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拓人とふたり夫婦で暮らす日々と、毎月悩ませる月経の話 神童拓人 / イナズマイレブンGO | 名前変換 | 15min | 初出20131027

ふたり

 アラーム音が鳴るので、寝呆けたまま体温計をとって口に放り入れた。寝苦しい夏がおわってようやく涼しい季節になったためか、気をつけないと寝過ごしてしまいそうだった。うつらうつらしていると測定終了の音が鳴る。そっと画面を見やると、三十六度八分だった。高温期はこれで一週間続けられている。その横に五十日目と書かれているので、かなり遅れ気味なのは否めないのだが。
 隣で寝ていたはずの拓人はもう起きているようで、朝ご飯のにおいが鼻を掠めた。食卓へ向かうと、一人分の焼鮭があった。
「拓人、今日はこんな早いの?」
「ああ、ちょっと会場が遠いんだ。なまえまだ寝ててもよかったのに」
 台所で拓人は米を盛っていた。昨日のお味噌汁も。「アラーム鳴ったから起きた」と、拓人に言って席に着くと、「ああ、あのうるさいやつ」と嘲笑された。たまにわたしが体温計のアラーム音に気づかず睡眠を続けているときに、拓人がその音で起きてしまうらしいのだった。そのときは、拓人が苛立ちに任せてわたしを叩き起こすので、わたしはそれでようやく起きる。
「今一週間経ったの。あと一週間でくるよ」
 ずずず、とお味噌汁を飲んで、拓人は良かったなあと言った。同時に、そういうのってわかるもんなんだな、と感心された。月経は、排卵後およそ二週間で迎える仕組みになっている。排卵後は体温がすこし高くなるので、わたしは毎朝体温を測って、それがいつくるのか待ちわびている。わたしの場合は無い月があったり遅れたりすることが多いので、測らないままでいると不安ばかりが募り、余計こなくなってしまうのだった。
 拓人は昨日の残りのお味噌汁に、落とし卵をしていた。演奏会の本番の日は、こうして卵を食べていく。卵を食べるとうまくいくのだそうだ。げんかつぎだね、とはしゃいだが、違う本当に卵が体に効いてるんだと拓人は一歩も譲らなかった。わたしは台所まで行き冷蔵庫から鮭を出してグリルに放り込んだ。蓋を閉めて着火ボタンを押すと、勝手に九分と表示されて鮭は調理され始めた。テーブルに戻って膝を抱えながらぼうっとテレビを見ていると、拓人はぱたぱたと準備し始めた。時折テレビとわたしの間を横切り、そのたび揺れる髪がきれいで、それは出会ってから何年たっても変わらないものだった。はじめて見たときは、よもやこの男性と結婚するなんて思いもしなかっただろう。ふしぎだなあ、と膝に顎を乗せて、わたしは自分の寝癖をなでつけた。
 わたしが鮭を食べるころ、拓人は家を出た。夕方には帰ってくる、と足早に靴を履いて駆け出していった。今日は昼開演なのかな、とわたしは考える。そういえば、最近は拓人の演奏会聴きに行ってないなあ。
 旦那が仕事に行きすっかり暇になってしまったので、わたしはショッピングモールに出掛けることにした。日曜日はのんびり買い物をするに限る。小さめの使い勝手のいいフライパンが焦げ付くようになってきたので、新しいのを見繕うのが今週の目標だ。ついでに、食器も欲しい……と思ったがすぐ止めようと思い直した。ついこの間、貯金額を増やそうと決めたばかりである。拓人に言ったら反対されそうなので公言はしていない。

 きっかり一週間後の日曜日に月経はきた。朝起きたらぐっと体温が下がっていたのだ。起き上がると心なしか、だるい。ソファに腰掛けたが、腰もとても重かった。先月無かったので、今回は殊更ひどかった。ソファに掛けてあるブランケットをとって包まった。秋は更に深まり、今日は曇り空だった。
 明日の仕事さえもだるいと思ってしまう。こういうときは気まで滅入ってしまうからいけない。けれども、秋の肌寒さはけっこう好きなほうだった。後から拓人が起きてきて、ソファで二人でくっついた。生理きたよと報告すると、良かった、と一言だけ言った。できちゃってたらどうしようかと思った、と冗談めかして言ったら、それならちょっと残念だ、と拓人はわたしのお腹を撫ぜる。ぽうっと全身が温まるようだった。拓人のほっぺたにわたしのほっぺたをつけると、そこもふわふわと温かい。拓人の撫ぜる手が胸まで運ばれると、少しちくりと痛んだ。ソイ・ラテを淹れてやる、と拓人はソファを立った。豆乳は生理にいい。普段好きで飲んでいるカフェ・ラテをこのときに飲むと、わたしは腹痛が悪化する。牛乳がいけないのだそうだ。そこで拓人は豆乳に代えてみたら、とソイ・ラテを率先して淹れてくれるのだが、じつはカフェインもよくない(らしい)。だけれど、そのことはまだ拓人に言えていなかった。いいものとわるいものが混ざったものを摂るのは体には悪くても精神的にはスリルがあるものだった。
 広めのリビングの脇に置いてあるグランドピアノを見て、ふう、とため息をついた。いい家に住んでそれなりにいいものを食べて今わたしは生きている。二十代で大きい一戸建て庭付き(無印良品の家風)に住んでるだなんて、幸せが過ぎるのではないだろうか。わたしは関与していないが、かなりの資産もありそうである。あまりにも雲の上のはなしで、わたしはときに自分が幸せなのか何なのかわからなくなる。拓人が居ればそれだけでよいけれど。ほんとうは。普通の家庭を営んで人並みの苦労をして一抹の幸せさえあれば、よかった。そう言えば拓人はどんな顔をするだろうか。
 ……なんて、ネガティブだな。わたしはすぐに、思い直す。

 すっかり十月になった。拓人の演奏会ラッシュにも一段落ついたようだ。といっても、練習は毎日欠かさずやっている。わたしが外に働きに出て拓人が留守番をするようになったので、必然的に拓人が我が家の料理長となる。拓人は、けっこう料理が得意で、わたしは彼の料理が好きだ。毎晩でも作ってもらいたいくらいだ。週末も、拓人は家で練習をしたり本を読んだりたまにゲームをしたり、思い思いに家で過ごしていた。わたしも外に出るのはやめて、同じ部屋の対角線で別のことをして過ごす。拓人の横顔とか、後頭部を眺めていると、片想いしていた時期を少々思い出す。こうやって遠くから眺めていたっけなあ、と懐かしく思う。あれから十年は経って、わたしも拓人も、周りにいた人たちも随分変わった。母親になっている女友達とか海外に行ったサークルの友達とか、みんなどうしているのかなあ、と思う。そして、この調子でまた十年経ってしまったとしたら、目まぐるしく周りも変化するのだろうか。わたしは母親になっているのだろうか。ねこ、飼いたいなあ。仕事は、このまま続けたほうがいいと思う。
 そうこうしているうちに、体温は急に上がり、きっかり十四日後に十月分のそれはきた。ぽたぽたと落ち、腰が痛む。拓人は夕方まで出掛けているので、わたしが夕飯を作るのだが、お味噌汁のために切った豆腐をシンクにぶちまけてしまった。調理を中断してソファに座り込む。だるいねむいいたいせつないいたいいたいいたい。めずらしく、泣きそうになる。痛いのは、いのちのもとを廃棄しているからなのだろうか、とふと思う。腰の血流がただ悪いから痛むだけ、ということを知っていながらも、考えてしまう。思案しているうちに眠ってしまっていた。起きると、拓人がカレーを作ってくれていた。
 この奇妙なリズムを、男性が体験したらどうなるのかなと夢の中で考えた。男性は血を見るのに慣れていないから倒れる、なども聞くが、もしくるようになれば次第に慣れるであろう。そもそも女性だけにくるのは、男性に気の毒だと思う。その痛みも分からないのに、気遣いをしなければならないのだから。カレーをよそう拓人に、拓人にもきたらどうなるかなと問いてみると、振り回されそうだ、と苦笑した。カレーがテーブルに運ばれてくる。ゆで卵も乗っていた。たまごを見て、ほとんど無意味に悲しくなった。

 最近は本当に寝つきが良くなったのか、よく夢を見る。覚えていないものばかりだが、拓人が出てくることが多い。大概、夢の中の拓人はピアノを弾いていない。この間は、二人で高層マンションの階段を最上階から一気に駆け下りた。駆け下りるというより、落ちた。わたしのほうが二、三歩前におり、拓人に追いかけられる形で走っていた。追いつかれそうだった。いちいち歩くより、落ちたほうが速かったのだ。レースが白熱していると、現実の拓人に叩き起こされる。
「アラームがうるさいから、止めてくれ」
 はい、と身のない返事をして、舌の隙間に測りを潜り込ませた。レースはどちらが勝ったのか、もう一度寝たら決着はつくだろうか。仕事があるから決して二度寝はできないのが残念だった。「怖い夢をみた」と可愛い子を演じて拓人に抱きついてみることがあったが、拓人は夢をあまり見ないそうなので「かわいそうに」という顔をするだけで終わる。その日の朝ごはんは一人で食べ、拓人に見送られ出社した。雨が降っていて、鞄が濡れてしまった。いつもは自転車で行くが、今日ばかりはバスで行く。歩きなら一時間は掛かるが、会社が家から程々に近くて良かったなあといつも思う。帰りは駅前で買い物をして帰ることも多いが、今日は拓人から買い物済みとメールが着たので真っ直ぐ帰る。バスは満員でちょっと暑いのだった。
 月十万貯金できているので、残高はコツコツ増えていっている。給料も少しあがってボーナスも出たので、そこまで節約が苦痛ではなかったが、こうして三ヶ月後などに結果が少しずつ出始めると嬉しいものだ。この貯金は将来の家族のためにほぼ用意しているようなものだった。拓人は巨大な残高を抱えていると思うので貯める必要性はなかったかもしれないが、こうして少しづつ何かを我慢して貯めることでより一層良い家庭が作れそうな期待値は高まっていた(というより、良い家庭を作れなければ我慢してきたことが無意味である)。こうしてみると月経も貯金も月一度の我慢で成り立っているような気がした。

 十二月になり、すっかり冬になった。コートを着て、イルミネーション街を歩くのが楽しい。十一月はじめに拓人とテーマパークへ行った。もうハロウィンが終わるとすぐにクリスマス一色になるので、クリスマスなんてまだまだ先なのに一ヶ月以上はクリスマス気分でいられるのだった。テーマパークだけでなく、そこかしこのショッピングモールも商店街もだんだん赤黄色桃色などで華やかになっていくし、一、二月に比べればこの時期はまだ暖かくおしゃれができるので、わたしはこの時期がいちばん好きだと思う。拓人も演奏会が多くなってきた(ほとんどがクリスマス・コンサートだ)ので、わたしが作ることになった。普段は、楽なので三日に一回は焼き魚だったが、クリスマスの影響で洋風料理が滾りなんだか色々作った。滅多に飲まないが、地下倉庫に酒蔵があり拓人が多少ワインを溜め込んでいるので、それに合うように作ったりした。気温が低く作り置きもしやすいので、冬っていいなあとよく思う。鍋も美味しいし暫くは冬で良い。時期がきて、いよいよ夜中体温があがるようになり、毎朝バナナ豆乳を飲むようにした。
 クリスマスマーケットが十二月の二周目くらいから行われる手筈だったので、休日拓人と出掛ける予定を立てた。フランスのクリスマス市が日本到来、という企画なので、日本では見ないワインやらビールやらが、睫毛のくるんと上がった鼻の高い人達によって販売されたり、ときには試飲を勧められたりする。雷門町の真ん中で行われるので、そこで懐かしい人に会ったりもする。なりゆきで同窓会やら忘年会などの流れになることもある。拓人は中学時代のサッカー部の人達と会えるのが楽しみなようだった。わたしたちは今、神童邸の敷地内に家を建てて暮らしているので会おうと思えば会える人も多く居るのだが、仕事があると中々難しいのだった。

 今回はすこし、つらそうである。ねむい。ただひたすらに。体中がほてっていて、暖房が煩わしかった。休日はほとんど寝ていたかもしれない。しれない、というのは、記憶に無いのである。拓人も演奏会があり出かけっぱなしであったため、家事が大変滞った。ごめん、と帰ってきたばかりの拓人に寝ぼけながら言ったことは覚えている。次の日は平日だったが、わたしは中々起きれず、拓人に体温計を口に入れられる羽目になった。ピー、と測定終了の音がなるので仕方なしに目を開けると、まだ体温が高かった。あれ……と思う。拓人に目をやると、彼はまだ寝ていた。わたしは仕事があるので、ふかふかのスプリングから床へと抜け出し食事の準備をした。
 やがて週末になったが、この一週間はとても眠く体中がほてっていた。週末のクリスマスマーケットに行くのも怠い。金曜の仕事帰りに、妊娠検査薬を購入してみる。試してみると、陽性であった。陽性とはつまり、お腹に子どもがいるということである。思わず腹を撫でた。なんだか自分が自分でなくなるような気がした。このまま流れたりしなければ、確実にわたしは痛みを知る母になる。それって、どういうかんじなの?
 続けて、拓人との子どもなんだなと思い、途端嬉しくなった。拓人に似るだろうか、それともわたし側に傾倒するだろうか。休日三人で手をつないでクリスマスマーケットに行くのだろうか。女の子だったら三つ編みにしてあげようか。男の子だったら拓人とサッカーやるのかな。どちらにしてもピアノは習うかもしれない。
 一頻り妄想に更けると、拓人に報告すべくゆっくりリビングへ向かった。拓人はシチューを作っていた。後ろから呼びかけると、お玉を持って振り返った。揺れる髪は相変わらずきれいだった。ああ、なんて言おう。うまく言えず、「子どもが」と言ってお腹を擦った。それだけで拓人は勘付いた。お玉を置いて、目をぱちくりさせ、「おれの子……?」とつぶやくので、当たり前だと言う。拓人はみるみるうちに、にやけた。つられてわたしも笑った。
「まだ病院に行ってないから、もしかしたら、ないかもしれないけど」
「でも、なまえここのところすごく辛そうだったし、ほぼ確実なんじゃないか?」
「そう、かも」
 拓人はコンロの火を止めた。次いでわたしを抱きしめる。「からだ、あついな」と拓人はびっくりする。
「おなか空いたか?」
「ううん、食欲はあまりないかも」
「じゃあ、いいか」
 調理を止めたまま、二人でソファに座った。これからのことを話そう。拓人は言う。確実ではないのに、やたら確信だけはあったのだ。週明けには休みをとって検査に行くことにする。明日のクリスマスマーケットは、体調を見て行くことにした。ビールやワインは飲めないけれども、ふたりで木枯らしの中歩きたいがゆえだった。