※ 写真部九十九屋さんと図書委員折原くん。
※ 眼鏡っ子臨也さんがいます。素敵で無敵な情報屋さんはいません。
※ 来神時代とは別物の学パロです。









テスト明けの放課後になると、この間まで教科書を広げてノートを写し合っていた生徒も訪れなくなった。ドア一枚隔てた向こうでは生徒の笑い声がうるさく、しかしここにいると膜を通したように不鮮明に聞こえた。一つだけ解放した窓から勢いよく風が吹き、その度にカーテンがばさばさと揺れていた。時折何かを面白おかしそうに叫ぶ声が聞こえる。しかしやはり鮮明ではない。この空間だけ切り取られたように思うのは本に囲まれているせいかもしれない。紙のにおいと埃臭さが入り混じったこの教室で、机の上に置き去りにされた鞄に目を向ける。
カウンター当番で俺がここに来た時から、誰もいない図書室の机のど真ん中にそれは置いてあった。しばらくカウンターで読みかけだった本を読み、返却された本の整理を始めたが持ち主はおろか教師も誰も現れなかった。試しに見つめてみてもドアは開かない。
すぐ傍の窓の鍵に手をかけ思い切り押し開ける。途端に吹き込む風に前髪が目元を掠めた。螺子もゆるみ度も合わなくなってきた眼鏡がずり下がって、手を伸ばした。中指で押し上げたと同時に、ちゃりん、だか、しゃらん、だか、間抜けな音が響き声も出ずに振り返る。携帯を顔の前まで持ち上げた、男子生徒が一人。お前か。

「……気配消して後ろ立つなよお前」
「あぁ、失礼。なかなか良い構図だったからな。許せ」

最初から許可など求めていないだろうに、九十九屋は悪びれもせずあっけらかんと笑う。写真部の癖に持ち上げたのは男の薄い携帯だった。机の上のあの鞄は恐らくこの男のものなのだろうと根拠もなしにそう思う。
画面を覗き込みながら笑えよなどとぬかす男の顔を見ていると漁って財布の中身でもひったくってやれば良かったと後悔し始めたので早々に背を向ける。途中、九十九屋の左手に握られたプリントに目が入った。どこかで見た覚えがある。なにそれとは聞かなかったが。
「あぁ、進路希望のな。さっきもらったんだ」
「…別に聞いてない。つか提出期限明日じゃなかった、それ」
「へぇ、随分早いな」
「配られたの三週間前だろ。馬鹿じゃないの」

へらへらと笑いながらプリントを覗きこむ男に呆れて、窓の手すりに右手を伸ばした。カーテンのはためく音はうるさかったが構わなかった。どうせここには九十九屋しかいないのだ。もう一度中指で眼鏡のフレームに触れてから、そのまま肘をつき少しだけ体重を預ける。折原、と後ろからかけられた声に今度こそ振り返らなかった。元々硬い声質の癖にわざと間延びした声を出す。コース選択、どっちだ?
「理U。お前は?」
「文Uだろうなぁ」
「ふぅん。……なぁ、そう言えば写真部はどうなんだ」
「まぁぼちぼちだな」
気負いのない返事だった。プリントを折り畳むような音を聞きながら、俺は写真部の部室に張ってある地味なポスターを思い出し溜め息をついた。写真部の名前と、掛け持ちOKの文字だけが書かれたシンプルで下手くそな手書きの。
俺はあの狭い部室に相変わらず笑い続けるこの男以外の生徒がいるのを見たことがない。ただ、何冊も机に積み重なったアルバムを見たことだけはある。そのほとんどが街の写真で呆れ果てたのは、つい最近ではない。
「相変わらず街の写真ばっか撮ってんだろ」
「なんだ、お前も興味が湧いたか?なんなら入るか、写真部」
「謹んで辞退させてもらうよ」


嬉しそうにはしゃぐ子供の声に聞こえて、俺はそれ以上なにか聞くのを止めることにした。話せば話す程なにかが剥がれていくような感覚がする。この男と話す時はいつもそうで、俺はそれが、言ったことはないが少しだけ恐ろしかった。男の笑顔はなにかを見抜く時のそれによく似ていた。暴くような鋭さなど皆無な癖に。
思えば見透かすことはあってもその対象になることは初めてだ。打って変わって足音を消さずに詰め寄ってくる男に肩が跳ね、牽制のつもりでねめつける。なに、と出かかった言葉が、伸ばされた手のひらが予想外の位置に伸びて、掠れた。両耳のすぐ傍にある手は白くて大きい。身体が強張る。
「―――は、え?っちょ、!」
「螺子でもゆるんでるんじゃないのか。ずり下がってるぞ」
「う、るさい。解ってる、そんなの、」
「すごい度入ってるなぁ。俺の顔、解るか?これ何本?」
「三本。…いい加減返せよ」
視界がぼやけている。すぐ傍には指を三本突き出している九十九屋の、あやふやになった顔がある。何も言わずに手だけを九十九屋の顔の前に寄越すと、男はなにを思ったのかもう片方の手で俺の手を掴み、手のひらに眼鏡を置いてこれで良いかとほざいた。笑ったらしい口元も今はぼやけてしまっていて掴んだ指の温度だけが浮き彫りになる。見た目以上に体温は高い。
「………子供かよ」
「うん?なにか言ったか?」
「別に」

腕を引くとなんでもないように九十九屋の指も離れた。少し上の方から視線を感じながら、眼鏡をかけて何となく周りを見渡す。相変わらず人の来ない図書室に、テーブルの上の鞄が一つ。男の胸ポケットに入った、小さく折り畳まれた提出用のプリントを睨んでもう一度背を向けた。カーテンの音がうるさくてかなわない。九十九屋のことを名前で呼んだことはなかったことを唐突に思い出し、それでも呼ぶ義理などなかったから苗字で呼びかけた。お前将来何になりたい。言えばさぁなぁと間の抜けた返事が返ってきて、それがあんまり予想通りの答えで、俺は笑った。今度は俺が名前を呼ばれる。そう言えばお前も、俺のことを「折原」と呼ぶよね。言ったことはなかったが。

「なぁ折原」
「なに」
「こっち向けよ。あぁ、勿論笑顔で」
「なにそれ」

中指でフレームを押し上げ顔だけで振り返る。携帯を構えた九十九屋が真後ろにいて、挙句に、「ほら、ぴーすぴーす」など。馬鹿みたいに真剣に言われたものだからおかしくって仕方がない。込み上げるなにかを噛み殺して、馬鹿じゃないの、と吐き捨てた。そうするしか出来なかった。涙が出る。おかしいのにふと哀しくなって、しかし妙な具合に居心地が良かった。合わない眼鏡がまた少し下がる。背中を向けたまま二本の指を上に突き出し、掲げた。なにが、ぴーす、だよ。

「お前は素直じゃないなぁ」

それでも満足そうに、男は笑ってシャッターを切る。






明々後日の融解


2010.06.11 九十九屋と折原