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慣れないように触れる手を、好ましいと思ったことなど一度もなかった。恐る恐る指先を手の甲に置く男の、情けない顔を眺めてひたすら無心でいようと努める。それが俺の仕事で、多分、使命ですらあると殆ど本気で思っている。いつからか人が滅多に利用しなくなった屋上にはやはり俺たち以外誰もいなかった。時々目元にかかる前髪を自由な方の手で払って、もう放してよと思いを込めて男の目元を覗いても彼はなにも察してはくれない。最初から期待していた訳ではもちろんなかった。遊びの延長のようにして殺し合いをする仲から、なにかが加わってなにかが差し引かれてしまったこの関係で、期待するのは間違っている、けど、…ねぇシズちゃん、君さぁ。それにしたって空気くらい読めよ。
立ち膝になって胡坐をかいた男の金髪を見下ろしながら、なにを思ったか幾分見当違いなことを口走る男を少し睨んだ。

「なにガンつけてんだ手前は。……もしかしてこれ、痛ぇ、か」
「別に、なにも。ただ、君がなにをしたいのか未だに解らないなぁ、と」
「…うるせぇ」

そう言って指と指を交差させて、シズちゃんは弱々しく俺の手を握り締めた。どうしたらいいのか解らない手つきは相変わらずで鼻で笑ってやればいいのにと片隅で思う。
一番最初から考えると彼の手つきは幾分繊細になった。そのせいかどうかは解らないが、以前よりも彼は余計に触れたがるようになったと思う。俺の手の甲が真っ赤に腫れて、新羅にも指摘されたのはまだ夏になりかけの頃の話だったのを思い出す。

「しずちゃんさぁ、…」
「あ?」

もう随分こんなことを続けている。握りあった左手をなんとなく睨むと、連鎖的に、その原因である男の青褪める寸前の泣きだすようなあの表情も思い出し舌打ちを打った。怖がりの子どものような目をしてそれでも腫れ上がって傷ついた手の甲から顔を逸らさないこの男のことを、俺は笑わなかったし笑えそうになどなかった。それ以来切り揃えられた短くまあるい爪も。短すぎだよと言えば彼はうるせぇと目を逸らすだけだった。痛くないのと聞けば平気だと諭すような顔で返される。いつの間にか俺の手の甲よりも、彼の深爪の方が痛々しく思えてならなくなった。

「…どした?」
「……別に。」

交差した男の指先が指と指の間の、やわらかい皮膚の部分に触れていた。友人曰くいろんな意味で目立っていた手の甲を思い出し、言いかけて結局教えてくれなかった言葉を思い出す。
あれから考えれば随分と目覚ましい進歩だった。あの言葉の続きを今でも時々考えながら、少し下にある男の顔を覗きこもうとすると乱暴な手つきで抱き寄せられた。バランスを崩し倒れ込んだせいで、男の鎖骨に鼻をぶつけて地味に痛い。苦しくはない力で、だけど不器用な抱擁で緊張したのか繋いだ左手に力が籠る。戯れるみたいに胸に耳を当てて目を閉じた。少し早い心音を聞きながら考える。痛みのない程度の、縋るよりもやさしい手つきだった。それでも証拠を突き付けるみたいに、俺の手の甲はやっぱり赤くなるのだ。すぐに消えてしまう程に薄く色が差す程度だけど。

「なんでもない」

それでもね赤く、なるんだよ。力を抜いて男に完全に身体を預けて、俺はもうなにも言わなかった。シズちゃんは文句も言わず俺の手を握り続ける。眠いのか、と呟いたまま。答えはいらないみたいだったし、事実、俺が黙ったままなのを彼は気にした風でもなかった。
だんだんと眠気が襲ってくる。俺はなにも考えず、ただ目を伏せて傍にいる男の心音を聞いた。次に目を開ける時にはもうこの左手は真白く戻ってしまっているだろう。知りたかった新羅の言葉の続きが解りそうで解らなくて、縋るように握り締めたのは今度は俺の方だった。










やわらかなあいのかたち

2010.07.28 岸谷と、折原と平和島