折原臨也が落ちていた。住み慣れたアパートの、もう古くなってしまって色の落ちかけた扉に背中を預けてそこにいる。地面を叩きつける雨がうるさい。抉ってしまいそうなほど乱暴に降ってくる雨粒が、時折風に揺られてズボンの色を変えた。目の前で伸びている男は雨に濡れてはいなかった。雨は先程降って来たばかりだったが、この男はいつからここにいたのだろう。思えばこの男に会うのは二ヶ月ぶりだった。


 手のひらを一、二度開いては閉じて、そうして開いて男の口元に持っていった。部屋の鍵を引っ掴むためにポケットに突っ込んだ方の手だった。鍵は長時間そこに入れっ放しのままだったから体温と同じくらい温められて金属らしさは感じられないのに、ぎざぎざとしたあの窪みを親指や人差し指でいじっていたせいで指先だけ妙な感触が纏わりついた。

 口元に手をやっている間、なんにもものも言わずに臨也の身体を眺めてみた。だらりと手足を放り投げて、よりにも寄って俺の部屋の玄関に凭れかかっている。なんだか嫌に小さい。仕事に気を取られて過ごした二ヶ月で、こいつはいったい何をやっていたのだろう。ただでさえ痩せ細っていた癖に、ひとまわりは小さく見える男の姿に腹が立った。誰にも見捨てられた空き地の枯れ枝を思い出させる。殴られた痕はないが口端から僅かに血を流している。既に乾いているがぱっくりと割れた口角から、覗いた肉がやけに赤かった。
 唇に触れるくらいに手を寄せるとようやく微かに呼吸が確認できたので名前を呼ぶ。臨也。おい、ノミ蟲。二回目でフードに隠れた顔の中で、瞼がひくりと震えたのが解ってもう一度ポケットに手を突っ込んで今度こそ鍵を握り締めた。何もかも放り投げて眠る様子は捨て置かれた燃えないごみと言うよりも新居に引っ越す際に見捨てられた、もう使わない本棚やソファといった風情で舌打ちしたくて堪らなかった。抱き上げた身体はおかしな軽さで、そのくせ脱力し切ってぐにゃぐにゃするのが気持ち悪い。そもそも殺したい程嫌悪する男に、こんな風に接している事自体気味が悪くて仕方なかった。二ヶ月ぶりに、予想外のかたちで出くわしたのがいけなかったのだろうか。ざっと見渡せば左足の袖口が裂かれて染みのようなものがものが広がっていたがそれだけで、触れてみれば乾いてざらつく生地の感触が手のひらに纏わりついて離れなかった。大した怪我などないようなので真下のごみ捨て場にこのまま放置しておこうかと階段へと足を向けるが、ふと普段はかぶらないフードのことが気になって足を止めた。ざんざんと雨足が強まっていくのを遠くで聞きながら、切れかかったアパートの廊下の電灯の下で、影が濃くなった男の顔を覗きこむ。サングラスを仕舞い、うっかり家の鍵を取りこぼしそうになってはっとした。伏せた目元は相変わらず真白なままだったが睫毛は時折微かにきらめいている。試しに指先で眦から頬にかけてを触れてみた。濡れた感覚も湿った冷たさも間違いではない。雨水がそのまま頬に伝ったと言われてもおかしくないような濡れ方をしているが、底冷えのするような冷たい肌から、微かに潮のにおいがする。本物だ。


「…いざや?」


 電灯の端の方でじじじと音を立てる。未だに止みそうにない雨がぼやけて行く感覚がして、点滅する度にぱちぱちと乾いた音を立てるのがうそ寒く思えてならない。