来神時代




 随分変わった模様だ。そんな風に授業中の窓の外を眺める気持ちで男の制服の中に着込んだシャツを眺めている。異変に気付いたのはまだ視線を逸らしてもそれを気まずいと思わずに済む距離だった。立ちあがった拍子に背を預けていたフェンスが派手な音を立てて、それに臨也が瞬きをした。一つ、二つ。三つ目で腕を掴むとどうしたのと首を傾げられ溜め息が出た。シャツにこびり付いたのは生地の色と少し似通った真っ赤な血だった。真下でけたたましく笛の音が鳴っている。続いて教師が声を張り上げた。すぐ下のグラウンドでは授業中であるらしい。一歩近づくと埃っぽいような土のにおいに混じって鉄錆の鼻をつくにおいがして名前を呼んで窘めた。屋上には誰もいなかったが極力声を抑えて聞いてやる。静雄は?

「授業出てるよきっと。新羅が引っ張ってった」

 ほら次化学だったでしょ?そう言って片手をひらひらとさせて、臨也は忌々しいものを思い出すようにして笑った。仄暗いものを彷彿させるように影のさした瞳を細める癖に、声音は不思議と言い聞かせるように大人しくやさしげだったのに躊躇する。ポケットに突っ込んだ片手の袖口から覗いた手首は絵具の色のように白い。それが包帯であることに数拍置いて気がつく。どうやらもう治療済みと言うことらしい。ならば安心しても良いのだろう。グラウンドでざわめく生徒の声を遠くで聞きながら、再びフェンスに凭れかかると臨也は目の前に座り込みはい、と大き目の付箋のようなものを差し出した。

「…絆創膏?」
「うん。ドタチン張って」
「新羅に診てもらったんじゃないのか?」
「あいつ次は実験だからってこれだけ寄越して置いて行きやがった。まぁ擦傷くらいだから大したことないんだけどさ」

 ね、と笑って、包帯を巻いた方の手で前髪をかき上げる。包帯の白さと肌の白さは比べてみるとやはり質が違うのにほっとしたものの、露わになったこめかみに滲んだ赤にまた溜め息をつかざるを得なかった。血は流れないものの皮が捲れて乾ききることもなく血が留まっている。包帯に掠めるようにして触れてもう良いと教えてやると素直に手を離したので代わりに前髪を抑えてやった。傷口に触れないようにして指を置く。小さなあたまをしている。

「血ぃ出てるぞ」
「あれ、さっき消毒だけはしてもらったんだけどなぁ」
「痛いか?」
「痛いって言うか、痛痒い」
「そうか」

 風が吹いている。グラウンドは、先程よりは静かになったと思う。沈黙は苦痛ではなかった。臨也は傷口を診る俺の方を見て、少しして地面に視線を落としそのまま大人しくされるがままになっている。新羅や静雄がいない時こいつは割と素直で大人しかった。懐っこく笑うのが年相応に幼くてかわいかった。静雄が見たらなんて思うだろうか。そうやって笑いかけてやれば、少しは怪我も減るだろうか。包帯を見る。白いな、と思う。

「どたち、ん、?」
顔を近づけると血のにおいとアルコールのにおいがした。擦って出来たらしい傷を舐める。臨也が震えたのが解って、息を飲むような音を他人事のように聞いていた。舌が金属に触れたような感覚はもっとずっと後になってから気付く。相変わらず臨也は震えていた。
「……苦い」
「だから、消毒してもらったって、言ったじゃん」
「言ったか」
「言ったよ」
「そうか」
「…そうだよ」

 もう一度髪を臨也に上げさせて、さっさと絆創膏のテープを剥がし慎重に傷口に当てた。舌で触れるよりもこちらの方が緊張している。震えそうになる指を堪えて張り終え髪を梳いて整えてやると臨也はふと笑って隣に座った。今日のどたちんはおかしい。仕方がないと言った口調なのに嫌味な感じが全くなかった。おかしいのはお前の方だよ。言おうとして手のひらで触れた小さなあたまのかたちを思い出して、指で梳いた髪の毛のやわらかさを思い出した。背中にフェンスの冷たい温度を感じている。結局何も言えなかった。






エタノール越しの初恋
〜2010.3.06 拍手御礼 門田と折原