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検察側の証人にされた主人公。弁護士である彼女はナユタ検事の言い付けを無視し担当弁護士にすべて喋ってしまうが… ナユタ・サードマディ / 逆転裁判 | 名前変換 | 14min | 初出20160708

白の虚像

 わたしは今、検事局のとある執務室に呼び出されている。部屋は古い紙と埃の匂いがどんよりと立ち込めていた。細く開いた窓から、生ぬるい空気がなだれ込んでいる。その風はそよそよとカーテンを揺らしている。
 椅子に座らされ、両脇には係官がいる。目の前にいるひらひらとした衣を身にまとった検事さんが、書類に書いてあるわたしの職業をつぶやいた。
「弁護士さん、ですか……」
 心底面倒くさそうな口ぶりである。
 わたしだってここまで来るの結構面倒くさかったんだけどな……。それは言わずに腹の底に沈めておいた。
 執務室の机には、彼の名前のプレートがきちんとあった。ナユタ・サードマディ、今刑事裁判の界隈で話題になっている国際検事だ。噂は耳にするものの、実際に会ってみるのは初めてだった。白に近いブロンドの髪に、白い服、白い肌。なにもかも白い人だった。
「あなたは検察側の証人です」
「はい」
 わたしが心細く返事をすると、ナユタ検事は目を細めて微笑んだ。どういう感情があってのその表情なのか、判然としない。
「円滑に法廷を進めるために、証言する内容は、あなたの話を訊いてこちらで決めさせていただきます。あと、オトモダチの担当弁護士にぺらぺら喋らないように」
「し、従います」
「いい心がけです」
 有無を言わさない威圧感に気圧されてしまう。検事にも色々いるが、この人は怖い方の検事だな。会って数秒だけれど、そう感じた。
 わたしは目撃したことを洗いざらい話した。わたしが見たのは被告人が現場から立ち去っていくと思われる部分のみだった。被告人は近所に住むわたしの幼なじみで、荷物も何も持っていなかったので散歩しているのだと思った、ということも話した。これをどう裁判に活かすのか判らないが、ナユタ検事は話を聞きながら器用にパソコンに文字を打っている。この人とパソコンは似合わない取り合わせだなと思った。
「あなた自身は、そのとき何故そこに居たのですか?」
 熱のない目線をこちらに向けて訊ねる。わたしは正直に、家への帰り道で、と答えた。そもそも家の周りでのできごとなので、家に帰る途中か出掛ける途中か、そのいずれかしかない(庭弄りしていて……とかもあるのか。まあ今回は関係ないけど)。
「……あんなに細い路地を通るのですか?」
 ナユタ検事は訝しげな顔をする。
「一番の近道なんです。あと、あの地域は細い道が多いから、珍しくないですよ。この間テレビでも放送されたくらいなんですよ!」
 ナユタ検事は興味あるのかないのか判らない素振りで二、三回頷いて、かたかたとキーボードを叩いた。

 取り調べというのか打ち合わせというのか、は、三十分程度で終了した。事務官らしき人に出口まで案内されて、わたしは検事局を後にする。建物を出てしばらく歩いたあと、わたしは早速、本件の担当弁護士であるココネちゃんに電話した。そして、近くのカフェに立ち寄って、洗いざらい喋った。ナユタ検事とのお約束なんて何のその、どうせ法廷で暴かれるなら、今のうちに喋るべきだと思ったのである。そのおしゃべりはだんだん事件のことから遠ざかり、終いには検事局にいる面白い検事の話題で持ちきりになって、わたしたちはコーヒーを三回おかわりした。
「ごめんね、事件のこと調べてる途中だったのにね」
「ううん! 今日はもう調べつくしちゃったんだ。後はまとめて準備するだけ!」
 ココネちゃんは元気に言って、右手でピース・サインを作った。わたしもあわせてピースをする。
「水谷くん、助かりそう?」
 わたしは幼なじみの安否を訊ねる。
「今のところは勝算あるよ。何にせよ、否認してるから、完全無罪を勝ち取るだけだよ」
 ココネちゃんの頼もしい姿に、わたしはほっと一息つく。
「じゃあまた、明日ね」
「うん、また明日」
 手を振って、わたしたちはそこで別れた。

 次の日の裁判は大荒れだった。わたしが証言内容を予め弁護士側に話していたこともあってココネちゃんは準備万端だったし、それをもとに事件現場の状況を正しく整理し直せているようだった。ナユタ検事があれこれ反証材料をつきつけるものの、それはすべてココネちゃん(と、隣で見ていた成歩堂さん)に跳ね返される。話は巡り巡って、結局再調査ということになった。小槌が勢い良く振り落とされ、その音を合図に本日の裁判は終了した。

 わたしはその日、自分の所属する事務所には戻らず直帰していいことになっていたので、そのまま家に帰った。途中スーパーで買い物をして、大きな袋を抱えて帰路に着く。通い慣れた細い路地を、いつも通り歩いていた最中だった。
 あ。
 わたしは小さく間抜けな感嘆の声を漏らす。家の前に、ナユタ検事が居る。先ほどまで法廷で翻していた生成りの衣が、この小さな路地に不釣り合いにはためいている。彼が振り返ると、三つ編みにしているきれいな髪が揺れた。
「おかえりなさい」
「あ。はい。ありがとうございます……?」
 ナユタ検事は仏のような穏やかな笑みを浮かべている。「あの、調査ですか?」わたしは恐る恐る訊ねる。
「はい。今回の法廷は検察側の恥ですから、明日に向けてしっかり調査を行わなければなりません。どこかの証人が守秘していてくれたら、こんなことにはならなかったのですが」
 ナユタ検事は次から次へと辛辣な言葉を投げかけてくる。わたしは、気まずすぎて何も言えなかった。
「まあ、仕方ありません。事実こちらにも抜けがありましたし、あなたは腐っても弁護士ですからね」
「腐っても弁護士」過激な表現に、思わず復唱してしまう。
「拙僧より弁護士のほうが信用できると、あなたが判断したまででしょう」
 わたしはそれに曖昧な返事をして苦笑いをした。なぜ、わたしは今、自分の家の前で奇妙な板挟みに遭っているのだろう。検事と弁護士、どちらが悪いということでもないし、もちろん証人であるわたしも悪くはない。なんとなく、ナユタ検事からは、弁護士嫌いの威圧を感じるのであった。
「そうだ、ナユタ検事、喉乾いてませんか? うちでお茶でもどうですか」
「……お茶、ですか」
「わたし、約束破ったので、お詫びと言ってはなんですが」
 反省は、してませんけど。喉元まで出かかったが、これは言わないでおいた。ナユタ検事は返事を出すまでに少し時間を要した。躊躇っているような気がした。でも、最終的には肯いて、わたしの家の敷居を跨ぐことになった。

「何もない家ですが、どうぞ」
 ナユタ検事を客間へ招く。畳貼りの床に低いテーブルが置かれただけの、本当に何もない部屋に彼を通した。襖を開ければ居間やもう一つの部屋に繋がるが、散らかり放題なので閉じっぱなしにしておく。窓の外にはあまり手入れの行き届いていない荒れた庭が広がっていて、窓に向かって座ると自然とそれが臨めてしまう。意気揚々と招いたはいいものの、見せるほどの家ではなかった。
 わたしは端に積み上げてあった座布団を二枚敷いて、その一枚を指して「ささ、どうぞ」と座るように勧める。ナユタ検事は無言で座った。背筋のすっと伸びた、きれいな正座だった。
 わたしはそのあと居間へ回って行って、冷蔵庫の中から水で出しておいた麦茶と、グラスふたつとを盆の上に乗せる。先ほど買ってきたばかりのさくらんぼを洗って小鉢に放り込むと、それもあわせて客間へ持って行った。部屋の外から彼の真っ直ぐな背中を見ると、ますます場所との馴染まなさが目立った。日本家屋に神がいる。そんな状況だった。
「ご家族と暮らされているのですか」
 わたしが盆を机の上に置くと、ナユタ検事はわたしにそう訊ねた。わたしは首を振った。
「もともと家族で住んでたんですが、みんなのほうが出て行っちゃったんですよね。といっても、別に仲が悪いわけではないんですよ。父は地方に異動、母はそれに連れ添っていって、弟は弟で地方の大学に行きました。それぞれに見合う場所に、行ってしまったというだけです」
 わたしはグラスに麦茶を注いだ。ナユタ検事は注意深く、その透き通った茶色の液体を見つめる。
「拙僧も、本国では一人で暮らしています。こんなに広い家ではありませんが」
「そうなんですか。ナユタ検事ってお幾つですか」
「二十五になりました」
「あら」
 わたしは麦茶のポットを元の角度に戻して笑った。「わたしと一緒」
 グラスは冷たい麦茶のせいで早速結露していた。「はい、どうぞ」と渡すと、ナユタ検事は一口飲んで、静かにグラスを置いた。
「さくらんぼ食べますか?」
 一房掴んでナユタ検事に見せてみる。彼は「いただきます」と言って、連なったさくらんぼを手繰り寄せて、一粒だけもぎって食べた。わたしは部屋の隅っこにあったティッシュ・ボックスを取って、机の上に置いた。
「テレビ番組を、拝見いたしました」
「うん? テレビ?」
「この辺りの路地を紹介していた番組です」
「えっ、みたの!?」とわたしは思わず大きな声で突っ込んでしまった。それでもナユタ検事は顔色を変えずに、深く肯いただけだった。
「本当に、細くて長い道が、この辺りには多いのですね。人が一人通るのがやっと、というところでしょうか。肩がぶつかるどころでは済みません。すれ違うときはどうするのでしょう?」ナユタ検事はわたしに向かって首を傾げた。「……それより、拙僧は坂道の多さに驚きました。坂の上から臨む下りの細い階段の路地といったらもう、絶景ですね」
 はあ、とわたしは気の抜けた相槌を打って訊く。よくまあそんな流暢にすらすらと言葉が出てくるものである。お世辞にしたって出来すぎている。
「あの坂は、本当に素晴らしい」ナユタ検事は、強調して言った。
「そうですか。そういうもんですかねえ。結構登るの大変ですけどね」
「あの景色が見れるならがんばって登るというものです。みょうじ弁護士はそうは思いませんか」
 あーうんまー思わなくはないけどねー、と言いながら、わたしはさくらんぼのへたと実をひたすら分解していた。右側にへたの山、左側に実の山が出来上がる。ナユタ検事は躊躇うことなく、紅の山から実を掻っ攫っていく。
「もしかして、行ってみたいの?」
 単刀直入に訊ねてみる。彼はまたも、大きく肯いた。
「まあ、行くのはいいんですけど。そんなに?」
「はい。あんな場所は見たことがありません」
「よく褒め言葉が出てくるね」
「もっと言えます」
「たとえば?」
 ナユタ検事はふうと一つ息を整えてから「空前絶後」と言った。わたしは思わずお腹の底から笑ってしまう。
「ナユタ検事って面白いですねえ」
「そうでしょうか」
「ふふ、そうですよ。よし、じゃあ行きますか」
 わたしは立ち上がった。ナユタ検事もすっと立ち上がり、座布団を持ち上げる。片付けようとするので、わたしはそれを制止して、玄関に向かうよう客間から追い出した。

 その坂道はちょうど櫻井商店の真横から伸びている。伸びている、というより、そこから見るとぽっかり穴が空いたような、崖の印象があるのだけれど、恐れずに近づいて覗いてみれば、石階段が絶妙な間隔で一段また一段と並んでいる。登りはまだしも、降りはちょっとした肝試し。度胸と思い切りが試されたりする。
 ナユタ検事をそこまで案内すると、彼はほう、と感嘆の息をつくや否や、颯爽とその階段を下っていった。ため息から行動まではおよそ三秒ほどで、戸惑いなどはなく、ただ目の前に道があるから進むみたいな流れだった。あまりの迷いのなさに、わたしは絶句しながらも付いていく。不思議とナユタ検事の後ろを付いて降るのは安心した。
 一度下り切ると、ナユタ検事は、今度は上を見上げる。
「降りるだけでも長かったでしょう」わたしは彼に話し掛ける。
 彼は聴こえているのかそうでないのか、無言で階段のところまで引き返し、今度はその石段を上がっていった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 わたしはまた懸命に追いかける。ナユタ検事は坂なんて存在しないかのように、歩く速さで登って行ってしまう。いったい、どういう身体をしているんだ? わたしは疑問でいっぱいになった。クラインの人って、こんな修行を年がら年中やっているのだろうか、なんて。
 登りきるころには、わたしは息が切れていた。我ながら情けないけれど、恒常的に運動をしていない人なら誰でもこうなると思う。
 ナユタ検事はわたしよりもっと先にてっぺんへ到着していて、櫻井商店のアイス・ボックスを無表情の瞳で見つめていた。フルーツ・アイス・キャンデーと書かれた札が貼ってあり、色とりどりのアイスがそこに並んでいる。フルーツが丸ごと凍らされている凝ったアイス・キャンデー、一本三百円、をナユタ検事は凝視していた。
「アイス食べますか?」
 わたしは彼に訊いた。彼は肯いて小銭入れ取り出す。中には小銭が少しと千円札が五枚入っていた。
「恥ずかしながら、日本の通貨のことをよく判っておりません」
「ああ。えっと、三百円だから、これ三枚いただきますね?」
 わたしは百円玉を三枚摘んだ。そして店番の人に渡す。店番の人はナユタ検事の姿を見て驚いている。ナユタ検事はボックスの蓋を開けて、パイナップルのアイスを取り出した。
「そういえば、捜査中でしたね」
 わたしは我に返って言う。彼も「そう言われてみれば、そうでした」と言ってパイナップルをかじる。
「拙僧はこのまま捜査へ戻ります。お茶をご馳走になり、どうもありがとうございました」
「いえ。明日の裁判も、よろしくお願いしますね」
 ナユタ検事はアイスをかじりながら少し考え込む。「……拙僧に何をよろしく頼むというのですか」
「被告人がやったかどうかは、真実を明らかにすれば自ずと見えてくるってことです」わたしは、そんなことを言ったと思う。
 それから検事がアイスを食べ終わるのに五分かかった。食べ終わり、棒を捨てると、彼は「明日また法廷で会いましょう」と言って立ち去る。穴みたいにぽっかり空いた、細い階段をくだっていってしまう。ひらり、白い布が翻って、その姿はすぐに見えなくなった。
 わたしは家に戻った。客間へ行くと、麦茶やさくらんぼ、座布団が、当たり前だがそのまま放置してある。居ないのは、ナユタ検事だけ。そもそも、本当にこの場所に、あの人はいたのだろうか? 思い出そうとしても、うまく思い出せないのであった。