最近ようやく知ったことがある。こちらが手を出さなければ、男はこちらが戸惑うほど丁寧に触れようと努めてくれると言うことについてだ。その努力が成功するのかしないのか結果はどうあれ、服従ではない意味で逆らわなければ男は嘘偽りなく出来る限りはやさしくした。戸惑いつつも呆れるくらい怖々とした手つきで、女に触れるようにして指先を伸ばし肌を確かめている。存外自分も嫌いではなかった。そう言えば初めて縋るようにして彼の背に腕を回したのをはっきりと覚えている。お互いに戸惑っていたせいで随分と下手くそなキスを二回ほどした。歯と唇がぶつかったせいで口端を血で汚してしまった。男は何も言わなかったが、少し眉を寄せて切れた唇に舌を這わせてきたのでどうしようもなく回した腕に力を込めた。舌が這う度にぴりぴりと傷口が痛んだが大人しくしていた。動転していたからだ。決して強請るつもりではないと言い聞かせる。言い聞かせて、一ヶ月に一度くらいは、俺は彼に対してあまり遠まわしな物言いをしなくなるし、ポケットの中のナイフに手を伸ばすこともしなくなる。ほんの些細な気紛れなのだ。甘やかされたい訳ではない決して。頭の片隅で思い浮かべる度にベッドの上の彼の隣でも池袋の路地裏でもそうやって言い訳をする。ほんとうの所などどこにもない。表も裏も、そんなものはないよ。


 今でも鮮明に何もかも思い出せる。あの日俺の爪は割れることもなくきれいなままで、シーツもきれいなままだった。これっきりだと決意するように思い知ったはずなのに焦がれるようなじれったさは惰性で進行していくようだった。とてもじゃないが愛撫などと呼べない手つきで肌の感触を確かめて、拾い上げた快楽のもっともっと奥を窺うようにして目を合わせている。出来そこないのペッティングをして息を乱す。あの時と同じように。今日も。今も。もしかしたらこれから先も。

「ん。……っん、ん、」
「良く、ないのか」
「……ううん」
「…触っていいか」
「………うん」

 触れてきた手のひらの熱に目を瞑ってしまう前にふと男の顔を見た。定まらない視線を上向ける。手のひらは既に頬に触れて首筋へと下って行こうとしていた。何でそんな風に触れるのとか言いたいことはたくさんあったが、結局ものも言わずそのままにしている。下ってゆく指先が耳の裏側を控え目になぞって行くのにあぁ長い指をしているとぼんやりと思う。思わず細めてしまった視界で彼は口元を薄く開いて目元だけを柔く細めていた。笑っているのだろうがそれにしたって随分控え目で解りにくいものだった。
 顔がゆっくりと近づくのを他人事のように観察した。こめかみにやわらかく湿ったものを押し付けて、それからぼそぼそと耳元で言っているらしいがあたたかい吐息に意識を持っていかれてそれどころではなかった。ふと視線を寄越すと真白なシーツが波打って酷くきれいだと感じた。試しに近づいた顔に指を伸ばして、さして長くもない爪を立ててみる。

「しず、ちゃ、」


 爪が割れるほど力を込める体力も気力も残っていなかったので、顔の輪郭をなぞるだけなぞって笑う男の口を塞いだ。








素直なひとは好きですか
2010.3.01 静雄と臨也