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銀の美しさに騙された一真様は、その刃をわたしの喉に突き立てる(ネタバレなし) 亜双義一真 / 大逆転裁判 | 名前変換 | 4min | 初出20160603

ナイフの握り方

 ぎゅっと。その仕草は、そういった可愛らしい擬音で喩えるのが相応しいかと存じます。尤もそのときのわたしにはそういったことを考える余裕すらなく、ただひたすらに心臓の跳ね回るのを胸の内で感じながら、如何することもできなかったのでございますが……一真様はその大きな右手の手のひらで、わたしの右手を「ぎゅっと」くるんでおいででした。わたしの背中には一真様の温もりが、リネンのシャツ越しに伝ってきておりました。生地の厚い着物を、わたしは着ていたのでございますが、彼の熱の前では本当に薄く感ぜられて……まるで肌と肌とを直に合わせていると思ってしまうほどに、熱かったのでございます。だからわたしは余計に心内が乱れて、如何しようもありませんでした。
 握り込むのではない、人差し指を立てるのだ。
 わたしの耳元で、低い声を立てられます。思わずわたしは身がすくんでしまうのを堪えました。わたしの右手には、ナイフ。英国から渡ってきた銀の美しい流線は、何であろうとも鋭く貫き切り裂いてしまいそうで、わたしはまた怖くなってしまいました。それを察した一真様は、すかさず、大丈夫と声を掛けてくださいます。ですが、わたしの心臓は地獄の底から這い上がってくる無数の手によってきつく縛られ、身動き一つ取るのも難しくなっていたのです。
 一真様は右手の力を緩めると、恐怖のあまりナイフを強く握り締めるわたしの手を解き始めました。人差し指、中指、薬指……一本ずつ外してゆきます。その手の動きの艶やかさといったら、今思い出しても得も言われぬ感覚でございます。緩まったわたしの指は、手は、一真様の手によって支えられ、あっという間にナイフはわたしの手の内にありながら一真様に握られてしまったのです。
 なまえ、ナイフが握れないと。一真様が静かな口調で言います。今度の食事会で使うのだから、と。優しく諭すように仰せられました。わたしの手は力が抜けきって、一真様が手を離せばたちまちナイフを落としてしまうことでしょう。ナイフは、一真様の意のままにできるのでございます。……例えば、この場でわたしの喉を掻っ切ることだって、可能です。わたしは考えてはならないと思いながらも、猟奇的になった一真様のことを思わずにはいられませんでした。銀の美しさに騙された一真様は、その刃をわたしの喉に突き立てる。もしくは手首かも判りません。わたしの着物は一真様の鉢巻と同じく真っ赤に染まって、それは生温かくて儚い、鼻をつく匂いのする、わたしのいのち。こう考えてしまうのは、つい先立ってナイフによる傷害事件が新聞を賑わせたばかりだからでしょうか。それとも、一真様の吐息がすこしばかり熱いからでしょうか。愛が、際限なく注がれる愛が、無意識に重たいからでしょうか。こう思うのも背徳で、思わないのも罪悪であるような気が、どうしてもわたしの中でとぐろを巻いてございます。でも、一真様は決してこのようなことはなさらない。判っております。…………。
 一真様はわたしの手を離して、今度は一人で握ってみろ、といきなり仰せになりました。それはあまりに急なことでしたので、わたしはナイフを落としてしまいました。銀でできた、わりに重たいナイフは、わたしの手を滑り落ちていく前に、ぴっと、わたしの腕に線を描いて落ちてゆきました。その線は暫く穏やかで細い、薄い線のままでしたが、次第にぷっくりとした赤い実が出たかと思うと、それはもう立派な傷となり、後ろにいた一真様が息を飲むのが聞こえました。救急箱、救急箱、と使用人を呼び立てます。わたしはたいした出血量でもないのに、くらくらして参りました。誰も悪くはありません。怖いのは、ナイフではない。一真様でも、ない。一真様の喉を切ったらどうなるのだろう、などと考える、わたしの狂った思惑がこわいのです。