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初出20150302

融雪


2

 セッカシティは大雪であった。わたしとチェレンは現地調達した防寒着を着てフードのくちをきつくしめた。
「毎日毎日よくふるね」
「ほんとにね」
 肩をすくめ答えるのはチェレンだ。鼻が赤い。わたしはだっこしているダルマッカのあたまを撫でた。ダルマッカはわたしの腕のなかで、うれしそうにゆりゆりと揺れた。
 チェレンは八番道路にいるポケモンをすべて捕まえて図鑑を揃えたいらしい。わたしが合流してから暫く経ったが、チェレンは朝起きて夜日がくれるまで、ご飯を食べるとき以外はこうして外にいる。わたしもそれについてゆく。ポケモンを知ることが強さにもなるし、単純に場数を踏みたいからね、とチェレンは合流初日にわたしに説いた。とてもいい提案だとは思った。また、こういった信念があるからチェレンが強いのだとも。
 ただ。
「さむい!」
 踏み固められた小さい雪の丘のうえでわたしは叫んだ。並々ならぬ冷たさの雪と風がわたしを襲う。目の前にはカノコでは考えられないほどの雪景色。真しろい視界の中でちらほらと、着込んでむっくりとした人影が水辺の周りをうろうろしていた。橙、紫、赤などの防寒着の色が雪との対比でよく映える。
「やっぱりさ」水辺をを熱心に覗いていたチェレンは黒い防寒着のフードのくちをゆるめ、顔を見せた。
「いないや。マッギョとかナマズンも。さむいからかな」
「ちょっと吹雪いてるしね」
 雪が降っていて風がある時点で外出は控えたほうが良かったのかもしれない。「今日はもうやめよう」息を白くしてチェレンは言った。彼がもうやめようと言えば、本日の活動は終了である。
 わたしは、自分の左腕の袖を少しまくって腕時計を見た。まだ十一時だ。チェレンがわたしの腕時計を覗き込んで、早いけどお昼にしようかと言った。
「どうしようか。なまえはどこか寄って帰る?」
「外食続きだったから、マルシェとかでお惣菜とか買って帰るよ」
 ホテル近くにいいマルシェがあるのをわたしは知っている。単に財布が寂しい理由で、わたしは一人で行動する際は大体の食事をお惣菜やらおにぎりやらパンやらで済ませていた。チェレンと合流してからは外食が多かったが、そろそろ節約をしないといけない。
 チェレンは少し意外そうな顔をしながら、「じゃあ、ぼくもそうしようかな」と言った。
「いつもぼくと一緒じゃない時は、そうやって食事をとっているの?」
「うん。お金がないからね」
「さすがなまえ、女の子だな」
 褒められた。悪い気はしない。合流してから判ったことではあるが、彼は気難しい性格なのかと思いきや、よく人のことを褒める人だった。単に、社交辞令なのかもしれないが、このあたりは幼馴染のベル相手とは異なる反応な気がした。

 わたしたちはホテルの方へ歩き出した。さくさくと、足跡のない雪道を踏ん張りながら歩く。そういえば、セッカにもジムがある。もうジムバッジを取得したのか、チェレンに尋ねてみると、「ああ、もう取ったよ。その間にもいろいろ……なまえがくるまでにいろいろあったんだ」と彼は苦笑した。
「プラズマ団って、名前くらいは知ってるよね?」
「うん」
「トウヤと一緒に戦ったりしててさ。いろいろ大変なんだ」
 チェレンはこちらを向かないまま、喋った。プラズマ団は大人の団体の印象がある。チェレンたちはそれに立ち向かっているのだろうか。警察とか、そういうところに任せた方がいいのではないだろうか。そう思ったが、話が突飛すぎて、「……そうなんだ」としか言えなかった。
 足を進めていると、いつの間にか周りの風景は賑やかな街並みに変わっていた。どこもかしこも雪景色だが、主要な道路は除雪車が通っていた。といっても、凍えるような寒さなので地面はこおりついている。
 マルシェのスペースにたどり着いた。屋根付きのアーケードとなっているそこは風も入ってこなく、自然とすこし暖かかった。
「なんにしよう。チェレンはどういうの食べたい? パンもあるし、コロッケとか、サラダの量り売りもあるよ」
「どうしようかな……」
 チェレンは顎に手を当てすこし考えると、なまえの行きたいところにまず行こうよと言った。
「じゃあ……サラダの量り売りね」
「オーケー」
 わたしは先頭に立ってその店を目指す。チェレンは黙ってついてくる。しゃりしゃりと、ブーツにくっついてきた雪がつぶれる音がする。
 サラダバーはセルフだ。自分で好きなだけ盛り、店員に渡すと重さを計ってくれて、料金を渡す仕組みだった。わたしはラディッシュや茹でたブロッコリー、コーン、レタスなどを乗せた。チェレンも少しだけ盛り付けて列に並ぶ。
「つぎは、パンとハムを買いたいなぁ」
「なまえに合わせるよ」
 チェレンはいつも通りのまじめな顔でそう答えた。もうちょっと笑ったりしてもバチは当たらないのに、とわたしは少しだけそう思った。そういえば、チェレンが大笑いするとか、そういう風にしているところは見たことがない。
 わたしはパン屋に寄ってパンを買い、その横の肉屋さんでハムを購入した。マーガリンは、実は持ってきている。チェレンも特にこだわらないようで、同じようにパンとハムを購入する。
「あ、チョコレートもあるよ」
「……本当だ」
「あ、ねえチェレン、ココアとかいいよね。ホテルでお湯沸かして」
「うん」
 パン屋横の雑貨屋に目移りする。割高だがミアレのビターチョコレートやミナモのレモンパイも置いてある。いいなあいいなあと言いつつ結局買わないことのほうが多いが、どうしてもマルシェへ来るとあれもこれも見てしまう。
 別の棚へ移動しようとすると、「なまえ」チェレンが真剣にわたしを呼びとめた。わたしは急いで振り返った。
「……あの」
 チェレンは言い淀み、ゆるめた黒い防寒着のフードの首もとに口のあたりを埋めた。どうしたの、と声をかける。
「先にホテル戻ってていい? 今日、結構冷えるし」
 ああ、そうだね、いいよ、とわたしは二つ返事で快諾した。確かに今日はとても冷える。わたしもふらふらしていないで早く戻ろう、と心の中で小さく思った。後からベルに聞いた話によると、チェレンは寒いのが大の苦手らしかった。




 しゃくしゃくと、煉瓦の上に降り積もった雪の結晶の上を歩く。ヒウンに雪が降り始めたのは二時間前ほどだったと思うが、着々と雪が積もり始めている。明日には解けるよと冷めた態度でチェレンは言うが、気候に反して薄着の彼は今まさに震えに耐えかねているに違いない。
 ここがぼくの借りているところ、と案内されたのは、ポケモンセンターから少し離れた住宅エリアの一角だった。三階建ての煉瓦づくりのマンションの最上階。建物内の階段を上がると、ヒウンのめずらしい雪景色がすこしだけ眺望できる。ヒウンは全体の建物の背が高いので、そこまで遠くは見えない。
 チェレンの部屋のドアは赤くて可愛らしいドアだった。チェレンは今学校にも通っていて、その学校の案内でこの部屋と巡り会えたらしい。このあたり一帯は学生マンションのようで、近くに図書館がある。
 慣れた手つきで彼が鍵を開ける。ドアを開けてわたしを先に招き入れてくれた。わたしは先に上がり、靴を脱いで踵を揃えて置いた。
 入るとすぐにちょっとしたキッチンがあり、奥に生活スペースがあった。キッチン横に椅子一つだけのダイニングテーブルがあり、間仕切りを経て奥にベッドやパソコン、本棚が置いてあった。角部屋で、バルコニーへ続く大きな窓と、机の脇に小窓がある。驚くほど整然とした部屋だった。チェレンらしいといえば、そうかもしれない。
「さっきも飲んだけど……コーヒー飲む?」
 チェレンは自分の荷物をパソコンの机のところに置くと、上着を脱いでそう聞いた。じゃあお願い、と答えると、「上着はそこのハンガー勝手に使って。バッグもどこに置いてもいいよ」と言って間仕切りの陰に隠れてしまった。
 わたしはチェレンに言われた通り上着をハンガーに掛け、バッグは机の横に置いた。ふと、机のところに幾つか本が重ねてあるのが目にとまる。手に取り表紙を眺めると、「教え技大全」やら「進化論」などポケモンに関わるタイトルが並んでいた。やはり、チェレンはジムリーダー目指して頑張っているのだなと、肌に感じて解った。
 しばらくしてチェレンはわたしにマグカップを寄越した。ミルクと砂糖はダイニングテーブルに置いてあった。わたしは少しだけ甘く調整して、床に座った。チェレンはヒーターに電源を入れ、その前に座った。
「いやー、チェレンもしっかり勉強してるんだね」
「うーん……まあね」
 チェレンは曖昧な返事をして頭の後ろを掻く。心なしか、髪が少しだけ長い気がする。
「なまえは今は勤めながら絵を描いてるんだっけ」
「うん。そうだね」
「やっぱり、アーティさんとか憧れなの?」
 アーティさんは確かにアイドル的存在の芸術家だが、芸術性にもいろいろある。わたしの描く絵はどちらかというと絵本向きであるから、方向性は同じではない。
「やっぱり……いろいろあるよね、方向性って」
「チェレンは? ジムリーダーもいろいろあるけど」
 そうだな……と口ごもり、チェレンは座り方を替えた。
「ぼくは……挑戦者の壁でありたい。ぼくが立ちはだかることで、その人を大きく成長させるような、そんな」
 そこまで言い切って、彼は俯いて眼鏡の位置を片手でなおした。心なしか顔が少し赤いような。きっと、彼自身まだ心に秘めている最中のことを、つまり本音をわたしに打ち明けてくれたのだ。
 チェレンならきっとなれると思う。彼の理想のジムリーダーに、何度も挫折を味わった彼なら。わたしはそう思った。でも、これは心のうちにそっとしまっておいた。なんとなく、言ったら気まずくなるような気がした。

 チェレンはその晩、わたしにベッドを貸してくれた。試験が近いそうで、チェレン自身は睡眠時間を削って夜中も勉強していた、そうだ。はじめ、どきどきして中々眠れなかったが、気づいたら朝になっていた。起きるとチェレンは部屋の中に見当たらなくて、顔を洗ったり寝癖を直したりしているうちに外から帰ってきた。
「なまえ、おはよう。まだ雪は積もっているけど、今はもう青空だよ」
 カーテンを開けて、外の様子を見せてくれた。昨日のホワイトアウトした世界とは一転して、青々とした空が眼前に広がった。窓に結露した水滴を見るにまだまだ外は寒そうであるが、カゴメには飛んで帰れるだろう。ポケモンセンターに寄って、ウォーグルたちにご飯を食べさせて帰路につこう、とわたしはこれからの予定をざっと頭の中で組む。
 チェレンの今日の予定は? と聞いてみる。少し寝てから授業に行く、とのことだった。それならわたしはお邪魔になるから、もう立ち去ってしまおう。上着を着て、マフラーを巻く。お世話になりました、とお辞儀をした。
「なまえ」
「なあに?」
 靴をはいてドアを開けると、見送りにきたチェレンがわたしを呼び止める。「……また、ね。こまめに連絡するよ」そう言ってチェレンは、この上ないくらい、優しく微笑んでくれた。「わ、わ、わたしも連絡するね!」わたしは驚いて少し硬直したが、咄嗟にそう答える。
「じゃ、じゃあね……」
「うん、じゃあね」
 互いに手を振り別れを告げる。わたしが角を曲がると、ドアが閉まる音が遠くから微かに聞こえた。


「今までまじめな表情しかしなかったくせに」
 わたしは誰に言うでもなく、ひとりごちた。そうだ、一年前、旅をともにしたときはこんな表情しなかった。表情どころか、言動も行動もすべてが他人行儀で、私の中のチェレンのイメージは、本当にお堅い男の子という印象だった。違う面を垣間見て、どきどきと胸が高鳴るのを抑えきれなかった。早歩きの足は、若干スキップ気味になっている。ちょっと気になっている男の子に微笑みかけられたからって、浮かれすぎ、浮かれすぎだよ、わたし。