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少女と探偵(ネタバレなし) シャーロック・ホームズ / 大逆転裁判 | 名前変換 | 6min | 初出20160604

憶測

 アイリスがなまえを家に連れてくるようになったのは、彼女らが十歳くらいになった頃合だっただろうか。学校で出来た友達なのだとアイリスが嬉しそうに言っていたのを、ホームズは微笑みながら暖炉の前で聞いていた。安堵したのも事実だった。アイリスは歳のわりに賢いばかりに、友達らしい友達を家に連れてくることが今まで殆どと言って良いほど無かった。アイリスのことだから上手くやってはいるのだろうけれど、それはつまり、仮面を被っているのと同じことだった。だからこそなまえという友達と週に一度は遊んでいることが、保護者代わりのホームズにとっては喜ぶべき事象だったのである。
 今日の放課後、アイリスは執筆活動のことで出版社に行く用事があった。ホームズも論文の仕事を切り上げ、彼女を学校まで迎えに行く。季節はもう夏。ロンドンの空気は相変わらず濁って太陽光を遮っていたが、薄手のシャツにジャケットがあれば十分歩き回れる気候だった。
 正門の前で待っていると、アイリスがなまえの手を引いてやってきた。「おや」ホームズは疑問に思う。どうして彼女の小さい友達も一緒なのだろう?
「あのね、出版社に行ってから遊ぶの」
 アイリスはるんるんと答えた。ホームズと話すとき、いつもはもう少し理路整然と話すのに、幾分子どもらしさのある喋り方だった。どうやら、なまえも出版社に連れて行き、そのまま家に連れて行って、遊ぶというのである。やれやれ、とホームズは思ったが、快諾した。ひとり増えたところで別に馬車の代金があがるわけでもないし(上がったとしても乗せていくけれど)、アイリスが嬉しそうでなまえも困っていないのなら、まあいいや、という工合だったのである。ホームズは待たせている馬車のところへ行って、アイリスの手を引っ張って乗せ、次になまえにも同様のことをした。彼女らはきゃっきゃと楽しそうにしていた。
 出版社に着くと、入り口まで来ていた担当者のあとにアイリスはくっついていく。ここから先は秘密だから、とホームズとなまえは残されてしまい、彼らは別の社員によって待合室と思しき場所に案内された。
「アイリスのパパ」なまえは可憐な声で言った。「今日は探偵しないの?」
 ホームズは、どう答えるべきか言葉に詰まった。まず、彼はアイリスのパパではない。そして、探偵としての依頼は今のところないし、あったとしたらこんなところでゆっくり座ってはいないのである。しかし、そんな事情をこの女の子は知らない。予想できるわけもない。だから説明をしてやらなければならないのだけれど、どこからどこまで噛み砕いて言うべきか、彼は少し困ってしまう。
「ぼくはね、アイリスのパパではないんだ。預かっているだけなんだよ」
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、アイリスのパパって呼んじゃだめ?」
「まあ、できればね」
「なんて呼んだら良い?」
 うーん。ホームズは唸った。「おじさん」は嫌だし。「ミスター・ホームズ」も、なんか変だし。結局ホームズは「アイリスと一緒で良いよ。ホームズくん」と答えた。
「ホームズくん」なまえが言う。
「そう、ホームズくん」
 ホームズは同じく繰り返しながら、なんて牧歌的な響きなのだろう、ホームズくんって単語は、と半ば自嘲気味な感想を抱いた。ぼくも随分、家庭的になったものだ。かつての若かったころの自分が見たら、どれだけ嘆いたことだろう……そう思った。
「そして、今日は探偵の仕事はないんだ。残念ながらね」
 ホームズは、なまえからの質問に遅ればせながら回答した。なまえは目を大きくして、へえ、と感嘆した。そのあと、「わたしのパパはね、あまり休みがないの」と言った。すこしばかり悲しそうである。
「お父様は何をしてらっしゃるんだい?」
「え? あ……何の仕事かってこと?」
 思わず、うっかり、大人に聞くのと同じ聞き方をしてしまった。ホームズは焦って、「そうそう、パパは何の仕事をしているのかな」と優しい言い方に変える。
「鉄道のお仕事」
 彼女はすらすらと述べた。きっと言い慣れているのだろう。ホームズは、鉄道か、と納得した。気性の荒い大変な仕事だろうと思う。労働者と会社の軋轢がどの程度あるのかくらいは、ストライキの具合を見れば明らかだった。ホームズはその後頭の中で様々な仮説を立てては崩していたけれど、なまえとの話はそこで終わってしまう。
 なまえはホームズをじっと見た。ホームズは視線に気づいて、目を泳がす。小さい子、ことに女の子の考えることは、よく判らなかった。子どもが何かを疑問に思い、好奇心に基づいて何かを考えていることは、本当に判らないものである。そこに理論なんてものは存在しないからだ。
「何か、気になったことでもあるのかい?」
 ホームズは、たまらず声をかけてしまった。ホームズの思いと裏腹に、なまえは焦って顔を逸らしてしまう。沈黙。そのあと彼らは一言も話さないまま、アイリスが来るまで時計の音をじっと聴き続けるのみだった。
 打合せを終えたアイリスがやってきて、彼らは何事もなかったかのように出版社を後にして馬車に乗り帰路につく。なまえもそのまま家にやってきて、アイリスとママゴトのようなことをして、十七時くらいには家を出た。徒歩で送っていける距離だったので、三人でストランド通りを歩いて、帰りはアイリスと二人で帰ってくる。
「ねえホームズくん」アイリスは帰り道、ホームズに話し掛けた。「なまえが、ホームズくんのこと格好良くて優しいねって言ってたよ」
「え? なんだって?」
 ホームズは思わず聞き返してしまった。アイリスは呆れたような表情をして肩をすくめた。やれやれとでも言うように。アイリスの目には、ホームズがとぼけているように見えたのだろう。
「あと、家にいてくれていいね、だって。それはまあ確かにそうかもしれないの。あたし、まだ未成年なわけだし」
「はあ、まあ、それはそうだな」
「でも、手を出しちゃだめなの、ホームズくん」
「我慢するよ」
 十歳の女の子にたしなめられ、ホームズは気まずさから頭の後ろを乱雑に掻いた。とにかく、なまえの家庭事情がどうか穏やかなものでありますように、とホームズは思うばかりだった。彼女の言葉や仕草の理論に基づいて推理をしてみるが、どれだけ組み直しても、あまりいい結果をもたらさなかったので。