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あたしのママとパパの話(1クリア推奨) アイリス・ワトソン / 大逆転裁判 | 名前変換 | 6min | 初出20170913

Ay?

 曇り空と221Bと暖炉の火とホームズくんは、私の世界のすべてだった。自分で言うのもどうかと思うが、私は若くしてそれなりに数奇な人生を送っていると思う。医学博士号を取ったり、親だと思っていた人が親でなかったり、そんな血の繋がりのない同居人は大探偵だったり。ましてや、その同居人の半自伝を書いてみて、それが世界中に知らしめられることになったり……私からしたら、どれも当たり前のことで、どれも紛れもない私の人生だった。
 私は、自分の人生が好きだと思う。でも、時に、どうしたらいいか判らなくなってしまうときがある。私は本当のパパに会いたい。でも、そうしたらホームズくんは、私にとって何なのか? ……それが、ずっと判らないままでいる。

I am lost without my Boswell.

 一方ホームズくんは、何も気にしていないようである。事件の話をしてくれるたびに、ホームズくんはこんなことを私に言う。「僕のボズウェルがいないと、困ってしまうからねえ」何の気なしの様子である。
「ねえ、ボズウェルってなに?」
 最初は聞き流していたけれど、次第に気になった私は無邪気に訊いてみたのだ。ホームズくんは、大抵のことは教えてくれる。しかしこの件ばかりはその「大抵のこと」に入らなかったようだ。おや、と小さく驚嘆されてしまう。
「アイリス、ボズウェルを知らないとなると、もう少し勉強をしてみてもいいかもしれないね」
「え、お勉強? してるもん」
「確かによく勉強しているよ。どの十歳よりも賢いだろう。でも、十歳の子が学校で見聞きしていいような軽い雑学を、アイリスはまるまるすっ飛ばしている。それじゃあ、豊かな人間とは言えないな」
 いつになく厳しく接するホームズくんに、少しだけ苛々としたのは心の内だけに収めておいてある。私が何も言わなくなると、ホームズくんはこう提案した。
「そうだ、家庭教師を呼ぼう」
 そして、私が何やかや言うのを聞かないで、三日後には家庭教師が221Bを訪れることになったのである。

「はじめまして、なまえと申します。アイリスちゃん、よろしくね」
 やってきた家庭教師は、軽やかに挨拶をした。女の人だった。きれいで、わかくて、ふんわり微笑んでくれる人だった。私はぽうっとなまえさんを見つめてしまう。ホームズくんは、「紅茶を淹れてきますね。まあ、堅苦しくなく、くつろぐ勢いでお過ごしください」と言って椅子を引いてあげていた。なまえさんはホームズくんの言葉にくすくすと笑って、腰掛ける。ホームズくんも笑ってキッチンに向かった。私は、その大人同士のやりとりを見て、なにがどう面白いのか不思議に感じた。
 それからホームズくんの淹れてくれたやや濃いめの紅茶とスコーンを囲んで、私はなまえさんの持ってきた様々な問題に取り組んだ。なまえさんの課すものはすべて実戦的なものだった。たとえば、チャールズとジョンという人たちがいてこういう理由で喧嘩をしていたのだけど、アイリスちゃんはこれをどう思う? とか、ある雑誌の切り抜きを持ってきて、一つの主題を様々な視点から見てみたり、とか、そんな感じだった。そして、帰る前に一冊本を置いていく。来週までに読めるだけ読んでみて、とやはり優しく笑いかけてくれた。私は、無意識に表情が綻ぶのを感じた。なまえさんの置いていった本は何が何でも全部読もう、なまえさんに褒めてもらいたい……私はそう思って本を大事に胸に抱いたものだ。

 なまえさんが来るようになって三ヶ月、私の人生のすべての中になまえさんがいるのがすでに当たり前になったときのことだった。たまたまホームズくんに急用があって、なまえさんが来ている間に三十分ほど下宿を出たことがあった。ホームズくんが席を外すのは初めてのことだった。だから私は、ホームズくんが居たせいで今まで訊けなかったことを、今こそ、と訊ねてみることにした。
「ボズウェル?」
 突然訊ねられたなまえさんは、きょとんとする。「あの伝記作家のことかしら?」そう言い、鞄の中に入っていた分厚い辞典を取り出して、私のために引いてくれた。伝記作家。その情報だけで、ホームズくんの言葉の半分が紐解かれてゆく。つまり、僕の伝記作家がいないと困るからね、ということ?
「ボズウェルは英国でとても有名な人よ。えーと……あったあった、ジェイムズ・ボズウェル。一七四〇年生まれ。弁護士、著述家。スコットランド出身。英国伝記文学の最高傑作『ジョンソン伝』の著者。……アイリスちゃん、読んでみたいの?」
「あ、うん……いずれ」
「ジョンソン伝は確かに必読すべき本ね。わたしも学校で読まされたなあ」
 ふふふ、となまえさんは笑った。
 ところでどうしてそんなこと訊いたの? となまえさんは首をかしげた。私は正直に話してみる。するとなまえさんはまた優しげに笑った。
「きっと、あたしがホームズくんのお話を書いているからなの」
「そうね。でも、それ以上の意味もあるなあって、わたしは思ったよ」
 なまえさんは、それ以上のことは言わなかった。そしてにっこり笑ったまま、その繊細な手で私の頭をなでた。
 私は……ホームズくんの思惑が、やはりまだ判らないままだった。でも、それでいいのかもしれない。判ってほしいことならば、もっと判りやすい言葉で伝え直せばいいはずだ。私はなまえさんに身体を預けた。
 なまえさんが、あたしのママだったらな。それで、ホームズくんは、あたしのパパ。三人なかよく、毎日ずっと過ごしていけたら……。そんな些細な仕合わせを願うのは、よくないことなのかな? ……ねえ、パパ。