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初出20150601

融雪


4

 優しい朝のひかりでわたしは目を覚ます。まだよく開かない目で時計を見ると、まだ五時半であった。だんだんと朝が早くなっている。もう春がすぐそこまで来ているというところだった。
 わたしのたてた物音に気付いたのか、チラチーノが寄ってきてご飯が欲しいと甘えてくる。「……しょうがないなあ」彼女の頭をやさしく撫でると、わたしはベッドから這い出してごはんの準備をした。ダルマッカは、まだ籠のなかで寝ている。ウォーグルも部屋の隅でおとなしく寝息をたてていた。サイズが大きいので、隅っこにいても存在感がある。
 今日のシフトは九時半からだ。空いた時間で絵を描いてもよいのだけど、描き始めると止まらないので、まとまった時間が無い限りあまり描かないようにしている。このあいだ図書館で借りてきた本が明後日までだから、その本をカフェにでも行って読もう、とわたしは優雅な予定を立てた。洗濯と簡単な掃除を済ませ、家の中で遊び始める三匹をボールに戻すのに一苦労しつつも、七時過ぎ頃に家を出た。
 わたしの家から真っ直ぐいったところにカゴメの大通りがある。カゴメは朝が早い。陽が昇るのが早いという意味ではなく、人々の起床時間が他の街よりも早いのである。大通りは早くも若い人からお年寄りまで集まっている。仕事や学校のある人は始業時間までのわずかな時間を、休日の人はしあわせな一日のはじまりを、ベンチに座ったり散歩をしてみたりコーヒーを飲んだりして思い思いに過ごしているようだった。わたしはそんな景色を春風よりもやや遅いはやさで歩み進めながら見つめ、お気に入りの少し大きめのカフェを選んで足を踏み入れた。ここはカゴメでも有名な方のお店で、大通りに負けないくらいに、こちらもすでに多くの客が入っていた。わたしは小さく小じんまりしたところより、こういうところのほうが好きだ。なんだか、紛れられるような気がして。
 カフェで朝食をとり、わたしは本を開く。あまり本を読むほうではないのだが、書店で働き始めてからわたしはいろんな本と出会うこととなる。純文学などはむずかしくてまだ読むに至らないが、ファンタジーなどはあまり読み進めるのに苦しくなく、絵の肥やしにもなるので読んでいる。わたしは前回読んだところを振り返りながら文字を追う。お姫様が、自分を守ってくれる騎士に恋をしてしまう、という話を軸にしたとある王国の物語だ。表紙がウォーグルだったので、惹かれて借りてきてしまった。この騎士はお姫様をウォーグルに乗せてたまに城の外へ連れ出してくれる。いたずらにそういうことをするので、お姫様は心のなかでいろんな葛藤をする、というところまで読み進めた。自分のことではないのに、お姫様が騎士に手を取られたときはすごくどきどきした。つい、チェレンのことを考えてしまい本をぱたんと閉じる。
(……チェレンは騎士とは程遠いなぁ)
 ゲームの中だったら彼は確実に僧侶タイプだ。しかも、気難しいために主人公と対立して死亡フラグを立ててしまうような。そこまで考えてわたしはひとりで吹き出してしまう。
 ちょうど、そのタイミングでライブキャスターが鳴った。電話かな、とおもいきや、ショートメールだった。差出人はベルである。

 なまえ、おつかれさま! 本調査を終え、無事カノコに帰ってこれました。ジャイアントホールは大きかったよ! 強いポケモンは全部トウヤが倒してくれて、アララギ博士もわたしもトウヤファンになっちゃったよ。今度またみんなで会おうねえ。バイバーイ! ベルより

「トウヤファンて」
 わたしは思わずくすくす笑ってしまう。なんの調査をしていたのかは分からないが、無事成功したようで何よりだった。返信をしようと画面を変えようとすると、またもメールが届いたというポップアップが出てきて返信画面へは行けなかった。メルマガかな、とおもいきや、チェレンからのメールだった。

 お疲れ様。こっちは春休みに入ったよ。なまえは仕事が忙しいかな。今度課題でリバースマウンテンに行くんだけど、良かったらついてきてくれないかな。なまえ、結構強いから、頼りにさせてほしいんだけど…… それじゃ。 チェレン

(リバースマウンテンって、火山だよね……)
 わたしは目を瞬かせてそのメールを何度も読む。チェレンって、わたしのことそんなに弱いって思っていないんだ、というところに少し驚く。わたしの持っているバッジは五つで、ヤーコンさんには二回挑んだが勝てずそこで止まったままだ。それでも、チェレンがそう思ってくれていて嬉しかった。


 そんな経緯があり、わたしは次の休みの日にチェレンとリバースマウンテンに行くこととなる。サザナミタウンで落ち合い、そこから探索を共にした。課題は、リバースマウンテンのポケモンの生息と特徴を調べること、らしい。
「同じ種のポケモンでも、棲みつく場所によって特徴があるんだ。まあ、よく考えてみたら当たり前のようだけど」
 チェレンはそう言って山の中へ歩みを進めていく。わたしは慣れないでこぼこ道と燃えるように暑い穴ぐらに負けないよう、彼に遅れをとらないよう着いてゆく。
 わたしは、途中遭遇するポケモンに対し、手加減をしながら相手をする役目を貰った。チェレンはその戦闘を通して、そのポケモンの使う技や動きの特徴などをレポートにまとめていく。すぐ倒されては困るので手加減をするようにとチェレンは言ったのだが、この山のポケモンはそこそこ強いことや久々の戦闘ということもあり、わたしは額に汗を浮かべなんとか全うしているような状態だった。暑いところが得意だろうと戦闘にはダルマッカを出していたが、ダルマッカはわたしの気苦労をよそに楽しそうにしている。

 バクーダと戦闘をしているときだった。チェレンが急に、「バクーダの急所にあてられないかな。なんでもいいんだけど」と言って自身の眼鏡を押しあげた。それを聞いたダルマッカがわたしが考えるよりも先にぴょこぴょこと跳ね出す。急所に当たりやすい技は会得していないのだが、ダルマッカはおそらく得意のあの技をやりたいと言っているのだと思う。
「わかったよ、ダルマッカ。フレアドライブ、やっておいで!」
 わたしがそう言うや否や、ダルマッカは勢い良くわたしの足元から飛び出して行き、バクーダのほうへ炎をまとって突っ込んだ。目の前に煙炎が溢れかえり、その衝撃としてやや大きな地鳴りが起きた。わたしは腹の奥を抉るような低い地響きに一瞬怯むも、片目を開けダルマッカの姿を探す。少しずつ煙が晴れていき、小さな影が少しよろめきながらこちらへ戻ってくるのが見えた。同時に、大きな影がゆらゆらと奥のほうで奮いを立てている様子も見えた。
 そのとき突然、背後から腕を掴まれる。驚愕してわたしは振り返ると、腕を握っていたのは焦りを少し顔に滲ませたチェレンだった。彼は「逃げる準備をしておいて」と言って少し手前にボールを放り投げる。チェレンのオノノクスが大きな鳴き声とともに地面に降り立った。煙が完全に掻き消えると、途端に地面が揺れだした。その揺れは目の前のバクーダから発せられているものだということに気づくまで、そう時間は掛からなかった。
「なまえ! 下がって!」
 チェレンはそう言ってわたしの腕を離し、肩を軽く叩いた。わたしは足元まで戻ってきていたダルマッカを抱え上げ、バクーダのいる方向とは反対のほうへ駆け出す。一際大きく地面がうねったとき、「オノノクス、逆鱗!」とチェレンが叫んだ。わたしは転ばないように態勢を整え、チェレンの方を振り返ると、チェレンはオノノクスを手早くボールに戻しわたしの方へ駆け寄ってきた。そしてそのまま、わたしの手を引き走りだした。

 そのまま二人で走って、わたしたちは穴ぐらの外まで出た。チェレンはすぐに手を離して、今度はその手を膝に置き息を整えている。わたしも草場にすぐに座り込むと、しばらく腕で胸を抱え込みうずくまっていた。肺が、くるしい。
 風がさあっと吹いてわたしの太ももをなでた。熱せられた岩壁に囲まれていたことと懸命に走ったことにより全身から汗が吹き出ていたが、その風のお陰で幾分体内の熱が引いてきたように思えた。顔を上げると、チェレンはわたしのそばにあった岩に腰掛け、膝上に乗せたダルマッカの頭を撫でていた。いつの間に懐いたのか、ダルマッカは心地よさそうに揺れている。
「ごめん」
 顔をあげたわたしを見遣り、チェレンは眉を下げてそう言った。「いいの」わたしはそう言ってまだ落ち着かない呼吸にあわせて背中を緩めては縮めた。チェレンは鞄の中を探り、黒い筒を取り出すと、わたしに向かって差し出した。
「冷たいお茶、飲みなよ。顔、真っ赤だよ……」
「あ、ありがとう」
 わたしは掠れ声で返事をして水筒を受け取る。わたしの手に渡った瞬間、チェレンが気まずそうに顔を背けた。なんだろう、とわたしは思いつつも、チェレンから渡された水筒の蓋を捻り、とくとくと音をたてて中身を蓋に注いだ。蓋を傾け口にふくむと、乾いた喉を冷たいお茶が通り、全身の気だるさもすこし落ちてゆくようだった。

 その後、あのバクーダは隠れ特性であったことがわかった、とチェレンより調査報告を受ける。技が急所に入ると攻撃する力が増す「いかりのつぼ」と呼ばれる特性のようだった。それを疑ったから急所に入れるよう指示をしてきたのか、とわたしはそこでやっと合点がいく。
「やたら、地面を揺らしてくるポケモンが多いような気がした」
 わたしは、戦闘の感想を述べた。なるほど、とチェレンは紙にペンを走らせる。
「たしかにそうだったね。だから、ここ最近リバースマウンテンは活火山なのかな。それとも、活火山だから……? 卵が先か鶏が先か、というところだね」
 そう答えて、チェレンは再びレポートに向き合う。ふう、とわたしは一息つくと、穴ぐらとは反対方向の景色を見た。青空が目の前に広がっている。一応道になっているようで、この先外からでも下っていけるようである。「それにしても」チェレンが口を開いた。わたしは視線を彼に戻すと、彼も顔を上げてわたしのほうを見て微笑んでいた。
「なまえ、また腕を上げたんじゃない。上出来だったよ」
 わたしは突如として投げかけられた褒め言葉に、かあっと顔が熱くなるのを感じた。
「そんなこと……」
「そんなことあるよ」そう言って目を細め笑ったチェレンはそんなわたしにお構いなしに話し続ける。
「チラチーノのスイープビンタをスキルリンクでもないのに全部当てられるのを、旅をしているときに何度も見たよ。相当特訓しないとそうはならないんだろうなって思ってた。ちょっと気を抜くと暴れまわるダルマッカのこともよくコントロールできているし、デメリットなどよりもそのポケモンが好んでいる技を覚えさせて、結果攻撃力を上げているように見えた」
「……チェレンって、すごいね」
「どうして? すごいのはなまえなんだよ」
 チェレンは目を瞠ってそう言う。もうレポートを書き終えたのか、ペンをノックしてノートごと鞄へしまい込む。「ウォーグルを戦わせているところは見たことないけど」チェレンは簡単に鞄の中の整理をしながら、さらにわたしの戦闘を分析する。「なまえのやり方で六匹揃えれば、バッジも八個集まると思うんだけどな」
 そうかな、とわたしは曖昧な返事をして、照れを誤魔化すように前髪を整えた。チェレンはわたしの様子を見て表情をゆるめると、「そろそろ帰ろうか」と言った。歩いて下山しても良いのだが、外から降りるなら飛行タイプのポケモンに頼ったほうがよいというので、わたしはウォーグル、チェレンはケンホロウをボールから出す。久しく外気に触れ、ウォーグルは嬉しそうに羽ばたいた。おそらく、ボールの中も相当暑かったのだろうと思う。
 すると、チェレンが芳しくない表情でケンホロウの身体を撫でているのが目に入った。どうしたの、と問いかけると、
「暑くて、バテちゃってるのかも」とチェレンは心配の目でケンホロウを見ていた。
「じゃあ、ウォーグルにチェレンも乗せてもらおう」
 わたしはそう提案する。(……あ、でも、これって)言ってしまってから、わたしはこの間から読んでいる本の内容が頭のなかを過ぎった。
「ありがとう」
 心拍数の上がっているわたしに対し、相変わらず平静と応えるチェレンが憎い。「後ろに乗るね」チェレンはケンホロウをボールに収め、ウォーグルの頭を撫でた。こちらもいつ懐いたのか知らないが、仲良さそうにしている。わたしと、その後ろにチェレンを乗せて、ウォーグルは大きく翼を動かした。揺れるたびに触れるチェレンの体温がくすぐったくて、わたしは彼が話しかけてきても当り障りのない返事しかできなかった。

 サザナミタウンまで戻ると、わたしたちは自分の足で歩き出す。わたしはチェレンの半歩後ろで、彼の黒髪をみつめていた。真横には広大な海が広がっており、押しては返す波の音が耳に心地よい。
 十三番道路まで、チェレンは送ってくれた。ヒウンシティは真逆の方向のため、チェレンとはここで別れることとなる。今日は本当にありがとう、とチェレンは朗らかに言った。わたしはそれに小さく頷いて、チェレンの次の言葉を待った。
「それじゃあ……」
 チェレンが小さく言ったあと、わたしは気を取り直して顔に笑みを浮かばせた。「うん、じゃあね」と言って踵を返す。
 見返りがほしいわけでは、なかった。でも、何か期待させるような誘いだったのに、ついに最後まで何もなかったのだと思うと少し胸がくるしい。それは、先ほど全力疾走したせいだ。そうわたしは思い込むことにして、歩みを早めた。
「……待って!」
 後から、駆ける足音とともに大きく呼びかけられる。さきほど別れたはずのチェレンが、わたしの後を追ってきていた。わたしは目を見開いて振り向いた。チェレンは、少し決まりがわるそうに目を泳がせたあと、
「その……今度、お礼させて、よ」少し頬をあかくして言った。
 わたしは顔が綻ぶのを止められずに、少しうつむいた。チェレンがためらいがちに、わたしの名前を呼ぶ。聞こえてるよ、と言うと、そう、と言ってチェレンも少しのあいだ押し黙る。
 わたしは顔をあげて、チェレンの目をじっと見た。チェレンはいつもより大きく目を見開いたかと思うと、目を細めすこし恥ずかしそうに口をむすぶ。たのしみに、してるね。そう言葉を紡いだわたしの声は、いつもより甘くなってしまっている気がした。チェレンは小さく頷いて、それからわたしたちはゆっくりと別れた。