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ありとあらゆる用事に巻き込まれるホームズの苦労話(1クリア推奨) 大逆転裁判 | テキスト | 17min | 初出20170828

大探偵の長い一日

 何故、人は分身できないのか。右腕をアイリスに掴まれ、目の前には戸惑い顔の東洋人ふたりとコインを指で弾くミス・ジーナ。電信の向こう側には顔をしかめた死神くんがいて、そこの床では刑事が死んだように項垂れていた。
 ……僕は、忙しい。朝から言っていると思うが、忙しいのだよ、諸君。それなのに、どうしてきみたちはそうやって大探偵を困らせるのか?
「何とかできるよね? だって、ホームズくん、大探偵なの」
 そう言ってアイリスは僕の腕を引っ張った。



 僕がこの日どれだけ忙しかったか、事の発端から順序立てて説明してあげよう。まずこの日の僕は、僕にしては珍しいくらいの早起きをした。……朝の七時。まあすでに陽は昇りきっていたが、僕の生涯もっとも忙しい一日はこのようにして幕を開けたのである。
「わっ、ホームズくん、もう起きたの!?」
 居間へ行くと、アイリスたちはすでにわいわい朝食をとっていた。アイリスはカップを片手に、僕のあまりの起床の早さにただ驚いた。ミスター・ナルホドーはちょうどパンを頬張っていて、言葉を発さないまま僕に会釈だけをした。ミス・スサトは「おはようございます、ホームズさま」と丁寧に挨拶してくれた。三人もいて、まともに挨拶があったのは彼女だけである。
「起きると思っていなかったから、朝ごはん、作ってない……」
 アイリスは肩を落としてしまう。僕はすぐさま「や。いい、いい。これから出かけるんだ」と言って、鹿討帽を被った。アイリスはまた驚いて、あれこれ僕に尋ね出す。
「どこに?」
「ヤードに」
「えっ、なんで、事件?」
「先月のね。今日、やっと、裁判がおこなわれるのさ。裁判で使いたい僕の供述書のサインが漏れていたとかでね、昨晩電信がきたのだよ……明日早朝、ホワイトホールに来られたし、ってね。全く、そっちから来てくれればいいのに」
「ふーん。そうなんだ。行ってらっしゃい!」
 アイリスは先ほどの申し訳なさが一転、唐突に僕に無関心になり、朝食の盛られた皿へ向き直った。居候の友人たちも、「行ってらっしゃい」「行ってらっしゃいませ」と一言述べると、まるで僕が透明人間になったかのように三人でなかよく談笑し始めた。……僕は、若干拗ねた。帰ったら、無制限に喋り倒す面倒なやつになってやろう……そう、思っていたのだが。まさか、逆に、みんながみんなして僕に面倒を掛けてくることになろうとは、このときの僕は知る由もなかったのである。



 ヤードへ行き、受付でグレグソンを呼び出す。グレグソンは十五分も僕を待たせ、登場した。相変わらず、くたびれた様子である。左手には揚げ物がしっかり握り込まれている。僕の素晴らしい洞察力をもってすれば一目でわかることだけど、それを食べなければ、彼はもっと早く来れたのではないだろうか。
「悪いな。ではここにサインを」
 ペンを紙を渡され、僕は一応内容を確認した上でさらさらとサインした。僕がそれにかけた時間は、二秒ほどだった。記入が終わるとグレグソンは紙を攫って、「ご苦労だった」と呟やくようにいい、面倒臭そうに僕を玄関まで見送った。僕は帰りの挨拶がてら与太話を挟み込む。
「いやはや、僕も証言台に立つことができればいいのだがね。あいにく、別の事件を追っている最中でもあってね……」
「ああ、来なくていい。呼んでいない。さようなら。お元気で」
 遮るように、グレグソンに背中を押された。それも、ちょっと押したとかではない。ぐいぐいと力任せに押し出され、僕は強制的にスコットランド・ヤードを後にすることになった。扉がバタンと閉まり、僕はグレート・スコットランド・ヤードの通りでしばし立ちすくむ。
 やれやれ……呼んだのはそっちだっていうのに、ヤードには人の心ってヤツがないのだろうか? 僕は心の中で文句を言ったつもりだったが、声に出ており、しかも結構大きい声だったようで、入り口を見張る守衛に気まずい顔をされた。
 まあでも、僕の忙しい一日一発目の用事はこれで難なく終わった。今日は後二つ、ゆっくりと問題を片付けていけばいいだけだ。僕は口笛を吹きながら、下宿にそのまま帰った。


「ただいま戻ったよ、諸君!」
 意気揚々と下宿に戻った。しかし、僕の部屋にいたのは、アイリスだけだった。アイリスは、にこっと笑って出迎えてくれた。
「あ、おかえりなさいホームズくん! まってたの。あのね、あのね、今日は日曜日でしょ?」
「ああ、今日は日曜日だね」
「日曜日は、あたしと一緒に居てくれるよね?」
 そんな決めごとは今までしたことがなかったけれど、とにかくアイリスは僕になにかお願いしたいことがあるようだった。
「古物市とハーブ・マルシェと大道芸展があるの。ホームズくんだったら、どれに行きたい?」
「え。大道芸……かな」
「あたし、全部行きたいの」
 アイリスが両手をあわせ、ぴょんと飛び跳ねてお願いする。いかにも可愛らしく……いかにも、狡いお願いの仕方だった。そして、彼女のこの類のおねだりを目の当たりにするのは、今回が初めてではない。
「出た! アイリス、そういう長い外出をしたいときは三日前までに言うようにいつも言っているだろう」
「言ったもん。ホームズくんいつも忘れるの」
「僕が忘れることを逆手にとって、三日前までに言ってないだろう」
「忘れるのが前提なのっておかしいと思うの」
 確かに、もっともだった。
「ねえ、いいでしょ? 先週もどこにも行ってないんだよー!」
 アイリスはひたすら駄々を捏ね始めた。僕が紅茶を淹れる間もテーブルの周りをぐるぐると回って、僕がソファに座ると隣にやってきてシャツを引っ張った。
「アイリス、僕はこう見えて忙しいんだよ。帽子の持ち主も待っていなければならないし、この間依頼のあったささやかな事件の調査もしなければならない」
 僕は帽子を指差した。これは一週間ほど前、そのへんの通りで拾ってきた代物である。新聞の落し物欄に載せたので、持ち主が来るのを待っているのだ。保管期限は本日までとしているので、せめて今日は下宿にいなければならない。入れ違いになったら、お互い嫌だろう? 僕ももういい大人だから、そのへんはしっかりわきまえているのさ。
 そして、ささやかな事件、とは、いわゆる浮気調査である。それも、一般市民ではない。調査対象は、ナイトの称号を持つ者だった。その彼は、僕の見立てによると誰かを欺くのが得意ではなさそうだった。つまり、僕が出かけて調査をするほどのものではないということだ。そのため、ミス・ジーナに五シリングと写真機を渡し、調査をお願いしたのだ。今日、彼女がその報告に来てくれる予定なので、そういう事情も重なって、僕は出かけるわけにはいかないのだった。
「じゃあ、ジーナちゃんが来たらおでかけしようよ」
「……僕の話聞いてたかい?」
 アイリスが笑い、僕が肩を竦めたと同時に、屋根裏からミスター・ナルホドーたちが降りてきた。何やら、本を大量に持っている。
「ホームズさん! この間、図書館に連れて行っていただいたと思うのですが、そのときに借りた本、本日が貸出期限で。ホームズさんの名義でお借りして、確か返すときも本人が行かないといけない決まりだったと思うので、付いてきてもらえませんか?」
「…………」
「ホームズさん?」
 本! しまった、そういえば、そんなコトもあったな……自分の用事ではないのですっかり忘れていた。つまり、僕は今何を優先しなければならないのだろう? 帽子、本、ミス・ジーナ、本、ミス・ジーナ……。
「ホームズくん、忙しいの」
 僕の腕を引っ張りながら、アイリスが口を挟む。
「そうなんだ。ホームズさん、お忙しいところすみません」
 ミスター・ナルホドーは苦笑しながら軽く頭を下げた。「これでいいんですよね?」とでも言いたげだ。その便利な修辞句を付ければよいという話ではない。
 しかたなく、僕は彼らにも、帽子の話と事件の話をしてやった。彼らは、「そうなのでございますね」「ほほお」と言いながらも、一向に僕の忙しさに同情する様子はない。
「でね、帽子の持ち主がやってきて、ジーナちゃんが来たら、一緒におでかけするの」
 アイリスは嬉々として、勝手に予定を付け加えた。
「あ、ではそのときついでに図書館もお願いします!」
「いやいや、そんなに後手に回したら図書館が閉まっているかもしれないだろう! はあ。しょうがない……期限を破ったら、僕が本を借りられなくなるしね……」司書さんの中に、僕が弱みを握っている人がいたら良かったのだが。「……今から返しにいってあげよう」
「ありがとうございます!」
「ただし! ミスター・ナルホドー、ミス・スサト、きみたちは留守番だ。帽子の人がきたら事情も聞かず返してやってくれ。それと、ミス・ジーナが来たら引き止めておいてくれ」
「わかりました!」
「アイリスは来るかい? 古物市は図書館の近くだろう?」
「えっ! 連れてってくれるの?」
「僕が本を返す手続きをしている間だけだよ」
「わーい!」

 それで、僕とアイリスはたくさんの本を持って図書館に向かった。僕は本を返し、近くのパン屋で遅い朝食を買い、食べ終わってから古物市に向かった。アイリスはいくつか買い物を済ませていて、僕の姿を見るなり名残惜しそうに「じゃあね……また来るからね……」と言って出店者を困らせていた。僕は彼女の手を引いて、下宿に戻るべく馬車を拾った。
 いやはや、僕の稀有な能力をもってしてこの修羅場とも言える大変な事態をこうして乗り越えることができた。それは、単純に達成感があった。が、しかし……その代償として、僕は昼前にして、すでにそこそこ疲れてしまっていた。一応、今日のメインとなる用事は、収入源でもあるミス・ジーナの来訪なのだが……(あと帽子……)そのときまで少し昼寝をしてもいいかもしれない。なにしろ、今日は七時に起きたのだからね!
「ホームズくん、あとハーブ・マルシェと大道芸もあるの、三日前から言ってるの」
 ……僕は馬車の中で寝たふりをして、アイリスの無邪気なお願いにしばし耳をふさいだ。



 僕たちが下宿に戻ると、ミスター・ナルホドーがおかえりも言わないまま、一番に留守番の報告をした。あの帽子の持ち主が、取りに来られたそうである。それはそれは、よかったよかった。なんと一度で二個も用事が片付いたわけだ。僕の先の選択はとても冴えていたと評価せざるを得ないだろう。
 アイリスは「そろそろお昼ご飯作り始めるね」と言ってミス・スサトとキッチンに入っていく。ああ、穏やかな昼下がりだ。ここいらでようやく、僕はミス・ジーナを待つだけというシングルタスクに戻ることができたのである。……しかし、そんな安堵も、昼食のあいだしかもたなかった。グレグソンが遠路はるばる221Bにやって来たからだ。

「やあ。グレグソンくんじゃないか! 今朝方ぶりだね。出向いてくれることがあるなら、今朝僕をヤードに呼ぶこともなかったろうに」
「貴様がこちらの事件に首を突っ込んでこなければ、そんなことにはならなかったんだ」
「僕の証言が、きみたちの立件の証拠になっているのだから、もっと褒め称えてもらいたいものだね」
「……まあ、いい。今回伺いたいのは、全く別の問題なのだ」
「……と、いうと?」
「午前中、紳士の来客がなかったか?」
 暖炉のそばで火を眺めていたミスター・ナルホドーが「あ!」と言った。帽子を取りに来られた方ではないですか、と彼は可能性を告げる。留守番をしていたその人がそれしか可能性がないというのだから、おそらくそれがグレグソンの求めている答えなのだろう。
「帽子……!」
 しかし刑事は、求めている答えがわかったと思われるのに、絶望的な顔をして右手に持った揚げ物を捻り潰してしまった。マッシュドポテトが食べたいなら、揚げる前に潰しておくことを、思わず勧めそうになる。
「どうかしたのかい?」
「……、実は。ここに来た紳士は実は通り魔事件の被疑者で、その帽子はもしかしたら重要な証拠品だったかもしれないのだ」
「おお。それはそれは。やっちゃったね、ミスター・ナルホドー」
「え! あ……すみません! そんなこととはつゆ知らず……?」
 ミスター・ナルホドーは、「僕が悪いのかしらん?」という顔をしている。グレグソンはこれ以上ないほど崩れ落ち、項垂れていた。落ち込んでいる暇があったら、早く追いかけたらどうだろう。それにいくら僕が名探偵だからって捜査の機密をやすやすと話すとは、グレグソンも間の抜けた刑事くんである。
「刑事くん、その床はあいにくきみのベッドじゃないのだがね。お昼寝をしたいなら、ヤードの庁舎三階の仮眠室をお勧めするよ!」
「なぜ仮眠室の場所を……あんた、もしその部屋を訪れたことがあるなら、完全に不法侵入だからな」
「なるほど。肝に命じておくよ」
「……それより、帽子だ、帽子! ヤツはいつ来た? 何処から来た? 何処へ行った?」
 グレグソンは辛うじて立ち上がり、余力を振り絞って質問をしまくった。僕は、答えを知っているであろうミスター・ナルホドーに目線をやる。僕の視線に気づいた彼は「うーん……」と少々唸ってから、こう答えた。
「三十分ほど前だったかと思いますけど……何処から来て、何処へ行ったか、まではちょっと。本当に帽子を渡す事務的な会話しかしませんでしたし」
「早く追いかけたほうがいいんじゃないかい?」
 僕はとどめを刺すように言ってやった。グレグソンは、顔をくしゃくしゃにして僕を睨みつけている。やれやれ、何処に探しに行けばいいのかわからないなら、素直にそう言えばいいのに。

 そうこうしているうちに、僕らの下宿の扉は、またも別の人物によって豪快に開かれた。入り口に立っていたのは、息を切らした巡査階級の警官だった。彼はミスター・ナルホドーに負けないくらいの真っ黒な制服に身を包んだ若者で、高揚した様子で僕のファミリーネームを呼んだ。
「今すぐオールドベイリーにお越しください! バンジークス検事が、貴方の供述書について証言を求めています!」
「なんだって?」
 巡査は、僕に電信を渡した。他ならぬ出頭命令の電信である。僕は、グレグソンを見た。グレグソンは、素知らぬ顔でスッと視線を逸らした。
 元気な巡査はこう続ける。
「バンジークス検事から伝言を預かっています!」
「ほお。そいつは興味深いね」
「『貴様の供述書がなければすべて筋が通ったものを、一体これはどういう心づもりか?』と仰せです!」
 ミスター・ナルホドーが「あはは」と笑うのを、僕は聞き逃さなかった。
 ……しかしまあ、「どういう心づもりか」と、そう来たか。どういうも何も、単に僕の実験劇場の結果なのだが。それに、それを受理したのは、他ならぬグレグソンである。だからこそ僕は彼に視線を投げかけ続けているのだけれど、奴は見ないふりしてメチャメチャになった揚げ物を小動物のように食べていた。

 どう答えようか言いあぐねていると、今度は入り口からひょっこり、ミス・ジーナが顔を出す。
「ホームズ大変! あいつに逃げられちゃったよ」
「…………え」
 ミス・ジーナは僕の貸したカメラを首から下げ、困ったように腕を組んだ。すかさず巡査くんが、また一声叫ぶ。
「ミスター・ホームズ、オールドベイリーにただちに!」
「…………あー」
 咀嚼を終えたらしいグレグソンも、黙ってはいなかった。
「ホームズ、手が空いたらでいいんだが……帽子のことをだな……ちょっとでも、何か、その……推理で、わからないか?」
「…………」
 アイリスが僕の横までやって来て、腕にぎゅっと抱きついてきた。
「ハーブ・マルシェと大道芸! ね、ホームズくんならなんとかできるよね?」
「…………」
「だって、帝都の大探偵だもん」
 いや、その推理は誤っているよアイリス……僕の頭は最上級に凍りついてしまっていたが、なんとかそれだけは判断できた。しかしその貴重な判断は、この重なりすぎた悪夢になんの効果も発揮しなかった。僕は、僕を困らせる面々……アイリス、グレグソン、巡査くん、とその向こう側の死神くん、ミス・ジーナ……をぼうっと眺め、最終的にミスター・ナルホドーに辿り着く。彼は、無邪気な微笑みを浮かべ突っ立っていた。僕は念のため、縋るように彼の顔を見つめてみた。しかし彼は、手を頭の後ろにやり、あはは、と頼りなく笑うのみだった。