×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
周囲を山に囲まれた緑豊かなまち、ヒワダタウン。空気も水もきれいだけれど、なにもないまち。そんなまちに生まれて育った女の子とトレーナーの話 ゴールド、ツクシ / ポケットモンスター金・銀 | 名前変換 | 15min | 初出20190114

深い森


1

 ある日、まちからヤドンがいなくなった。冬が深まった寒い日だった。わたしはまちに残ったたった一匹のヤドンを抱いて立ち尽くした。胸の中のヤドンは状況がわかってないらしい、ぼうっとしていて、たまに鳴いた。
 ほうぼうに「ねえ、ヤドン、何処行っちゃったの」と呼び掛けるけれど、わたしの声がやまびことなるだけだった。いたとしても、のんびり屋さんのヤドンが返事などするはずもないのだけれど。この頃のわたしは幼かったから、そういうことにはちっとも気がつかなかった。
 まれに、黒い帽子を被ったひとに近寄られることがあった。わたしが挨拶をすると逃げていったけれど、……今考えると、背筋が冷える。奴らの目当てはわたしの腕の中のヤドンで、わたしが少しでも隙を見せたらヤドンと一緒に攫われていたかもしれないのだから。
 でもこの時のわたしはそんなことつゆ知らずだった。このまちで起きていることを知ることになったのは、黄色の帽子を被った男の子に出逢ってからだった。ヒワダの天気は変わりやすい。厚い雲が覆い尽くしたそのときに、黄色の帽子の男の子は現れた。「ねえ」と言って、後ろからわたしの肩に手を触れた。
「そのヤドン……」
「あっ、あの、わたしのではないのだけど」
 このヤドンはわたしの家の前によくいるヤドンというだけで、わたしが所有しているわけではなかった。それを聞くと、男の子はもっと不思議そうに首を傾げた。わたしもきょとんとした。男の子はわたしの様子を見て、自分の持っている情報を打ち明け始めた。
 壊滅したはずのロケット団がこのまちに来ていること。井戸に立て籠もって、ヤドンのしっぽを切っていること。それを高値で売ろうとしていること。わたしは子どもなりにその事実を受け止め、なんてひどいことをするのだろう、と悲しい気持ちになった。そして腕の中のヤドンをぎゅっと抱きしめた。やあん、とヤドンが鳴いた。
 黄色の帽子の男の子は、ゴールドと名乗った。お返しに、わたしはなまえと名乗った。ゴールドくんはわたしの腕の中のヤドンをひと撫でして、こう言った。
「今からロケット団を追い払いに行くけど、来る?」
 え、とわたしは口籠った。何を言ってるのか、理解が出来なかったから。そのままもごもごとしていると、ゴールドくんはくしゃりと笑って「うそ。きみはここでこのヤドンを守っていて」と言い、行ってしまった。
 ここで、本当は頭を撫でられたかもしれない。撫でられなかったかもしれない。もう少し、うそを吐かれてからかわれていたかもしれない。そんなことなかったかもしれない。何にせよ、わたしとゴールドくんの淡い記憶はここから始まっている。ゴールドくんは、ものの十分くらいで帰ってきた。本当はもっと、掛かっていたのかもしれないけれど。わたし、ぼうっとしてしまっていたから。
 ヤドンたちは無事に戻ってきた。


2

 ねえ、ウパーって何処にいるんだろ。ゴールドくんに訊かれたから、わたしは古い記憶から新しい思い出まで全部をひっくり返して情報を探した。多分、洞窟の向こうに居たと思う。そう返すと、やっぱりそう? とゴールドくんは言った。
 ゴールドくんは、ポケモン図鑑を埋めるという大役をオーキド博士という人(とても有名な人、でもヒワダではあまり話題にならない)から任せられているらしい。たくさんの種類のポケモンを捕まえながら、各地のジムリーダーにも勝負を挑む旅の最中だという。ウパーを捕まえないと次のまちに行けない、とゴールドくんは言った。わたしは、ヒワダのジムには行ったの、と訊いた。するとゴールドくんは得意げにジャケットを捲った。
「ほら、インセクトバッジ。おれ、此奴が相棒だからさ」
 ゴールドくんの肩の上にマグマラシがよじ登り、背中の炎を揺らめかした。ヒワダのジムはむしポケモンだ。ほのおポケモンが有利であることは、ポケモン勝負に疎いわたしでもよく知っていた。ゴールドくんのジャケットの内側にきらりと輝くインセクトバッジは、昔ツクシくんが自慢げに見せてくれたバッジだった。ツクシくんのかおが、頭をよぎる。
 ゴールドくんは図鑑を眺めながら、洞窟の向こうなら一回通ったんだけどな、と言った。それも、そうだ。キキョウから来るなら、その道を通るしかないのだし。でもウバメの森で出たという話も聞かないし、ヒワダのウパーはやっぱり洞窟の向こう側に居るのである。わたしが知っているのは、それだけだった。
「じゃあ、なまえに道案内して貰おうかな」
 ゴールドくんは悪戯に笑ってそう言った。わたしはその「道案内」を鵜呑みにして、いいよと快諾した。今なら、ゴールドくん一回通ったことあるんだから道案内なんて要らないでしょ、と文句も言えただろうに、当時のわたしは恐ろしく純粋だったからゴールドくんにいいように連れまわされていたと思う。
 洞窟はとっても暗かった。地元民だけどこんなところ滅多に通らないから、道案内役としては不十分だったと思う。野生のポケモンに出くわすたびに、こわくてゴールドくんの後ろに隠れてしまった。
 こわがらなくても大丈夫なのに。ゴールドくんはくすっと笑った。そのあと、ゴールドくんはわたしの左手を握って、これできっとこわくないな、と言った。もう、いいってば、とわたしが恥ずかしがっても、ゴールドくんは気にせず、手も離さずだった。
 ウパーは洞窟の先の茂みにいた。すぐに見つかったから探し回る必要がなかった。「おかしいな、この前通ったときは居なかったのにさ」ゴールドくんはそう言いながらウパーを手際よく捕まえた。ウパーは、実は夜行性らしい。ゴールドくんがここを通った時、太陽がきっとまだ高いところにあったのだろう。
 帰る頃には、洞窟内が随分と冷え冷えしていた。ゴールドくんはやっぱりわたしと手を繋いでヒワダタウンまで向かった。途中、サンドに遭遇したので、ゴールドくんが捕まえた。でも、「おれ、もう持ってるからなまえにあげる」と言ってわたしにサンドをくれた。
 バッジを持っていないわたしにサンドが懐いてくれるようになるのは、結構先のことだった。


3

 ヒワダタウンは何もないまちだ。山と川と森に囲まれたしずかなまち。子どもにとっては、ちいさな学校があるだけのまち。高等学校に行くには、コガネかキキョウまで行かないといけない。おかあさんが、なまえはやっぱりキキョウがいいかしらね、なんて言っていた。コガネは大きなまちで、治安も悪いし。「でも、あの真っ暗な洞窟を毎日通るなんて嫌だよ」と言ったら、「そりゃあ歩いて行かれないよ、電車に乗るのよ」と笑われた。そっか。わたしは納得する。電車に乗るのは、大人だけだと思ってた。
 洞窟を思い出すたび、ゴールドくんのことが脳裏をよぎる。彼は今、一体どのあたりにいるんだろう。ゴールドくんはすごくのんびり旅を楽しんでいた。一度立ち寄ったところに何度も戻ってくることがあった。だから、まだ近くに居るような気がする。高等学校には行かないのかな。次会ったら聞いてみようと思った。
 おかあさんにおつかいを頼まれて、わたしは近くの商店にお醤油を買いに行った。その帰り、郵便ポストの近くで、ツクシくんに遭遇した。
「やあ。おつかい?」
 ツクシくんはいつもの可愛らしい笑顔でわたしに声を掛けた。冬なのに膝が出る丈のボトムスを穿いていた。わたしは肯いて、ツクシくんは、と訊ねた。そうしたら、ぼくは博士に手紙を出しに、と答えた。
 ツクシくんは、天才だ。わたしがそう思ったのではなくて、まわりの大人たちみんながそう言うのだ。むしポケモン研究会のニューホープ、ポケモンリーグのエリート、そんな見出しで世間は彼を褒め称える。でも、わたしはツクシくんが貰った賞状を棄てているのをしっている。その本当のところは、わたしも知らなかったけれど。田舎って、いろいろあるのよ。歳の離れたお姉さんがいつか教えてくれた。地方復興とか、話題集めとか、色々ね。
 わたしが心の中でそんなことをぼんやり考えているのをよそに、ツクシくんは「今日の晩御飯は何?」と続けて訊ねてきた。
「カレーだよ」
「きみの家はカレーにお醤油入れるの」
「……隠し味?」
「ふうん」
「ていうか、晩御飯に入れるとも限らないでしょ」
「それは、そうかもしれないね。わざわざこの時間におつかいを頼んでいるわけだけれど、決めつけるのは良くないね」
 あ。わたしは間抜けな顔をしてツクシくんの後ろにある夕陽をみつめた。もう沈みかかっていて、空の色はもう薄い青色に変容し始めていた。
 ツクシくんは天才らしい。それは、単に聞いた話。でも、わたしは知っていた。ツクシくんがとても賢くて、時に狡い位であることを。でもその狡さは、大人には通用しない。また、これ以上の目覚ましい変化は努力なしには叶えられない。蝶々が羽化するのは、あまりにも早いから。


4

 ゴールドくんと自然公園のむしとり大会に参加したことがある。わたしはむしとりに行きたかったわけではなかった。いずれキキョウに電車で通わなければならないし、下見がてらに出掛けてもいいかと思って、誘いに乗っただけだった。ゴールドくんは相変わらずわたしをからかって、「ヒワダを出るの、こわいでしょ。手を繋いであげようか?」と言った。この頃のわたしは随分強くなっていて、その手を叩いて怒ってみせた。でも、ゴールドくんはちっとも懲りなかった。
 キキョウを経由してたどり着いた自然公園は、わたしが今まで見たことのない位のうつくしい場所だった。ヒワダにある、手付かずの山や原生林と違う。もちろんそれだって尊いけれど、人のために、ポケモンのためにと整えられた草花や木々は、さやさやと優しい風になびき、見る者すべてを癒すようだった。
 そこでわたしは、むしポケモンを捕まえようとがんばった。わたしはポケモンを捕まえたことがない。ゴールドくんに完全サポートしてもらいながら、初めての確保に取り組んだ。エサの与え方がまずかった。ボールの投げ方が下手だった。ゴールドくんがわたしの手を取って投げるのを手伝ってくれたとき、またふざけて、と思ったけれど不慣れすぎて断る暇がなかった。一緒にえいっと投げたボールは、お目当てのバタフリーを逃したけれど、たまたまその後ろにいたトランセルにヒットした。ボールは暫く揺れていたけれど、ぶじ捕獲に成功した。
 トランセルかあ。ゴールドくんはつまらなさそうに言った。トランセルだと、優勝は無理だろうな。
 これはむしとり「大会」なので、強そうなポケモンを獲ったら勝ちである。トランセルがあまりいい評価を得られないことは、無知なわたしでも知っていた。蝶々じゃないと、だめなのである。守りの硬い蛹のままでは。
 そうして、わたしのむしとり大会は幕を下ろした。案の定、優勝は逃すことになった。しかし、捕まえたトランセルは自分の手持ちになった。たまたまボールが当たっただけの、薄い縁の蛹。大事に抱いて帰った。これでわたしの手持ちは、言うことの聞かないサンドと、この他人のようなトランセルの二匹になった。


5

 ゴールドくんとは電話でのやり取りが続いている。
「ゴールドくんって、高等学校行かないの」
「来年くらいで考えてるけど。なんだ、なまえは行くんだ?」
「うん、次の春に」
「どこ」
「キキョウ」
「あー、キキョウね……」
「ゴールドくんは、行くとしたらどこ?」
「ヨシノだな。家、ワカバだし」
「ゴールドくん、ワカバなんだ」
「あれ、言ってなかったっけ」
「知らなかった」
「ワカバ、やべえよ。スーパーもないもん。集落って感じ」
「えっ、そうなの」
「ただ拓けてるからな、一周まわって田舎じゃない」
「田舎じゃん、絶対ヒワダより田舎じゃん」
「ヒワダほど陰気じゃねえよ。泥棒でるけど」
「ほらね、やっぱり」
 しばらく、会話がなくなる。わたしはむくれていて、ゴールドくんは声を押し殺して笑っているのだ。喋れないほどに。
「キキョウに行ったらさ、ジムに挑めば」
「わたし、ポケモン勝負しないよ」
「一個ぐらいバッジ持ってもいいじゃん。サンドもなまえを認めてくれるようになるよ」
「そういう問題なの?」
「そういう問題なんだなあ、これが」
 いつも煮えきれない状態で、電話が切れる。
 わたしは今度お砂糖のおつかいを頼まれたので、商店へ出かけた。ぶじお砂糖を手に入れたので、ついでに図書館へ立ち寄った。借りたい本があったから。でも、目当ての本は貸し出されていた。本棚にはすっかり、その本の厚さの空間ができていた。
 仕方ないから帰ることにする。すると、中庭にツクシくんがいるのを見つけてしまった。
「今日は肉じゃがなのかな」
 お砂糖の袋を抱えるわたしを見て、ツクシくんは賢そうに微笑んだ。本当はやっぱりカレーなのだけど、それは言わないでおいた。
「何してるの」
「バタフリーの抜け殻の成分を調べているのさ」
「調べたら、どうなるの?」
「何かの役に立つかもしれない」
 掴めない相手である。いや、そもそもわたしが対等に渡り合える相手なんて存在しないのかもしれない。気づかぬうちに、溜息をついてしまった。ふふっ、とツクシくんが笑う。
 ツクシくんは、カントーの高等学校へ行くらしい。だから、その後は別の誰かがジムリーダーになる。ジムリーダー卒業だ。まちはやっぱりそれで騒いだ。最後に、とジムに挑む人が増えたから、まちはよその人間で賑わった。ツクシくんは嬉しそうな顔をしているけど、ひとりになったら多分卒業証書を破り棄てると思う。これは鈍いわたしの唯一の勘である。
「ツクシくん、わたし、キキョウのジムに挑んだほうがいいのかな」
「どうして急に? ポケモン勝負したことないでしょ」
「バッジ持ってたほうが、サンドも懐くし、トランセルもバタフリーになるかなって」
「キキョウまで行かなくても、ぼくのところで鍛えたら?」
「……ツクシくん、バタフリーの抜け殻が欲しいだけでしょ」
「……バレちゃったか」
 この会話が、わたしとツクシくんの最後の会話だった。ツクシくんはカントーに行って、わたしはキキョウの学校に通い出した。たまに、手紙が届いた。翅を接写して撮った不思議な写真の裏に、ところできみの蛹は羽化したの、という走り書きを添えて。