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夜明けまで一緒に居て欲しい ※エンペラーが病んでいる/三角関係注意 エギングJr / Splatoon(comic) | 名前変換 | 9min | 初出20180815

誘惑

 この間、新しいゲームを買ったんだ。プリンツが嬉しそうに笑うのを、エンペーサーとわたしは微笑ましく眺めていた。練習が終わって、ロビーの前で暫く待機していたときのことだった。夕暮れ時のハイカラスクエアは、真昼の熱を徐々に奪い、夜の冷たさを漂わせ始めている。すっごく面白いゲームなんだ。練習が終わって、ブキを下ろしたプリンツの表情は明るい。わたしは、エンペラーに呼び出され、ロビーに戻ることになった。エギングJrとプリンツの会話を右耳に残しながら、わたしは高尚で綺麗な金髪の後を追う。
「Bバスを一時間。海女美も、空いているところがあれば取りたい」
 エンペラーは、静かにわたしに指示を出した。わたしは頷いて、ロビーの練習場所予約の列に並んだ。公式戦でも使用される場所の予約を取るのは、空きが少なくなかなか難しい。わたしたちは、一週間に一度だけ、こうして実際の地形で練習をすることができた。今並んでいる列も、一週間後の予約を取るための列である。エンペラーチームのマネージャーであるわたしは、この列によくひとりで並ぶ。本当は、今日もひとりで来る予定だった。エンペラー邸の庭で練習を行う予定だったところ、たまたま練習場所の空きを譲ってもらったので、練習をした後、そのまま全員で予約を取りに来たのだった。
 不意に、腰に手が回った。エンペラーとの距離が一気に縮まり、彼の息遣いを近くに感じた。ユニフォームを脱いでラフな格好に戻ったエンペラーは、心なしか表情も緩い。目だけ、少し虚ろだが。
「エンペラー、疲れてる?」
「少し、な」
「無理、しないでね。身体に悪いことも、しちゃ駄目だよ」
 エンペラーからの返事はなかった。

 希望通りの練習場所を確保し、再び外に出た。三人は和やかに話をしていたが、わたしたちの戻りを見て話をするのをやめた。王からの言葉を待っているのである。
「明日は九時にオレの家だ。大会が近い。気を抜くなよ」
「あれ、解散? ご飯は行かねえの? 今日」
「そうだよ、兄さん。せっかく街まで来たし」
 エンペラーはためらいを見せることなく「行かぬ」と言った。そして、背を向けて歩いて行ってしまう。プリンツは、慌てて後を追った。「ごめんなさい! また明日……!」焦った挨拶を残し、プリンツも背を向けた。そんな彼らを、わたしたちは苦笑いで見送った。
「では、わたしもここで」
 エンペーサーも、挨拶をして駅に向かった。残ったのは、わたしとエギングJrだけになった。どうしたものか。そう思い、彼を見やる。彼は手を頭の後ろに回して、大きな目をこちらに向けた。
「ご飯行く? それとも、アイスドリンクでも飲んで帰る?」
 相変わらずの様子で、彼に訊ねられる。アイスドリンクといえば、お洒落で有名なカフェの人気のドリンクだった。色んな味があって、季節によって限定メニューが出たりしている、アレである。わたしは堪らず飲みたくなって、その誘惑に乗った。エギングJrはニッと笑って、わたしの一歩前を歩き出す。わたしは素直に付いて行く。日はゆっくりと暮れていった。

 実は、夜限定でアイスドリンクが安くなるチケットを持っているんだ、とエギングJrが打ち明けたのは、店に入ってオーダーの順番待ちをしている時だった。ポケットからおもむろに取り出されたチケットは、少し皺が入っている。幾日も、彼のポケットの中で出番を待ちわびていたかのような風貌である。二つ買うと、一つが無料になるチケットだった。
「いつ行こうかなーと思ってて、なかなか行けてなかったんだけど、やっと行けるひと見つかって良かったよ。ボーイふたりで来るのも、ちょっとしんどいしな」
「アイスドリンクは、ガールが好きな味が多いもんね」
「なー。どれにする? 新しいのとか、美味そうだよな」
 わたしは、彼の言う通り新作のドリンクがよいなと思ったので、それを選ぶことにした。「だよな」エギングJrは肯定して、自分もそれにすると言った。
 エンペラーは、こういうところ、一緒に来てくれなさそうだな。隣で楽しそうにチケットを眺めているエギングJrを見て、ふと、そんなことを考えてしまう。わたしたちは、皆幼馴染だった。わたしはいつも、エンペラーの側に置いてもらっていた。エンペーサーよりも、エギングJrよりも、あのプリンツよりも……誰よりも近く、だ。気に入って貰えているのだと思う。でも、それ以上でも以下でもない。わたしの要求は、あまり聞かないひとだった。多くを語らないひとだった。わかりにくい優しさを持っているひとだった。一回だけ口づけをされたことがある。つい最近のことだ。そのときは、動揺した。少し、煙草の匂いがして。しかし、そのあと、何もなかった。おずおずと離れていったエンペラーの表情は、何とも言えないものだった。わたしたちの間に適正な距離が戻ると、ひとこと「すまぬ」と言い、その一件はそれっきりになってしまっている。

 わたしたちの番がきて、エギングJrは決まっていた通りにオーダーをした。綺麗な笑顔の店員さんは少々お待ちくださいと告げ、少しの間レジを離れた。ふたりでレジに寄っ掛かって待っていると、店員さんが戻ってきて、打って変わって申し訳なさそうな表情でこう言った。
「申し訳ありません。あと一個で売り切れで……ふたつご用意できないんです」
「あ、そうなんすねー。じゃ、オレ、オーダー変えます」
「お客様、失礼いたします。そうすると、このチケットが使えなくなってしまいますが、よろしいですか? ペアのチケットなので、同じドリンクでないとお受けできないんです」
「あれ、そうだったのか。まあ、しょうがないか……いいよな、なまえ?」
「いいけど、いいんだけど、新しいほうはエギングJrが注文しなよ」
「でも、なまえも飲みたいだろ」
「飲みたい、けど……」
 フォローが下手くそというか、嘘がつけないというか。わたしは気遣いしたがりのくせに、そのテクニックをあまり持ち得ていなかった。エギングJrは、目を泳がせるわたしを見て、悪戯に笑った。「じゃ、思い切って一個にしようぜ」そう言って、店員さんに新作のドリンクだけをオーダーした。店員さんは気恥ずかしそうにはにかんで、エギングJrの手から小銭を受け取った。
 流れに付いて行けなかったが、つまり。同じドリンクをふたりで飲む、という状況らしい。
 わたしたちは、幼馴染だ。でも、今までエンペラーにくっ付いて回っていたせいで、エンペラーと同じものを飲むことはできても、エギングJrとする「それ」は、なんだか違うもののように思えた。途端に、緊張してきてしまう。
 でも、彼は何でもなさそうだった。ドリンクを受け取って一口飲んだあと、「ん」とわたしに手渡してきた。わたしが受け取ると、「すげー美味いな」とひとこと感想を言った。わたしも、飲んだ。ベリー系のドリンクは甘酸っぱくて、確かにとても美味しかった。

 わたしたちは外に出て、ドリンクを交互に飲んだ。飲むという行為はできても、心臓は落ち着かないままだった。だって、エギングJrは普通のボーイだ。年頃で、カッコよくて、性格のいい、普通のボーイなのだ。
「なまえってさ。エンペラーと居て、楽しい?」
 不意に持ち出されたその質問は、鋭いナイフのようだった。ぐさりとわたしの胸に刺さって、わたしは数秒、言葉を失ってしまう。
「エンペラーが煙草やってんの、知ってるだろ?」
「エギングJrも、知ってるの?」
「プリンツ以外は知ってるよ。エンペーサーとも話したよ。なまえが止めても聞かねえんだろうなーって」
 わたしは俯いた。大会が終われば。そうすればきっと、自らやめると思う。彼は、ことに大会のこととなると、ひとが変わる。気迫と野次。羨望と重圧。色んなものがのし掛かっていて、今にも潰されそうになっている。そんな印象がある。わたしは、誰よりも彼の近くにいた。でも、近くにいても、このくらいのことしか判らなかった。
 エギングJrは、自分で蒔いた暗い雰囲気を払いのけるようにして、今度は「なまえって、オレのこと好きだよな?」と笑ってみせた。
「えっ……?」
「冗談だって!」
 豪快に笑った。エギングJrの冗談らしい。種明かしをされても尚置いてけぼりのわたしは、むすっとした表情を作ってしまう。
「でもさ、少なくともオレは、こういうのやれて嬉しかったけどね」
 いつのまにか空になっていたプラスチックのカップをゆらゆらと掲げ、わたしの様子を観察している。揶揄ってる、のかな。不機嫌な表情のまま彼の顔を凝視するが、彼はやはり何ともない様子でそこに居る。「もうこのまま王から奪っちゃおうかなー。可愛いしさ。命令にも背いてみたいじゃん、たまには」こんなことを、言っていた。
 揶揄い半分かもしれないけれど、エギングJrの言葉は恋愛に不慣れなわたしの気持ちを誘惑するには充分すぎるものだった。こんなことを言われて、好きにならないガールは余程高嶺の花である。誘惑に、乗ってみたくなった。わたしは自分がどうしたいのか、今はまだ答えを出せずにいる。それでも、着実におとなに近づいてゆくわたしたちは、そろそろ何かとお別れをしなければならないのかもしれない。
 エギングJrの手に、自分の指を絡ませてみると、彼は「まだ夜は長いな?」とやんちゃに笑ってみせた。すっかり夕闇に包まれたハイカラスクエアのネオンに導かれるようにして、わたしたちは歩いた。夜明けになったらどんな色になるのか、痛む胸を少しだけ躍らせながら。