反射的に持ち上げた机を、叩きつけるでもなく投げつけるでもなくらしくもなくそっと元に戻したことを、今更になって後悔している。普段から余計なほどに饒舌な男が物を言わないのは何やら妙な心地がして、隠すつもりなど毛頭なかった殺気をどうしたら良いのか困惑した。
 無防備に机に突っ伏す様が物足りなくって意識して息をつく。握り締めた、机を支えるパイプの冴えている癖に粘着質な冷たさを恨めしく思いながら見下ろせば、組んだ腕の中から憎たらしい程澄ました顔をして静かに寝息を立てているのが良く見えた。

 校内放送が流れても、チャイムの音が響いても臨也は起きる気配を見せなかった。なんとまぁ呑気なことで。控え目に上下する背中を黙って見つめながら、背後の机に凭れかかってしばらくそこから動けずにいた。
 廊下から聞こえる生徒の話し声は絶えない癖に、時計の音さえ聞こえそうなほど静まり返った感覚がする。空間を切り取ったらこんな風になるのだろうか。その空間に二枚にも三枚にも舌が分かれてしまったような男がぽつんと存在しているのだから、なかなかどうして滑稽だった。


 いつもこうならば良い。うっかり口にしそうになってから、ほんとうにそれを望んでいるのか解らず躊躇いながら手を伸ばした。繊細そうな容姿は脆そうに見えるが、見た目反して残念なくらいに破綻した男の生きる姿も図太さも嫌と言う程知っている。造作だけはやたらめったら整っている癖に男の内面はいっそ滑稽なほどに捻くれ真っ直ぐだった。捻じれ過ぎて硬く尖ってしまった一本の針金を思い出す。そう言うものに限って頑丈なのだ。予想外に強固で、歪みは単純にも複雑にも見て取れた。


 山吹色の、陽のひかりが射しこんでいる。制服の隙間から覗く首筋がはっきりと照らされているのを、瞬きも忘れてじっと見ていた。伸ばした指先でそれに触れようとは思わない。細くて脆弱で女のようにすらりとした髪の生え際の下辺りに、かたちが解るほど浮き出た骨が小さなくぼみを造っている。寝息だけが耳に届くのは不慣れで居心地の良さなど欠片もない。ただ、石膏で出来た美術品のようにきれいで上等なたちをした首筋は気に入ったので、結局何もできずにこうして今も立ち尽くしている。俺は何も言わなかったし、それは臨也も同じだった。当たり前だ。死んだように、眠っている。

 身じろぐこともなく臨也は眠り続けている。伏せられた瞼の睫毛の長さと落とした影の長さに舌打ちし、先程思い浮かべたあの言葉を呪った。机を持ち上げた時の、あのパイプの纏わりつくような冷たさはもうどこかに消えてしまった。やがて体温を取り戻し温くなってしまった手をポケットに突っ込む。持ち上げた机を投げつけなかったのをこれほど後悔したことはない。握り締めた拳の行き場所など知らないのだ。だからひたすら眠り続ける男のすぐ傍で、熱を帯びた指先の感覚に目を瞑る。黙ってしまえば、背筋を何かが這うような静けさが付きまとうが、そんなものは手のひらに爪を立ててやり過ごしてしまえば良い。こんな風にこの男と静かに過ごしたことなどなかった。単なる気紛れで片付けて仕舞わなければならないと言うのに、置物のような風情で机に突っ伏して、覗きこんでも臨也はまだ目を覚まさない。見下すようにして臨也の首をねめつけた。だからお前、さっさと起きろよ。殺してやるから。







01 パレードの指揮
2010.3.07 平和島静雄(折原臨也に関する一件)