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昔乗せてもらったシドの大きい背中を今でも思い出す シド / ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド | 名前変換 | 10min | 初出20170424

水に晒す

 約十年ほど前の話だったと思う。
「リト製の弓ですが、月二十個ほどお約束いただけましたら、十八個分のお値段で提供できそうなのですが」
「まあそうですねえ、弓が売り切れだと客足離れますし、ねえ。どう思います、王子?」
 父の商談の話が耳に入ってくる。わたしは父の横について大人しく話が終わるのを待っていた。わたしの父は貿易商だった。二十五歳の時に立ち上げて、三年目。わたしは弟の世話で忙しい母と離れ、父とこうして商談の旅に出ている。特になにかの役に立つわけではないけれど、父はわたしのことをとても可愛がってくれて居るだけでいいような状態だったし、わたしもまだ若く格好のいい父のことがとても好きだった。十年経った今ではもう、太って髭も蓄えてあまり見る影がないが、昔は細くて活力もあって格好良かったのだ。でも、見た目は随分変わったけれど、優しい性格はずっと変わらないままだ。わたしのことも大きくなった弟のことも、とても大事にしてくれている。
 しかし、父が幾ら立派でも商談は子どもからしたらとても退屈なものに過ぎなかった。先の弓の件は、ゾーラ族の皆さんの中でたくさんの議論が繰り広げられ、結局月に二十個仕入れることが決まったみたい。でも、そのあと今度は木の矢が何本だの爆弾矢が何本だのという話が始まる。それも話がまとまると、今度は「そういえばそちらでは食品の仕入れは行っていないでしょうか?」とゾーラのお姉さんが筆を走らせながら父に尋ねてしまう。あーあ、食べ物の話になるとあと一時間は終わらないよ……。
 わたしは父のそばを離れ、部屋の隅まで行った。これを部屋、と言っていいのかは疑問だけれど、ゾーラの里の上層階の一角、窓も壁もないシンプルな作りの空間だ。下を覗けば、豊かな水が揺らめいている。つまり、ちょっと足を滑らせれば真っ逆さまに降下し、水の中に落ちてしまう。泳ぎが得意なゾーラ族では、いかに水場へのアクセスが良いかで建造物の価値を決めるそうである。ハイリア人のわたしたちにしたら高い場所で壁のない空間は恐怖しかないのだけれど、ゾーラの人はみんな体も大きいし身体能力もずば抜けているから、向かう先に水があれば飛び込むことも特に怖くないのだろう。
 最初は高いところが怖かったわたしも、そう簡単に落ちないことが分かると強気になった。少しくらい身を乗り出すことも、平気でできた。その行為はスリルがあって、暇なわたしにとってとても心地のいい刺激だったのである。そしてわたしは、昨晩ここで雨が降っていたことを忘れていた。突然足場がズルッと滑ったと思うと、わたしの体はそのまま何処にも支えられず空へ放り出された。あ。落ちる。冷静にそう思いはしたものの、わたしはなす術もなかった。辛うじて、叫び声を上げることはできた。
 そのとき、なにか弾丸のようなものがわたしの後を追ってくるのが見えた。そして、わたしはそのなにかに体を強く包まれる。水に落ちるまでの一瞬で見えたのは、大きくて立派な鰭だった。
 水の中に落ちてもなお、わたしとそのなにかはスピードをゆるめず、緩やかなカーブを描き水面まで戻ってくる。潜っていた時間はおよそ十秒ほどだったと思う。わたしは水面にあがると飲み込んだ水を吐き出した。そして、ぼやける視界で、わたしを助けてくれた人を見る。その人は、シド王子だった。
「怪我はないか? 掃除が行き届いていなくてすまなかった。ハイリア人にとって高い場所と水辺は危険がいっぱいだからな!」
 だ、大丈夫です。わたしは言った。シド王子は器用に足泳ぎしながら、にっと笑った。鮫のような鋭い歯がきらりと光る。
「じゃあ、背中に乗ってくれ。少し遊泳しよう。きみも仕事の話は退屈だろう? これできみが水嫌いになったらいやだからな」
 シド王子の肩に掴まる。大きくて、ハイリア人の皮膚とは違う弾力があった。わたしが上手く乗れたのを確認すると、シド王子は体全体を畝らせてぐいっと前に進んだ。あまりの早さに、わたしは声をあげた。シド王子は笑って、これはまだまだ遅いぞ、と言った。そうして里の周囲をぐるぐると回って、どのくらい経っただろう、里の建物内へとあがってくれたとき、わたしの指先には皺が入っていた。
 二人で陸に上がると、シド王子の大きさがよくわかる。わたしの身長の三倍ほどはあって、見上げても顔がよく見えない。でも、シド王子はおおきな笑顔を見せてくれたから、どんな表情をしているかよくわかって安心した。
「きみは幾つなんだ?」
「七歳」
「七歳か。ゾーラだったらまだ赤ちゃんだ」
 わたしは目をすごく大きく見開いた。シド王子も、同じく目を見開いた。「シド王子は、何歳なの?」わたしが聞くと、「百歳は超えてるよ」と簡単に言ってのけた。百年も時間が流れたら、わたしなんかとっくに死んでいそうである。でも、シド王子はとても若く見えたし、実際ゾーラ族の中で若いのだと思う。里に入ったときに、お爺さんと思われる人たちと何人かすれ違ったけど、そういった人たちはシド王子と違って、やはり見た目からして如何にもお爺さんの雰囲気があった。

 わたしと父の旅は、わたしが十歳に上がるまで続けられた。十歳になったわたしは近所の先生から勉強を教わらなければならなくなり、旅の同行からは卒業した。今度は弟が父と旅に出て、男二人旅になり、弟は冒険の旅に出られるのが本当に楽しいみたいで、帰ってくるたび一つ逞しくなっていた。
 わたしがまだ旅をしているとき、ゾーラの里へ立ち寄ると必ずシド王子が遊んでくれた。それがどれほど名誉のあることだったか、今でこそよく分かるものの、当時のわたしにとってシド王子は純粋に友だちだったし、お兄ちゃんのような存在だった。背中に乗せて色んなところへ泳いで連れて行ってくれた。お陰でわたしは泳ぎを教わらなくても自然と泳げるようになった。でも、やっぱりシド王子のスピードにはどう頑張っても追いつかない。追いつかないと、シド王子は笑いながら戻って来て、わたしをまた背中に乗せる。大きくて、不思議な弾力の、逞しい背中だった。
 そんな幼少期の思い出は、歳を重ねるごとにどんどん薄れて遠のいていってしまう。七年が経ち、わたしは十七歳になっていた。わたしと弟は、今度は父の仕事もある程度手伝いができるように帳簿の付け方だったり仕入れのことだったり、父の仕事をどんどん覚えるようになった。その一環で、得意先であるゾーラの里へ久々に赴くことになった。今回、弟は先生の授業があるので留守番、わたしと父との旅になった。父は七年越しに娘と旅をする感慨に浸っていたが、わたしは久々にシド王子に会う感慨に浸っていた。また背中に乗せてくれるかな。もう、無理かな。そんなことを思いながら、自分で手なづけた馬の手綱を引いた。
 ゾーラの里は、全然変わっていなかった。里だけでなく、人も変わっていない。出迎えてくれた貿易担当の女性もそのままだったし、シド王子もそのままだった。最初、わたしがなまえであることに気付いていなくて、改めて名前を名乗るとみんな吃驚していた。「遊んでたこの子も、ついにわたしの仕事を覚えると言ってねえ」父は嬉しそうに恰幅のいい体を揺らして笑った。シド王子も、「本当に、おおきくなったな!」と笑った。
 商談を一通り終えると、わたしはシド王子とこの辺りで取れるキノコを採取しに行った。これを今度はリト族の村で買い取ってもらうのである。里の周りの、なるべく魔物が出ない場所を選んで採取する。このあたりはゾーラ族の許可がないと出入りできないため、シド王子はわざわざ付いてきてくれたのだ。
「今度はなまえが、お父さんの仕事を手伝うんだな」
「はい、弟は勉強しないといけないので……でも、帳簿は手伝ってくれているんですよ。弟のほうが計算が得意なんです」
 わたしは引き算をしょっちゅう間違えてしまう。シド王子はもっと高等な教育を受けていると思うのだけど、ゾーラでもそういうものがよくある、と歯を見せて笑ってくれた。
 わたしとシド王子の背丈は、まだ二倍ほどの差があった。わたしが彼を見上げていると、シド王子は「本当になまえは綺麗になったなあ」と言う。
「今までたくさんのハイリア人女性を見てきたけど、なまえの変わりっぷりが一番驚いたぞ」
「ええ、そうですか?」
「そうだぞ!」
 シド王子は腰に手を当てて、笑顔を浮かべたまま少し口を止める。「……ゾーラはハイリア人より長生きだから、なまえにはどんどん置いていかれるんだろうなあ」
 そうか。シド王子は、今までたくさんのハイリア人に出会って、そして別れていったのだ。シド王子だけでなく、他のゾーラも同様だけれど……それを思うと、ゾーラの一生とはとても果てないもののように思えた。
「姉さんが昔、ハイリア人が好きだったのだが……色々あってその恋は報われなくてね。姉さんはそのまま、天国へ行ってしまったんだ」
 わたしは、シド王子を見上げながら、黙って耳を傾けた。
「最初はね、姉さんはどうしてそんな無謀な恋をしてしまったんだろうって思ったものだ……でも、おれもわかってしまう瞬間があった。もう五十年も前のことだが、ハイリア人を好きになってしまった」
「五十年……」
「彼女は、もう亡くなられたよ」
 シド王子は一瞬だけ目を伏せた。しかし、そのあといつものようにまた笑って「まあその別れも、もう二十年前のことだ」と言った。
 わたしは特別、シド王子に恋慕の気持ちを持っているわけではなかった。でも、なんだか、すごく哀しい気持ちになってしまった。それはシド王子に感情移入したのか、その思われ人の心中を思ったからなのか、はたまたお姉さんであるミファー(シド王子のお姉さんが厄災の時の英傑であることは先生から教わっていた)のことを思ったからなのか、判然としなかったが、わたしは本当に苦しくなって涙を零してしまった。シド王子は、「久々に泳ぐか?」と背中を向けてくれた。わたしの涙を見ないふりしてくれているのだと思うけど、水にまみれたくらいでこの涙はごまかせやしない。わたしは服の袖で目をこすって、「また今度ね」と言った。