来月なんだ」
 チェレンが試験前の忙しい時期だということを知らず、思わずわたしは今まで守っていた沈黙を破り会話に飛び込んでしまった。チェレンは特に気にする様子もないようで、「そうなんだよ。緊張して毎晩眠れないんだ……」とはにかんだ。
 トウヤはチェレンの言葉を聞いて、にやにや笑いながらわたしたちのところへ戻ってきた。チェレンもそんなこと言うようになるなんてなあ、という近所のおじさんよろしく余計な一言とともに。
「もう、なに? そんなに変わったかな」
「変わったよ! 一、二年前は強がりだったもんな」
 トウヤの無遠慮かつ的確なその一言に、わたしは心の底から共感して笑ってしまう。チェレンは恥ずかしそうに顔を歪めて、眼鏡の位値を直した。
 ジムを見たあとは、リゾート地ならではの屋台を巡ってご飯を食べたり、靴を脱いで海に入ったりして遊んだ。思えば、三人でこうして遊ぶのは初めてだったなと思う。トウヤとは幼馴染だったが、わたしとチェレンお互いほとんど面識がなく、まともに話したのは旅に出てからだったのだ。初めて言葉を交わした時の彼の面倒くさそうな表情は、今でもよく憶えていて、そのときは若干傷ついたものの、今ではその強がりの表情もなんだか可愛らしく思える。

「おれ、そろそろ行くよ」
 トウヤが口火を切ったのは、午後四時を回ったころだった。カノコに久々に戻る予定があるらしい。わたしとチェレンも慌てて靴を履いたが、トウヤは「二人はもっとゆっくりしていけば?」とあっけらかんと言ってピジョットに飛び乗ってしまった。
「じゃあ! なまえ、また連絡するね」
「え? あ。うん!」
「チェレン、そんなに睨むなよ」
 わたしは驚いてチェレンを見た。チェレンは怪訝な顔をしたまま、早くいけよと首を振る。トウヤは面白そうに笑ってそのまま勢いよく飛び立っていってしまった。
 はあ。後ろからチェレンのため息が聞こえる。わたしが見ていることに気がつくと、「ああ、さっきのはなんでもないから。忘れて」と言って視線を逸らされてしまった。やっぱり、男の子同士の距離感って、わたしの理解の範疇を超えている。
「このあと、どうする」
 チェレンは捲った袖を戻しながら、俯きがちに呟いた。ええ、と。わたしは二人きりになってしまったことに急にどきどきしてしまって、今までもそんな調子ではあったものの、さらに口ごもってしまう。セイガイハのポケモンセンターに置いてあった観光マップをポケットから取り出して、わたしは当たり障りのない最適解を探した。
「ま、マリンチューブでも通らない?」
 わたしの目が泳ぎがちの提案はあっさり通り、わたしたち二人はマリンチューブに向かって付かず離れず歩き始めた。チェレンの影を踏むように、一歩後ろをゆっくり歩く。日が暮れ出して、ビーチはすこし静かになりだしていた。
 おたがい黙ったまま歩いていたが、しばらくして、「お礼、遅くなっててごめんね」と言われた。わたしは、「全然いいよ。もう、無いくらいでもいいよ」と一息に遠慮をした。われながら大嘘つきである。チェレンは申し訳なさそうに眉を下げて、「またしばらく会えなさそうだし、今のぼくにできることならなんでもするけど」と言った。そんな、急に言われても……。
「……なまえって、そんなに遠慮するタイプだったっけ」
「え?」
「いや、以前が図々しいっていうわけではないんだけど。ぼくの旅に同行したりとか、今のなまえ以上に、行動派だったなって思って」
 それは、そうである。なぜなら、そのころの自分はチェレンに恋心を抱いていなかったのだから。そんなことは言えないので、わたしは笑ってごまかすしかなかった。
「あの……トウヤは変わってなかったね」
「え、そうかな。あいつ、あんなに女の子好きじゃなかった気がするんだけど……」
 チェレンはふたたび怪訝そうな顔をしてわたしの方へしっかり向き直った。
「なまえも、トウヤに変なことされそうになったら、いやって言いなよ。流されちゃだめだからね」
「う、うん。わかった。なんか、ベルみたいなこと言うね」
「あの子とぼくを一緒にしないでくれる?」
 今まで平静とした顔で話していたけれど、なんだかおかしくなって、わたしたちは今までの気まずさがなんだったのかって言うくらい笑った。わたしは思い切って、今日どうしてトウヤを連れてきたの、と聞いてみた。そうしたら、勝手についてきたんだ、という答えが返ってきたので、わたしは心の片隅で引っかかっていた魚の骨みたいなものが取れていくように清々しい気持ちになった。

 マリンチューブの入り口に着いて、ゲートをくぐった。そのトンネルは青々とした自然光がゆらめいていて、たくさんのポケモンが回遊している様が見て取れた。天然の水族館だ。混んでいる、というほどでもないが、通行人はわたしたち以外にそこそこいた。
「今日、ジムリーダーの話をしたよね」
 チェレンはトンネルを見上げながら言った。
「なまえもすこしはわかると思うけど、ポケモン勝負をやる人はみんな、本当は、トウヤみたいに賞金で食べていける人を目指すものだと思うんだ。ジムリーダーやジムトレーナーをやっているとリーグを目指すトレーナーにたくさん接するから、不思議とまた自分も目指したくなって、辞めてしまう人も多いんだよ。特に若い人とかはね。試験がある割には、そんなに給料がいいわけでもないから、家庭を持つ人は続かないこともある。ころころ変わりやすいんだ。それなのに、街の象徴でもあるから、責任は重い」
 わたしは海の光で青く染まった彼の横顔をそっと盗み見た。
「でも、ぼくはやるって、決めたんだ。それは、なまえとソウリュウで話をした、すぐあとのことだったよ。だから、もし、ぼくがジムリーダーになれたら……なまえに一番に挑戦しに来て欲しい」
「えっ」
 わたしは突然の申し出にどぎまぎ動揺してしまう。いかように返事をすればよいか何も思いつかず、思わず足を止めて黙り込んでしまうと、彼は
「なまえがやりたいと思っていることを止める権利はぼくにはないよ。だけど、なまえには諦めるには勿体ないほどの才能がある。ぼくがジムリーダーを目指す原動力はまさにそういうところにあるんだ。結果、トレーナーとして前線を目指すことを決心しなくてもいい。だからぼくに、ぼくの目論見が間違っていないか、試させて」
 と、続けた。わたしは言われたことに対して謙虚になってみたりおちゃらけてみたり何とかして自分の体裁を保とうとしたけれど、なんともうまくいかなくて、結局最後は「検討します」なんて便利な言葉を使ってその会話を終了させてしまった。

 そうこうするうちにマリンチューブは終わり、サザナミタウンへ着いてしまう。サザナミは前に来たときよりも賑わっていて、でもセイガイハよりも静かで波の音も落ち着いていた。
「着いちゃったね」
「そうだね……」
「お礼は、なにか考えついた?」
 考え付くわけがなかった。やっぱり、いいよ。わたしは両手を胸の前に掲げてまでそう断った。「遠慮しないでよ」と、チェレンだって具体的な案もないわりに引き下がらない。
「じゃあ……」わたしは半分やけになって、思いついたことを言ってしまった。「手をつないでくれる?」
「えっ」
 チェレンはみるみる、耳まで真っ赤になる。
「だって、そんなの、お礼に、ならないでしょ」
 チェレンはこの手の雰囲気に不慣れな様子で言葉をつっかえつっかえ放った。わたしだって慣れているわけではないけれど、「そんなことないよ」と毅然として言った。チェレンは観念したように唇を噛むと、わたしの手をそっと掴んで、優しく握った。あたたかい気温のおかげで、わたしたちの手はすこし汗ばんでいた。
「わたしね」
 ああ、声が震えてしまう。
「チェレンのこと、すき」
 今まで散々押さえつけてきたけれど、もうここまで来て、言わないわけにはいかなかった。言わないなんて苦しすぎるし、チェレンのまっすぐな瞳をごまかせるとも思えなかったのだ。
「知ってた。なんとなく、そうかと思ってた。ごめん、ぼくから言えなくて」
 チェレンは、わたしを正面からぎゅうと抱きしめた。チェレンの肩越しに見える砂浜は、夕陽にさらされてやけにきらきらしているように見えた。そのあとのことはよく覚えていないのだけれど、手をつないで、夜まで海を見続けていたように思う。こそばゆくて、うれしくて、チェレンのことがもっと好きになって、ずっと隣にいたいと思った。これは、彼には内緒にしておくつもりだ。