組んだ腕に頭を乗せたまま、冷たい机にへばりついて先程まで見ていた夢の内容を思い出そうとして失敗する。予想外の男の出現に、一瞬でも意識が逸れたのがいけなかったのかもしれない。思わずと言った風に舌打ちをしたくて堪らなくなる。名前を呼ぶ低い声が机に響いて、耳に届くとざわりとした。

 珍しく見た夢は酷く懐かしく、それなりに大切な記憶であるという確信だけが間違いなく存在していた。だからかもしれない。思い出せないのが少し薄情だと思って、同じ体勢のまませめてもう一度同じ夢が見れないかと薄く期待をしてそのままの格好でいる。彼が教室に入ってきた時点で意識だけなら完全に目覚めていたし、机か椅子かを持ち上げる音がした少し前から、袖口に仕込んだナイフに片手でそっと触れていた。指先でつるりとした表面に触れるのは慣れた感触だったがどうにも違和感が拭えず手放したくって仕方がない。味気ない無機物の温度に嫌気がさす。ようやく感じた煙草の匂いにすぐに銘柄が浮かんで、そしてどうしようもなく虚しくなってしまった。もう夢は見れそうにないと漏れそうになる溜め息をどうにかして堪えた。


 時間にしてみればものの数秒と言ったところだろうが、如何せんやけに静かな空間のせいで拷問のように恐ろしく時間を費やしている感覚を覚えた。このまま起きなかったら彼はどうするだろう。ほんの些細な、なんてことない純粋な興味をふと覚えて今それを少しだけ後悔している。
 かたりと小さく音がしたものの予想していた衝撃はいくら待っても訪れてはこなかった。気配は消えるでもなくそこにいる。そしてそれが存外自分のすぐ傍だと言うことに、今更と言った風に冷や汗が滲んだ。彼は持ち上げた荷物を元に戻したのか、ものも言わずにそこに突っ立ったままである。未だに眠っているのだと思いこんでいるのだとしたら随分と舐められたものだ。やはりここで一度刺しておこうかとも思うが、自分の体温で温くなってしまったナイフを握るのにどうしようもなく躊躇する。指先が表面を上擦っていくのが歯痒い。ゆらりと空気が揺らいで、出て行くのかとも思ったがそれでも男はまだそこにいた。驚くほど静かな雰囲気を纏って、ただそこに突っ立ったままのようだ。敵意も悪意も殺気も何もかもどこかへ置いてきて仕舞ったように穏やかで、恐らく本来の性格通りに無害なのだ。無害で静かで考えなしである。男の視線に背中が震えやしないかと怯えながら、衝動にも似た感情を奥歯を噛み締めて必死に耐える。出て行くと思ったのだ。出て行ってしまうと。そう思った自分が憎くて仕方がないのに、指先は相変わらずナイフに触れたままで、俺はまだ目を閉じたまま机に突っ伏している。すぐ傍にある苦みを含んだようなにおいを意識して思い出す。気配だけの男は別人のようなのに普段吸っている煙草の匂いだけは変わらなかった。微かに甘ったるいにおいが混じっている。大嫌いなにおいだ。それはこの男も知っている。だから、それにほんの一瞬とは言え安堵したなど、間違ってもこの男に知られてはいけない。








02 身体のどこかにあるから

〜2010.3.19 拍手御礼 折原臨也(平和島に属する一件)