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高校生の話 霧野蘭丸 / イナズマイレブンGO | 名前変換 | 42min | 初出2015

Invention

 いつも通りの水曜日、河川敷にて三人でサッカーをしていたときのこと。季節は冬に差し掛かろうとしている頃だった。髪を切ろうかと思ってさ、とキリノが唐突に言った。
「また、どうして」神童が聞く。
「いや、なんとなくだけど」キリノがボールを蹴った。
 そうか。神童はそれほど興味がないのかそれ以上は聞かず、わたしの方へ丁寧にボールを蹴る。神童はいつもこうして丁寧に正しい方向にボールを蹴ってくれるのだけれど、そのとき蹴られたボールはわたしの目の前を通り河べりまで転がって、ぱしゃんと音をたてて少し濡れた。その光景を、わたしは目を丸くして見ていた。
「なまえ、どうしたの、取ってよ」
 キリノがいつもの頭良さそうな笑顔で言うので、わたしは咄嗟に小さい返事をしてボールの後を追った。濡れたボールは砂利がついていて、触ると少しざらついた。手が汚れてしまった。わたしはそのままポケットに入っていたタオルで手を拭いたが、今度はタオルを汚してしまった。先に川で手の泥を流せば良かった、と気づいたのはその日の入浴時である。蹴るボールなのだから、手で触らなくても良かったことに気づいたのはその次の日の朝である。
 そういえば神童、またコクられただろ、キリノは少しざらついたボールを蹴った。見ていたのか、と神童はボールを止めた。わたしは繁く神童がコクられていることを知らないので少しおどろく。おどろいたけど、納得してしまう。だって、神童かっこいいものね。キリノは、「昨日のは下駄箱でみたんだ」とわたしにこっそり教えてくれた。昨日のことらしい。
「髪の長い女の子だったな。神童、髪の長い子タイプだったろ。今回のはもしかすると」
「言っておくが、はっきりと断ったぞ」
 えー、はっきりと、なんて、へええ、よくできるなあ、とわたしは感心した。神童は、べつにすごいことではないと言う。キリノは納得いかないようで、「なんで断ったんだ。そんなに、好みじゃなかったのか?」と問う。わたしも明瞭な理由がない限りはっきりと断るのは無理だと思っていたので、なんでなんでと二人して神童に訊いた。神童は苦笑いを浮かべ、決して理由を述べることはなかった。次第に此方も飽きた。
 冬になろうとしている。段々と日が短くなり、水曜の放課後サッカーも三十分やれるかどうか、であった。水曜日にこうして三人でサッカーをするようになったのは、高校一年生のときからだ。中学校が同じという縁から定期的に集まるようになったのだった(神童とキリノは小学校も同じだった)。サッカーといっても、サッカーボールを三人の間で延々とパスしているだけのなんとも緩いものである。時にはただ食べ物をつまみながら喋るだけのときもあるが、わたしたち三人は兎に角よくノンビリ話しながらボールを蹴っていた。話す内容は、ライティングの先生のシュールな言葉遣いだったりとか、世界史の非常勤講師の冴えないトークのこととか、本当に他愛のないものである。神童もキリノも、一応サッカー部に所属はしている。ただ、高校のサッカー部はあまり活発ではなかったし、キリノも神童も、活発にやろうとは最初から思っていなかったと聞く。神童は水曜以外は合唱部に精を出し、キリノは塾通いに精を出し、わたしは帰宅に精を出していた。
 肌寒くなってきたこともあり、わたしたちは早々にサッカーを切り上げ、帰ることにした。河川敷を暫く行くと駅前に出る。本屋の通りに出ると交差点があるのだが、キリノとわたしはそこで左に曲がるので、神童とはその道で別れる。
「結局、好みじゃなかったんだね。神童に告白した子」
 手を振って神童と別れた後、わたしはふと思い出してキリノに言った。キリノは数秒だまって、そのあと、そうかな、と言った。あいつ、高校入ってから、俺が見てる限り三回は告白されてるけど、全部「はっきり」断ってるんだ。女の子、かわいいのに。一途に好きな子でも居るんじゃないか。キリノはそう見解を述べてから、「そんなに思うことあるなら、おれに相談してくれてもいいのにな」と口を尖らせた。
 あれ、そういえば、なんでキリノは髪を切るんだっけ。神童の話をして芋づる式に思い出したわたしは思わず、あ、と声を上げた。え、とキリノは律儀に訊いてくる。
「髪の毛、切っちゃうの」
 きれいなキリノの髪が揺れた。
「え、ああ、そうだな。なんだ、そんなことか」
 キリノはにっこり笑った。そんなこと、ではない。わたしは心の中でどなる。こうして揺れる髪がもう見れなくなるのは寂しかった。
「ショートもいいだろ。クラスの女子に、切ったら、って言われたんだ」
「なにそれ、ますますよくない」
「おれ似合うよ、たぶん」
「似合うけど」
 郵便局の曲がり角まで来て少し立ち止まったあと、キリノはじゃあなと手を振った。この角の二十歩先がキリノの家で、わたしの家はまっすぐ五十歩くらいである。反射的に手を振ったわたしは、そのままその手を口元にあてた。砂利のにおいが鼻をかすめる。
 あのとき、髪を切ると聞いて、きっと、少しばかり動揺をしたのだ、知らないキリノが居ると知って、こころがざわついたのだ。動揺なんかしなければ、手もタオルもよごれなかったのにな、なんて今更になって思う。
 神童は三回告白されていることは今日判明したが、キリノのほうはどうなんだろう。考えたってわからない。聞いてみようかなと思ったことは幾度となくあるが、聞けないままなのはわたしが意気地なしだからだ。ふう、とわたしはため息をついて、家のドアを開けた。



 神童は、合唱部でピアノを弾いている。アカペラの場合は、バリトンかテノールのセカンドへいく。低くも高くもない声で、と神童は苦笑いをするのだが、その落ち着いた声色で何人の女の子が惚れたのかなあ、とわたしは思う。
 神童は水曜日の放課後サッカー以外は部活動に勤しんでいる、とわたしは勝手に一年生のときに思っていたが、それは間違いである。活動は火曜と金曜にしかないらしいということを、二年のときに知った。神童とクラスが同じになったのだ。更に、神童とは常に席が近く、わたしは神童とよく話すようになった。席が近くなった理由は、担任の教師が不真面目な生徒への戒めのために、テストの成績で席順を決める方針を立てたためである(以降、テストの度に席順を細やかに変えている)。ドア側の席から横に連番に座り、窓際までいくと次の席は二列目のドア側に戻ってくる。神童はドア側一番前で、その後ろにわたしが座るのが定位置になった。これは、三年次の十二月まで続く。
「なまえは、いつ霧野と知り合ったんだ」神童は休み時間になると度々振り返って話しかけてくれる。二年の春頃は、お互いの家のこと暮らしぶり生い立ちなど質問し合った。一年間サッカーをしていたが、わたしたちは相手の素性をまるで知らなかったのである。
「キリノとはね、中学のときクラスが一緒で塾も一緒だったんだ」
「家は近いのに、小学校は一緒じゃなかったよな」
「そうだね。わたし、九歳ごろこっちに越してきて、そのときはほかの私立の学校に行っていたから」
 引っ越し直後、探検と称して、わたしは引っ越した次の日から家の周りを散策するようになった。百十歩ほど進んだころ、きれいな庭付きの、少し大きな家を見つけた。そこの庭で、明るい髪色の子がひとりでボールを蹴っていた。結んでいないセミロングの髪がさらさらとゆれた。わたしはその子を女の子だと思った。表札には「KIRINO」とある。わたしは気になるものがあるとずっと見てしまう癖がある。じいっとしばらく見ていると、キリノ家の子が此方を見た。見ない顔だけどもしかして、と高い声で言った。大きな声である。わたしは興味津々にキリノ家の柵まで寄っていき、引っ越してきたの、と言った。やっぱり、とその子は笑った。
「最初はね、女の子の友達ができたと思って嬉しかったんだ」
「ははは。そうだよな。霧野は昔から髪長かったし」
「神童も、そこそこ長いと思うけどな」
「少し長いと、落ち着くから。それで、いつ、霧野がおとこだって気づいたの」
 気づいたのは存外すぐだった。一ヶ月もしないうちに市民プールでばったり会ったのである。男の子らしい口調も趣味も、それで一発合点がいった。
 少し長いと落ち着く。そう言った神童のウェーブがかった髪を見つめた。肩につくか、つかないか、の長さである。何かに似ていると思ったが、お笑い芸人の幸薄そうな人に似ているんだなと気づいた。神童もキリノも髪が長い。一方わたしは、クセのあるボブだ。どうせ伸ばしても飽きて切るのが関の山だし、女の子はボブが一番いい、というのはわたしの持論だ。
 木曜日だから、神童もわたしもまっすぐ家に帰ることにした。雨が降ったので自転車は家に置いてきた。学校もわたしたちの家も線路の西側にある。バスで学校最寄駅までいき電車で地元の河川敷駅に行くよりは、そのままバスで帰った方がいい。ただ河川敷駅行きのバス路線が学校の近くになく、少し歩かなければならないのが残念なところである。本数もまた一時間に二本か三本で、このバスで帰る方法もわたしはあまり好きになれなかった。
 雨だからか、神童の髪のウェーブがさらにかかっているようで、わたしはじいっと見つめた。河川敷駅行きのバスは暫く来ない。神童は財布を取り出して自販機まで行き二人分のホットココアを買ってきた。遠慮するももう購入してしまっているので、わたしはおずおずと受け取る。ほんとうは、そこのカフェに入っても良かったんだけどね、と神童が言った。神童はすぐに泣くナイーブな少年だ、と言ったのはキリノだ。しかしわたしは、神童はてきぱきと女の子に好かれる要素を無意識に発揮する人だ、と思った。キリノほどのきらびやかさはないけれど、着実に一人一人にやさしさを配っていく人なんだろうなと思う。
「なまえは、少しかわっているよな。達観しているというか」神童が低くも高くもない声で言った。
「でも、それでいてどこか子どもというか」
「それって、失礼じゃない」
「ごめん。でも、おれたちって、腹割ってはなせるようになったよな」
 そうだね、素っ気なく答える。神童に気づかれないくらいの素っ気なさで。神童と話していると、少しばかりくすぐったい。
 バスが来て、乗ってからもどうでもいい話をした。そういえば、と神童は鞄の中からチケットを出す。キリノと二人でピアノの発表会に来てほしい、という誘いだった。いいよ、にっこり笑うと、神童もうれしそうにした。
 バスを出るころには雨は弱くなっていた。



 キリノは翌週月曜日に新しい髪型で登校した。ボブに近い髪型だった。キリノの髪は癖がないが、今回は少しだけ内巻きがかかっていた。どうせやるならもっと男らしい感じにしろよ、笑いながら神童は言い、中途半端にしたねとわたしも賛同する。対してキリノは、この髪型はなまえリスペクトだ、と言ったのでわたしも神童もそれ以上何も言えなくなった。
 わたしは今でこそ立派な帰宅部だけれど、中学生のときは美術部に入っていた。週三回の活動があったが出入りは自由だったので、何か理由をつけては帰宅をしていた。活動拒否をしているわけではない、とろくな理由もないくせにわたしは威張った。二者面談をしたときも、帰宅は美術部の活動の一部で、身の回りの「うつくしいもの」を探しているのだと言い張って教師を困らせた。担任は若くて爽やかだったが、困った顔は面倒くさそうだった。それで、うつくしいものは見つかったの、と聞くので、そう簡単に見つかるわけないじゃないですか、とはっきり言った。結局、わたしは美術部の活動に週に一度はフルに参加をすることを誓わせられ、それで面談は終了となった。その約束ごとをわたしは月に一度くらいは守った。
 「うつくしいもの」を見つけられませんでした。そう人に言ってしまったことでなんだか悔しくなり、それからはより注視して探すようになった。しかし自分の性格がそもそも飽きっぽく勝手気ままなので、二日ももたなかった。週初めに面談をして、二日は躍起になって、木曜日は何もなかったが、しだいに金曜日になった。何もしなくても金曜日はくるのである。金曜日になると気分が浮かれて、わたしは本日のロードショーの内容をぼんやり考えながらルンルンと校庭を横切っていた。金曜日はどこの部活も活発だ。セイシュンだな、と思った。
 あちこち眺めていると、大きなグラウンドでキリノがサッカーしているのが見えた。中学に入ってから、キリノとはやや疎遠になる。キリノはいつからか、髪をさらに伸ばして二つ結びをするようになった。あの髪型では顔見知りのわたしでも女の子に見えるな、としみじみ思う。
 立っている位置を見る限りキリノは守る側の人間である。花形じゃないんだ。意外に思ってキリノの姿を見つめた。わたしは、サッカーのことをよく知らない。シュートを決める役目のフォワードが一番すごくて花形なのだ、ということを、ただ表面的に思っているだけである。ぼうっと見ているうちに、キリノ側へボールが飛んできた。相手側の花形が意気揚々と突っ込んでくる。一度他のディフェンダーは抜かれたが、キリノはそのひとの前に回り込んでボールを奪った。回り込むときに髪が軌跡を描いて揺れ、ボールを味方へパスすると、キリノは笑った。きらっと笑った。そう笑ったようにわたしは見えた。にや、でも、にこ、でもなく、きらきらとしていた。そのキリノのうつくしさたるや、わたしはその場から動けず立っていた。
 五分くらいして、キリノを描こう、と決心して家に帰ることにした。
 時おり、わたしはそのときのキリノを思い出して描いてしまうことがある。マーカーで適当に塗ることもあれば絵具を使うこともあった。一番はじめはポスターカラーを使い、原色の眩しいキリノを描いた。
 はじめてキリノを描き上げたとき、まっさきに本人に見せに行った。夜でも原色は眩しく映えていた。
「……これ、おれ?」
「そう、キリノ」
 キリノは不思議そうな表情をして暫く絵を眺めていた。やがてキリノは口をひらき、なまえのセンスおれはすきだな、と言った。わたしは大きく目を開いて、ぼうっとキリノを見ていた。
「これ、くれるのか」キリノに聞かれたので、うん、うんと大きく頷いてわたしは一目散に踵を返してしまった。なんと家まで五十歩ほどで着いた。家に入って玄関にある鏡を見ると、かおがまっかで、黒髪のボブがむぞうさにみだれていた。うつくしいものを見るとどきどきするのね。髪をととのえて部屋にあがり、ベッドに勢いよく倒れこんだ。センスが好きっていうのも、今まで生きていて、はじめて言われたな。ととのわない息をしずめるように、シーツをつかんでからだをまっすぐにした。落ち着いてから、よくよく考えてみて、わたしはキリノのことが好きなのかもしれない、と思うようになった。
 その一件からキリノとわたしはよく喋るようになる。

「やっぱり、切っちゃったんだよねえ」
 金曜日、塾から帰るときにキリノに言った。中学三年のころから、キリノとは同じ塾に通っている。好きな授業だけを選び受講するもので、金曜日だけ授業が被っていた。
「無性に切りたかったんだよ。そういうときってあるだろ」
「……まあ、そうだね。でもわたし、あの髪型好きだったんだよ」
「おれも、なまえの髪型すきなんだよ。だから無意識にまねしたんだ」
 言われて、心がきゅうと音を上げた。
 うれしいことに、キリノはわたしのセンスというようなもののあたりを、尊敬してくれているらしい。たまに、小物だったりノートの書き方だったり、褒めてくれることがある。とてもうれしい、うれしいけど、センスと人物が必ずしも繋がるなんて、思っていないから、わたしの好きとキリノの好きは同じではないんだろうなと思う。キリノの揺れる髪を眉根の下がった情けない表情で見ていると、「どうしたんだよ、具合悪い? 風邪でもひいたのか」と笑って聞いてくる。
「風邪なんかひいてない」
「そんなのわかってるよ。そろそろ帰ろう、なまえ。ロードショー始まっちゃうぞ」
 一歩前をキリノが行く。寒くなってきたからか、グレーのセーターをキリノは着ていた。とても似あっていて格好いいと思った。今日のロードショーはなにかな、聞いてみるとキリノは振り返って、さあなんだろうな、と言う。うっすら、はいた息が白くなった。



 乾いた寒風が頬を冷やす。下ろしたてのマフラーで口元と耳をはんぶん隠すと、少し寒さが和らぐ気がした。斜め前には、マフラーも身につけず談笑しているキリノと神童が歩いている。こんなに寒いのに、平気なのだろうか。不思議でならない。
 今日は水曜日だ。水曜日だが、今日はサッカーをしない。しないけれど、少しだべって帰ろうか、とキリノが言い出したのであった。三人とも自転車だったので、少し漕いで家の近くの公園まで行った。それから自転車を停めて、今からコンビニに行って買い食いをしようというところである。コンビニに入ると、おでんの匂いが鼻を掠めたのか、「おっいいな、おでん」とキリノはレジ前に引き寄せられるように歩いて行った。わたしと神童は何処へ向かうでもなくのんびり足を進める。
「なまえは、何買うんだ」
「ええと……どうしようかな」
 おでんもいいな。でも甘いものも食べたいな。と思ったけど、実はそこまでお腹すいてないや。特に何も考えず、二人はふらっとホット飲料の前まで辿り着いた。わたしは温かいほうじ茶を手にとって眺める。「おれ、あったかいコーヒーにしようかな」「ああ、いいねえ」神童はコーヒーを手に取り、鞄から財布を取り出そうとした。あれ、そういえばわたし、お金いくら位あったっけ……不安になり、わたしも鞄の中から財布を取り出した。
「あっ」
「ん?」
「わたし、いま三十五円しかない」
 わたしは財布のがま口をそっと閉じた。小銭もお札も無いので驚くほど簡単に閉じることができるのが殊更に悲しみを誘った。そうだ、昨日、参考書を買ったから。宿題に追われていたので、貯金箱から補充するのをすっかり忘れていた。ぐるぐると頭のなかで後悔をするわたし、隣りにいた神童は少し首を傾げて、「ほしいもの、それ? 一緒に買おうか」と言った。
「ごめん、神童、ありがとう、明日お金返すね」
「ああ。そんな気にしなくていいのに」
 神童はわたしの手からパッとほうじ茶をとって、レジ前に向かう。瞬間、どきりとした。追ってレジ前に向かうと、おでんを注文中のキリノと神童が話していた。他にも客が並んでいたので、わたしは、先に店を出た。
 わたしが神童にお金を借りることは、そこそこよくあることだった。返すことが前提だし返す気でいるが、神童はたまに「いらない」と言ったりもするから困ってしまう。よく思い返せば、一番最初にお金を借りるときも神童は一寸の躊躇も見せなかった(とわたしは思っている)。それは神童の心の広さだったり生まれだったり様々あるが、「いらない」というようなことを言われるたびわたしはどきりとしてしまう。
 コンビニから神童とキリノが出てきた。神童は袋からほうじ茶を取り出しわたしに寄越す。ありがとうを言うと、気にするな、と笑った。

「来週、実力テストだよな。もうすぐ受験生だと思うと、なんだかなあ」
「現実味、ないよな」
 三人でベンチに座ってだべっている。実力テストは、高校独自のテストで二年生しか受けない。受験勉強を控えた生徒に対して緊張感を与えるために行うのが主旨らしい。
 この三人だと、圧倒的にキリノが一番のおしゃべりである。次に神童で、わたしは一番おとなしい。大体、話を切り出すのはいつもキリノだ。
 志望校とか決めた? まあ、目星はつけてる、かな。 へえ、なまえは? うーん……。 その様子じゃまだだな、まあおれもだけど。
 あああ、大学生かあ。キリノがそう呟いて、しばらく沈黙した。わたしはその間に、キリノと一緒の大学に行けたらいいのにななんて考えていた。一緒のところには行けなくてもいいから、高校卒業後もこうやっておしゃべりしたい。それは、キリノからの誘いを待っているだけでは到底成し得ないことだ。
 日が短いので、わたしたちは六時くらいには公園を出た。帰り道、神童と別れてからはキリノと自転車を押しながら歩いた。帰ったら勉強しないとな、などとキリノは言うが、きっと彼なら勉強しなくても良い点が取れる。高校に入ってから、キリノは勉強に打ち込むようになった。もともと頭が良いから打ち込むというほど身を入れているわけではないかもしれないが、兎にも角にも成績優秀であることに代わりはなかった。キリノ。わたしは彼の名前を呼ぶ。キリノは目線だけで返事をした。キリノ、良かったらさ、明日一緒に勉強してくれないかな。わたしは言いきる。いいよ、なまえが自分から勉強しようっていうの珍しいな。キリノはいつものように笑った。
「じゃあ、またあした」
「うん、また。明日はよろしく」
 郵便局の赤い箱の前で手を振って、キリノの後ろ姿を見送った。



 おはよう。おはよう。教室について、神童に挨拶した。神童が朝の何時に学校に到着しているのかは知らないが、いつでもわたしより先に居て課題をしたり楽譜を読んだりしている。わたしはそんな神童の若干広めの肩とゆるいアッシュグレーのウェーブを見ながら、英単語帳を開く。キリノが言っていたが、神童は中学時代でサッカー部のキャプテンをやっていたらしい。「そして、今の三倍はもてていたんだ……」神妙な顔でキリノは語る。わたしも中学校は一緒だったけれど、サッカー部のことはやはりよく知らなかった。キリノと話すようになり、塾で一緒に授業を受けていたけれど、キリノはサッカー部の話はあまりしなかったように思う。
「そういえば神童、昨日はお茶をありがとう。お金、受け取ってね」
 とんとん、と後ろから肩をたたき、音をたてないように小銭を握った。振り返った神童は、「ああ、ありがとう」と言って手のひらに百二十円を乗せる。直後、ぱたぱたを音を立ててクラスメイトの女友達が神童の席の近くにやってきた。「神童くん、ちょっと今時間ある?」と友達は言う。なにやらクラス外から神童の呼出があるらしく、友達が遣わされてきたようである。神童は心内は何を思ったか分からないもののその呼出を真摯に受け止めたようで、開いていたノート類を閉じると教室の外へ出て行った。友達は、教室の近くに呼出人が来ていることだけ告げて付いては行かなかったらしく、今でもにやにやしながらわたしの隣にいる。
「なになに? なんの呼び出し?」
「なまえ〜悲報だよ。隣のクラスの石崎さんいるじゃん、神童くんのアドレスを直接聞いて知りたいって、来たんだって」
 石崎さんとは、隣のクラスで一番かわいくてぱっちりした目をしていて細くて黒髪ロングストレートで色白でスカートが程よい長さの女の子である。
「ほう!」やはり神童はもてるのだな。感心しきりである。間抜けな顔をして頷いているわたしに向かって友達は「あんたそんな呑気にしてて大丈夫なの〜?」と怪訝そうに問いかけてくる。
「え、なんかまずい?」
「神童くん取られちゃうかもよ。まあ、なまえが可愛くないとは言わないけど、だって、石崎さんだよ?」
 だって石崎さん。されど石崎さん。友達はなにか勘違いをしている。わたしは神童に対してその気がないということを友達に言うと、友達は少しおどろいて、でも妙に納得して、「異性の友情的なかんじね」と言った。
 話しているうちに、用事を済ませたらしい神童が戻ってきた。友達は「じゃね」と言って去っていく。
「おかえり、神童」
「ああ、ただいま」
 神童の顔色を伺ってみるが、ポーカーフェイスで何を思っているかわからなかった。「そういえば、この間、神童は髪の長い子がタイプだって言ってたけど、ほんとう?」わくわくしながらわたしは質問すると、「髪の長さだけでタイプとか決めたりしないよ」神童はそう言って困ったように笑った。
 直に授業が始まり、わたしは授業を聞き流しながら今日の放課後のことを考えた。強制的な理由もなくキリノと二人で何処か行く、のは、よく考えたら初めてだった。誘いを入れることには躊躇はなかったが、わたしなんかがいいのかなとは思う。昼休みになって、友達と弁当を食べているときも上の空になっていたらしい。なまえ、なんかぼうっとしてない? と目の前で手を振られて我に返った。いつも三、四人で弁当を食べているのだが、他の友達も「いつもは食べるの早いのにね」「なまえも恋わずらい?」「おっ神童くん?」「それがさ、神童くんじゃないみたいなのよ」めいめいに口にする。そういえば、キリノが気になるってことも、今更過ぎて言っていなかったな。言えば尾ひれを付けて広まるので、わたしは言わないようにしている。
 ホームルームが終わったすぐ後、キリノの教室へ向かった。わたしのクラスはいつも終わるのが遅いため、いつも少しキリノを待たせてしまう。キリノは、廊下で窓の外を眺めていた。
「ごめん、いつもおそくて」
「いや、大丈夫。うちのクラスだってそんなに早く終わるわけじゃないし。ところで、今日は何処で勉強する?」
 淡々と、キリノは話を切り返す。こういう回転の早いところなどが、知的に感じるのだろうか。と、実に単純めいたことを思った。何処へ行くかどうかは授業中に考えていた。カフェとかどうかな、お話できるし。わたしが言うと、あぁ、いいんじゃないか? と意外そうな顔をした。普段からサッカーかコンビニか塾の自習室にしか居合わせないから、カフェなんてお洒落なところ、と不思議に思ったのだろうか。確かに足繁く通ったりはしないが、わたしはたまに足を運ぶカフェの居心地の良さが好きである。自転車で駅前まで行き、好きなお店までキリノを案内した。キリノはあまりカフェなどには入らないようで、注文にも特にこだわりがなく、わたしが注文したそばで「それ、二つ」と言ってお金を半分出した。結果、トレーの上には白いマグカップの生クリームの乗った温かいココアが二つ、ちょこんと乗せられることになった。
「なまえは、こういうところが好きなの」
「うん、落ち着くし。お金ないと来ないけどね」
 大きめのテーブルに、隣り合う形で座った。向かい側やひと席向こうに別の客がいて、試験勉強や読書に耽っている。椅子はふかふか、一人がけの大きめのソファなので、ゆったり座ることができるのが好みだ。キリノは鞄からノートや参考書をひっぱりだした。勉強、なにする? ライティング教えてほしいな。試験の範囲にもなってる問題集わからなくて。言うと、キリノは鞄から更にルーズリーフと電子辞書を出した。
 わからないところを、キリノに逐一質問する要領で進めていった。問題集の進みはキリノもわたしも大して変わらなかった(というより、課されてからお互い一頁も進めていなかった)みたいなので、同じ問題を同時に解いていく形になった。ときおりわたしはキリノに質問をしてみる。キリノはすぐに「多分、こう」と言い、わたしのノートにメモ書きしながら教えてくれた。手の甲までかかるセーターの裾が、かわいいと思ってしまった。手はけっこう華奢。つめはきれいに切ってあって、そんなことを見ているうちにキリノのことばは右耳から左耳に筒抜けになってしまう。はっと気づいて筒抜けた分を脳内再生し理解をしているうちに、キリノはすでにわたしより二頁も先に居た。ココアを口にすると、少しぬるくなっていたけど大変あまかった。
 わたしは、何をしたいんだろう。勉強は口実にすぎなかったのに、ちゃっかりしっかり勉強してしまっている。原色のまぶしい絵を描いたときは何がしたかったんだと自問することさえしなかった。年齢を重ねて少しずつこわがりになってしまったように思う。十代の一年は重い。わたしのキリノに対する「すき」は如何様のものなのか。石崎さんのそれと同じなのだろうか。もしかしたら、キリノのそれと同じなのかな。わたしの気持ちはそれこそ三年ものだが、三年も居付けば、そこから動くことができない。勉強しようと誘い込んで勉強をしっかりすることも当たり障りの無いことだ。こわいから、それ以外のことができない。何もしなければ、失うものもない。でも、自分の中では十分に玉砕している。

 なまえは彼氏とか作らないの、と聞かれたのはそれから二週間あとのことだった。実力テストも予定通り実施されて結果もすでに返ってきていた。テストがあると、大抵キリノに会うことはない。サッカーも中止だし、顔をあわせるのはライティングの授業と塾くらいだろうか。キリノに聞かれて初めて彼氏って作るものなのかと思ったが、至極アタリマエのことだとも思った。
「そういうキリノは彼氏作らないの?」
「おれ、おとこには興味ないよ」
「あ、そっか」
 かんたんな会話をして、お互い黙りこんでしまう。わたしが返事をしないのがいけないのだが。「いや、さ」次に口を開いたのはキリノだった。
「なまえっていつもおれたちとサッカーしてるだろ。いいのかなって思って」
「いいのかなって、なにが」
「おれの友達でけっこうなまえのこと気にしてるやつとか、いるしさ」
 おどろいた。キリノってそんなこと気にしてたんだ。でもここで水曜サッカーから遠のけばわたしの思いはさらに難航していくだけである。
「別にいいよ、キリノとサッカーしてるほうが楽しいし」にがわらいをする。キリノにそういうことを言われるのは少しショックだった。同時に、自分が如何に何もしてこなかったか、よく解った。当たり障りの無いことばかりしていたのだから当然である。
「キリノってお母さんみたいなこと言うんだね。あんたいつも家にいるけど大丈夫? みたいなの」
「はは、それ、おれもよく母さんに言われる」
 キリノはわたしのお母さんかー。冗談交じりに言う。もう、半分くらいはそうかもな。キリノも笑ってそう言った。キリノがお母さんだったら、とてもやさしくて美人なお母さんだね。あまえたくなるような。これは、キリノには言わず心のなかでつぶやいた。いまは、このままでも十分しあわせかもしれない。



 神童もわたしも腹の弱い体質であった。十二月に入ると、お互い調子が悪いのか、休憩時間のたびに一緒に席を立ってトイレに行くという、謎の習慣ができてしまう程だった。といっても、恥ずかしいので隣り合わせで談笑しながら一緒に行くのではなく、神童の後ろをわたしがぼうっと眺めながら歩くのみである。
 具合が悪いこともあり、もうすぐクリスマスだというのになんだか憂うつだった。街中はイルミネーションで輝いているけれど、わたしたちの帰り道は暗い河川敷で、いつも通りの日常だった。あまりにも暗いので、冬の間サッカーはしなくなった。キリノも塾によく行くようになって、クラスも違うので、帰り道にあまり会わなくなってしまった。もしかすると憂うつの原因はそこにあるのかもしれないなと思う。最近は神童と自転車に乗りながら下らない話をしている。案外神童は夜更かしで、深夜のバラエティなどもよく観るという。おそらくだが、神童は勉強がてら息抜きにテレビを付けるのだと思うから、惰性で宵っ張りをしているわたしとは訳が違うのだと感じた。
「キリノ元気? 最近会ってる?」
 わたしはなんとなく神童に聞いてみた。神童は「うーん……」と暫く唸ると、「おれも会っていないな……というより、なまえのほうが近所なんだし、偶然会ったりとかするんじゃないか?」と逆に問われてしまう。
「まあ、明日ライティングあるし、一瞬会えるけどな」
 それもそうだね、とわたしは返した。わたしは塾でも会えるが、腹痛で最近は少し休みがちなこともあったから、自分で機会を潰しているといえばそれまでであった。その憂うつさとあいまって腹痛がひどくなっているのだから本末転倒である。
 次の日の三限目がライティングであった。レベルによってクラス分けされているため、わたしと神童はキリノの教室で授業を受ける。わたしは女の子たちとつるんでその教室へ移動したが、そこにキリノはいなかった。お手洗いかも、と思ったが、授業が始まる寸前にキリノの席を盗み見ても彼はそこにいなかった。今日は休みなのだろうか? 今キリノは何をしているんだろう。咄嗟にそう思った。ちらりと前方の神童を見ると、キリノのクラスの中山くんと喋っている。その近くの席には石崎さんが、長いまつ毛を時折神童に向けている。ここ最近よく見る、いつも通りの風景だった。最近、というか、ずっと前からそうだったかもしれないけれど、わたしが気がついたのが最近だった。兎も角、そんな最近の風景には、キリノだけが欠落していた。
 授業の合間に、思い切ってキリノにメールをしてみた。内容は特に変哲も無い「今日はお休み?」と一言。簡潔な文を送り、すぐに携帯電話を鞄にしまった。昼休みが終わり、四限は美術で移動教室、五限は体育、六限はけだるい雰囲気で古文だった。休み時間中は終始どたばたしていて携帯電話を覗く暇がなかった。やがて眠くてつらい古文が終わり、ホームルームまで時間が空く。その間、わたしは思い出したように携帯電話を見た。未読が三件。内二つはメルマガで、残り一つは、キリノからだった。熱が下がらなくて、二日間休んでいる、とキリノもまた簡潔な文章を寄越した。わたしは、机の上に置きっぱなしの鞄の中に、携帯電話のディスプレイはそのままにそっと置いた。鞄の陰になっている部分が、ディスプレイの光によって少し照らされる。キリノが熱を出して寝込んでいるというのに、どこか少しほっとしている自分がいた。わたしからのメールに返事をしてくれたことに、安心したのかもしれない。
 担任が教室に入ってきて、ざわついた教室内はやや静かになる。今週の金曜日は終業式なので冬休み中の課題のリストを配布します、と担任が言うと、せっかく静かになった教室内な再度ざわつくこととなった。置き勉している人は早めに荷物を持ち帰るようにと注意を一言言うと、号令を掛けて早々にホームルームを終わらす。放課後に、なった。
 わたしは、ホームルームの間じゅうずっとキリノのことを考えていた。お見舞いに行きたい、と思ってしまったからだ。お見舞いになんて行ったら、意識しているのがバレてしまうかなと考えたけれど、友達なら見舞いくらい行くのが普通であるはずだ。普通なのだ。そう弱気な自分を言いくるめて、学校を出たらまずキリノに電話をしようと考えた。わたしは鞄を掴んで席を立った。
「あ、みょうじ……もう帰るか?」神童に挨拶してから帰ろうと思ったが、わたしから声を掛けるより先に神童がこちらを振り返った。
「うん、帰るけど……神童、今日、合唱部だよね?」
「あ、ああ……休もうと思ってたけど」
 神童は一瞬ためらいを見せたが、すぐに返事を寄越す。これは、一緒に帰ったほうが良いのだろうか。わたしは少し焦る。神童が居たら、今のわたしの勢いはどこかいってしまうだろう。
「じゃ、神童、わたし行くところあるから帰るね」
 会話の途中だった気もするが、わたしはそう言って教室を後にした。神童からの挨拶が小さく聴こえた気がする。だいいち、まじめな神童が部活を休もうとしていたのだから、彼にこそ大事な用事があったのではないかと、廊下を小走りで駆け抜けながら思った。
 わたしは自転車をひいて学校を出る。出たところで留めて、キリノに電話を掛けた。彼に向かって発信したのは初めてだが、今の私にはそんなことを考えるいとまはなかった。
「……はい」何コールかして、キリノの声が聴こえる。
「キリノ? いきなり電話してごめんね」
「ああ、全然いいよ。むしろ、わざわざありがとな」
 機械越しだが、どことなく掠れたような声でキリノは言う。みみもとでキリノの声を聴くのは、どこか緊張した。
「あのね」わたしは話題を切り出す。うん、とキリノはいつもみたいに優しく応じた。
「お見舞いに行きたいの。だめかな」
「えっ見舞い? うつっちゃうから、いいよ」
「大丈夫! 行かせてよ」
 慌てたように早口で拒否される。このままではキリノに押されると思ったので、わたしも意地になって食い気味で答えた。すると、キリノは少し沈黙する。わたしはどきどきしてキリノの言葉を待つ。
「そこまで言われたら、断るわけにいかないだろ」キリノは困ったように笑いながらそう言った。表情は見えないが、そんな声色だったのだ。
「でも、うつるといけないから、本当に少しだけだからな」
「ふふ、やっぱり、お母さんみたい」
「はは、そうだな」
 じゃあすぐ向かうね、と言って電話を切った。途中、コンビニでカットフルーツでも買おう。今日は、お金を財布にきちんと補充してある。意気揚々とわたしは自転車を漕ぎ始めた。電話口のキリノは、いつものキリノだった。キリノのことを思うと、お腹がいたいことも忘れていられる気がした。
 ピンポン、とキリノの家のチャイムを鳴らす。しばらくの間を置いて、二階の窓が少し空いた。キリノが窓から顔を出して手を降っている。
 またしばらくしてから、キリノが玄関の扉を開けてくれた。おばさんは、と聞くと、母さんは仕事、とキリノは答えた。キリノは今まで寝ていたのだろう、きれいに切りそろえたはずのボブヘアーが、無造作ににみだれていた。それはそれで、似合っている。ゆるい灰色のスウェットも、髪の色と相まってなんだかお洒落だった。
「熱は、ちょっと下がったんだ」キリノはわたしを居間に通しながら言う。ダイニングテーブルの椅子をひいてくれたとき、わたしは病人に何をやらせているんだ、と内心慌てた。
「じつは、今朝病院行ってさ。インフルエンザの検査受けたんだ」
「あ、あの鼻に入れる痛いやつ?」
「そうそう。まあ、インフルエンザじゃなくて、ただの熱だったんだけどな」
 キリノは想像したより幾らか元気そうではあった。お茶はわたしが淹れる、と申し出たが、なまえは座ってて、と言ってキリノは緑茶を淹れるべくキッチンへ行ってしまった。わたしはカットフルーツを袋から出して、自分の目の前に置く。座ってて、と言われたが、これをキリノに準備させるのは気が引けた。わたしは立ち上がって、フルーツを持ってキッチンへゆく。
「キリノ、お皿と、フォーク借りていい?」
「え、ああ。どうするんだ?」
「フルーツ持ってきた」
 袋を見せると、キリノはふっと笑って、そこの棚に入ってるよ、と教えてくれた。わたしは辿々しく人の家のキッチンの棚をあけ、勝手がわからないまま目的のものを探した。なんとか小さな小皿と小さなデザートフォークを見つける。小皿はポーリッシュ・ポタリー風で、とても可愛らしかったしキリノに似合っていると思った。
 フルーツを盛り付け、テーブルに置く。キリノも湯のみに緑茶を淹れてくれて、お互い席についた。横並びに座っている。キリノに食べるよう薦めると、彼はお礼を言ってリンゴを口に含めた。
「なんか、なまえって健気だよな」不意にキリノがそう言う。そんなことない! とわたしは照れくさくて否定をした。
「いい意味で、娘みたい。親心が芽生えるっていうか」
「子供っぽいってこと?」
「うーん、まあ、そういうことなんだけど、その素直な幼さがいいよ、なまえは」
 言われて、わたしは足をゆらゆら揺らした。はずかしさと嬉しさと切なさで胸がくるしい。切なく思うのは、普通の感覚なら娘には恋できないと思うからだ。
 淹れたばかりの湯気の立つ緑茶をずずず、とすすると、身体がぽかぽか温まるような気がした。
「そういえば、なまえはクリスマスの予定ある?」
「え?」
「友達とパーティの予定とか入っちゃってるかな?」
 キリノは頬杖をつきながらこちらを見遣る。翡翠のようなきれいで大きい瞳がわたしのことをじっと見ている。
「特にない、よ」去年までは友達とわいわい過ごしていたような気もするが、友人たちにはこの時期に合わせたかのように彼氏ができており、ランチタイムはその話で持ちきりだった。なまえはどうするの、と可愛らしい声で尋ねられるが、意中の人と進展があるどころか最近見掛けなくなってしまったため、家族で過ごすかなあと答えた。「で、結局なまえは誰が好きなんだっけ」「ないしょ!」「けちー」「神童くんじゃなく?」「それはないみたい」「進展あったら教えてね!」友人たちの明るさに心救われながらも、キリノに会えない空虚さで腹痛は増した。
「じゃあ、神童の家にパーティしに行くか」
「え、そんな、勝手に決めちゃって、神童はいいの?」
「ああ。毎年、クリスマスは神童の家って決まってるんだ」
 豪邸だからきっとなまえも驚くぞ、といたずらっぽくキリノは笑う。
「今年は、中学のサッカー部のやつらも招いてるから、ちょっと知らない人も多くなると思うけど」
「それなら、わたしは行かないほうがいいんじゃ」
「大丈夫。俺がそばにいてあげるから、楽しんでいってくれよ」
 なんでもないことのように言われた格好いい台詞に、きゅんとときめいてしまった。プレゼント交換があるからそれだけ持ってきてほしい、と言われ、クリスマスまで指折り数えたがあと一週間しかない。終業式の後にでも、買いに行こうと思った。プレゼント交換、キリノと当たりますように。