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初出20150517

融雪


3

 ひさしぶり! と通りの影から顔を出したのは、昔からの親友であるベルだった。わたしの暮らす街、カゴメタウンに彼女の眩しい金髪が映える光景は、めずらしく見るものだった。
「仕事行くとこ?」
「ううん、帰ってきたところ。今日は短いシフトなんだ」
 わたしは絵を描く傍ら、生活出来るだけのお金を書店で働いて稼いでいる。残念なことに、絵だけでは生活できないからだった。今でもたまにポケモン勝負で稼ぐこともあるが、一緒に旅をしていたウォーグルもダルマッカもチラチーノも、今ではすっかり生活のお供である。
「このあいだの大雪大丈夫だったあ? あたし、そのせいでここに来るの随分遅れちゃった」
 ベルは相変わらずのんびりとした口調でのびのびと話す。わたしは、大雪の日にヒウンにいたことを話した。やむを得ずチェレンの家に泊まったことを言うと、ベルは一際興奮してわたしに色々問い詰めたが、「別に、何もなかったからね」と事実を述べ彼女の妄想があらぬ方向へ行かないよう念押ししておく。
「そうなのお? あれから一年経つし、そろそろ付き合ってもいい頃だと思うのに……」
「逆だよ。あれから一年、まったく会わなかったんだから」
 わたしはチェレンがヒウンに滞在していることすら忘れていたことを思い出す。会わなくなってから一年、連絡を取り合うこともなかった。わたしもわたしで、やりたいことを見つけて忙しかったのである。最後にチェレンと別れたとき、彼もどこか吹っ切れた様子だったような、そんな記憶はある。
「そんなことより、ベルはどうしてカゴメに?」
「もう、はぐらかすんだから。あたしは、ジャイアントホールの研究の一環で来たの。今日は下見だけどね」
 ベルは、なんでもないことのように言った。ライブキャスターなどでたまに連絡は取っていたものの、実際にベルがアララギ博士とのフィールドワークを行っているのは、初めて見た。
 ジャイアントホールとは、カゴメ北部にある巨大な穴のことである。学術的には昔に落下した隕石のクレーターとも言われるが、カゴメタウンではこの穴に近づくと災いが訪れると言い伝えられている。毎晩、冷たい風とともにやってきて人やポケモンを取って食うバケモノが棲んでいるとされ、カゴメタウンの人々は今もその風習を重んじ、夜は外出しない。飲食店やコンビニなども日が暮れるとやっていない(ポケモンセンターは、規定により夜も開いている)。カノコのほうがずっと田舎だけど、夜もやっているお店はあった。
「ジャイアントホールは強いポケモンだらけだっていうからねえ、トウヤにお願いして、本番はついてきてもらうことにしたんだ」
「トウヤ? カノコに戻ってきてるの?」
 懐かしい知人の名前にわたしは目を丸くした。ベルは、いつの間にやら掛けていた眼鏡の奥の瞳を輝かせて、そうだよおと嬉しそうに言った。
「なまえも、帰っておいでよ」
 少し目を細めて、ベルは寂しそうに言った。たまにはシッポウでお茶したいよとベルは甘える。そんなベルが可愛くて、わたしは「そうだね」と言って微笑んだ。でも、しばらくカゴメを出る気はなかった。それは、ベルもわかりきっているようだった。



 トウヤといえば、 チェレンと一番はじめに合流したとき彼はトウヤと勝負をしていた。わたしはその一連の流れを、離れたところでこっそり見ていたのだった。
 チェレンは合流場所としてネジ山前を指定してきた。わたしは周辺の強い野生ポケモンなどにも備え、かなり早めに家を出て向かったのだが、思いの外早く着き手持ち無沙汰になってしまった。入り口前に居ても邪魔なので少し離れたところで待っていると、トウヤとチェレンがこの場に現れたのだった。
「トウヤ! ジェットバッジを持つ者同士、どちらが強いか確かめる!」
 チェレンは勇ましく叫んでトウヤの足を止めた。どうやらトウヤはチェレンが後方から来ていることに気づいていなかったようで、そこで初めてわたしは二人で一緒にきたわけではなかったんだ、ということに感づく。わたしは声をかけるきっかけを失ったまま、二人の勝負をそっと影から見守ることになってしまった。決して覗き見しているわけでは、ない。
(ふたりとも、すごいなあ……)
 遠目で見ているだけでも、二人の強さは見てとれた。二人からしたら、わたしは蟻のような存在だろうなと思った。彼らの戦いは拮抗しているように見えたが、じきにチェレンのポケモンがすべて倒され、二人共しずかにポケモンをボールに収める。 トウヤが勝ち、チェレンが負けた。

「ありがとうございました」
 妙に他人行儀にトウヤはお辞儀をする。これは、トウヤの癖というかポリシーのようなもの、だとわたしは捉えている。いつでも誰と勝負をしても、勝ったとしても負けたとしても(彼が負けることなど殆どないように思えるが)、彼は最後にこうしてお辞儀をする。わたしもされたことがある。
 チェレンも「ありがとう」と返すが、二人のあいだには妙な沈黙が流れる。「きみの強さ……そしてぼくの強さ……ね」チェレンは独り言のように言う。二人のあいだの微妙な空気は、どうやらチェレンから漂っているものらしかった。
「負けないことが強さなのか? 勝つことがすべてなのか?」
 チェレンはトウヤにお構いなしに、苛々とした声で独白を続ける。幼馴染のトウヤ相手だったからこそ見せられる、彼の弱い一面なのかもしれなかった。
「……ポケモン勝負は楽しい、だけど、強いってなんだよ!?」
 彼は、なるべく声を押し込めるようにして、叫んだように見えた。わたしは思わず肩を震わせた。彼がここまで思いつめて激昂しているところは、見たことがないからだった。幼馴染のトウヤでさえも掛ける言葉が見当たらないようで、無言でその場で佇んでいた。仕方がないと思う。もしわたしがトウヤの立場だったら、何も言うことができなかったと思う。
 そのときだった。沈黙を破るように、一人の男性が遠くのほうから二人に賞賛の言葉を投げかけたのは。
「なかなかのポケモン勝負であったな! 二人ともトレーナーとして育っておるようでなにより!」
 二人は男性の方へ目を向ける。チェレンは、自分を落ち着かせるように少し大きめの呼吸をして、男性に対し言葉を返す。
「……どなたかと思えば、チャンピオンのアデクさんですか。自分は弱くて負けたんです! ……それなのに、いい勝負と言われても、正直困ります……」
「……まったく、刺のある言い方をせず素直に喜べ。それで、前にも尋ねたが、強くなってどうするのかね?」
 アデクと呼ばれた男性は、深みのある声でチェレンに問いただす。わたしは若干目が悪いので名前を聞いてようやく合点がいったが、この男性は他でもないイッシュリーグのチャンピオンの、アデクさんだった。
 チェレンは、チャンピオンに問い詰められ居心地悪そうに俯くが、すぐに顔を上げて答えを吐き出す。
「強くなれば、チャンピオンになれば……それがぼくの存在理由になる。ぼくは、生きている証がほしい」
 遠くからでも彼の気持ちはしっかり聴こえた。ふむ、とアデクさんは顎に手を添えて考える。
「君はレンブに似ておるな。なるほど、確かに何になりたいかは大事だ。だがそれ以上に大事なのは、強くなり、得た力で何をするのか! ではないのか?」
 チェレンは沈黙する。トウヤも、相変わらず黙ったままである。アデクさんはそんな若い二人を交互に見て、豪快に笑い声をあげた。二人がぎょっとして背を跳ねらせると、
「じゃあな、若きトレーナーたち。ともに歩むポケモンがなにを望むか忘れるなよ!」と言って、アデクさんは立ち去ってしまった。
「……びっくりしたね」
 トウヤが気遣うようにチェレンに声をかける。
「何をしたいか……それがわからないから、トレーナーとして強くなることで、自分という存在をみんなに認めてもらうんだよ!」
 チェレンは相変わらず上の空だった。会話が成立していない、とトウヤも思ったことだろう。トウヤがチェレンの肩に手をやろうとすると、
「……トウヤ、次にはぼくが勝つ!」
 チェレンはそんな捨て台詞を吐いて、わたしと逆方向に走り去ってしまう。「ええ!?」わたしは思わず声を上げてしまった。わたしとの約束は、どうするつもりだろう。集合時間はとっくに過ぎている。
 わたしの驚嘆に、トウヤはわたしの存在に気づいてしまった。「あれ、なまえじゃん」トウヤはケロッとしてわたしのほうを見る。わたしは目を細めないとそこにいるのがトウヤかどうかも若干怪しいのに、トウヤは随分目がいいんだなと思った。
「ひ、ひさしぶり」
「しばらくぶり! もしかして、今の見てた?」
 トウヤはこちらに近づきつつ、苦笑いをする。「ごめんね、覗き見するつもりはなかったんだけど」わたしは素直に謝った。トウヤは「いいって、いいって」と手を振って笑った。
「それにしても、今回も特に危なかった」
 トウヤはチェレンの走り去った方を見て、ため息混じりに言った。え、とわたしが聞き返すと、トウヤはこう続けた。
「確かにおれは、チェレンに負けたことがない。それは、すんでのところでこいつらがおれを勝たせてくれるから。技の構成も勝負の流れも、最初はチェレンに持って行かれてしまうんだ。チェレンは、相当、強いよ」
 こいつら、とトウヤが指さしたモンスターボールが、嬉しそうに揺れた気がした。
「でも、そう言うとあいつ、怒るからさ。じゃ、おれは行くよ。今度勝負しようね、なまえ」



 今日は泊まっていくの、とベルに尋ねると、このまま帰路につくとのことで、わたしたちは会って間もなく別れることになった。
「カゴメ、いいところだね」
 ベルはそう言って、白い壁の街並みを眺める。今日は天気がいい。さんさんと注ぐ太陽の光が壁を照り返していて、明るい。わたしはこの白い街が好きで、それこそ恋い焦がれるように、遂にはここで暮らすようになっていた。
「絵、描けそうなの?」
「まだ、かな。風景画、勉強中で」
 得意の絵本風の絵を寄稿することはままあることだったが、わたしの本来描きたい絵は、別にある。大好きなこの街を描きたい。さらには、わたしの見えるイッシュを、わたしの手で閉じ込めたい。その衝動はどうしても抑えられなかったので、わたしはわたしに影響を与えたいろんな人から離れて、この異国のような街で一年過ごしてきたのだった。
「チェレンと一緒に行動してみようかなって言った時と、同じ気持ち?」
 ベルは、茶化さず真剣にわたしに問いかけた。それはわからないよとわたしは苦笑交じりに言う。伏し目がちな彼を放っておけなかったのは確かだった。だが、あの頃のわたしは、本当にチェレンに恋をしていたわけではなかったのだと、思う。
「ベル、でもね。わたし、わたし……今のチェレンには恋をしているかも……しれない」
「わ、あ、……ほんとう!?」
 両の手を自らの頬に寄せて、ベルは驚嘆の声をあげる。次いで、ベルはその手をわたしの肩に置いて、ゆさゆさとわたしを揺らした。「ベル! ちょっと……」わたしは静止の懇願するも、ベルの勢いは止まらない。
「だって、うれしいんだもん!」ベルはにこにこ笑って、わたしのことを思う存分揺らしたあと、ぎゅっとわたしのことを抱き締めた。
「なまえ、その気持ち、大事にしてね」
「……ありがと、ベル」
 わたしもベルのことを抱き返す。自分のことのように、或いは血の繋がった姉妹のように、ベルはわたしの気持ちを喜んで祝福してくれていた。瞳が自分の意志に関係なく、震える。それを隠すように、わたしはベルの服をぎゅっと握った。ねえ、泣きそうになってしまうのをこらえるのは、思いの外むずかしいんだね、ベル。