ありがとうございました!
拍手御礼は静臨で恐らく甘いです。
R-15表現を含みますので苦手な方はご注意ください。











―――今なら、きっと殺せる。
うっすらと汗をかいた肌を見ると、いつも。俺はそんな風なことを、例えば呪文のように繰り返しながら男の生白い腹を眺めている。凹んであばらの浮いた腹は腕一本で穴が開きそうなほど平らで薄かった。今更のように男の身体を見降ろす。薄暗い部屋の中で、ひっきりなしに呼吸を乱す臨也の身体は幽霊のように白くぼやけて生温い。
はっとするような感覚にいつも陥る。会えばいつだって殺そうと追い続けた男は今にも死んでしまいそうなほど拙い呼吸を繰り返す。それを見て感じるのはいつだって征服欲だとか支配欲とは縁遠いなにかだった。臨也は左手で口元を押さえたまま声もろくに出せずシーツに片手で縋っていた。時折痙攣する棒切れのような足を抱え直すと派手に息を呑む。
細くて、哀しいくらい軽い、足だ。

「………平気か」

返事はない。たった指二本分で、男はこんなにも無抵抗になる。先程まで散々ナイフを振り回しあまつさえ急所を狙って踵を振り下ろそうとしていた男とは俄かに信じ難かった。シーツの上で死体のように横たわり無防備に腹を見せる仕草はまるで差し出すそれなのだ。従順な姿に自分が捕食者になってしまったようで、意味もなく、悲しい。

慣れていないのを隠すこともせず、出来ず、受け入れる臨也はいつものように強張ったまま縮こまっていたが、やがてぱさぱさと髪を振り乱して背筋をしならせながら首を横に振った。どうやら良いところに触れたらしい。生温いばかりの肌と違って、きちんと中身はあたたかく熱を持っていた。中指と薬指を使って押し上げると臨也はぎちりと音がする程シーツに爪を立てた。声もなくそうされると苦痛ばかりを与えているようで居心地が悪かったが、一言だけ。たったの、一言だけ、あ、と声を上げ臨也は二、三度大きく仰け反りやがてゆうるりと弛緩した。苦痛ばかりではないのだと解る表情に、救われたのは俺の方だった。

引き攣ったような呼吸ばかりの、か細い悲鳴が耳に残る。喉元は相変わらず震えていて懸命に唾を呑み下していた。頬はうっすらと上気して赤みがさしている。目を伏せて呼吸する男の睫毛は濡れて幾分重たそうに見えて、心の中で、それが持ち上がるまでのカウントをした。10から数え始めると同時に両手を持ち上げ男の首筋へと近づけて行く。だんだんと数字を減らし、6を数えたところでローションやらなにやらで濡れてしまった中指と薬指が目に入り訳もなく止まったが結局それだけだった。もう一度6から数え直し男の首筋にそっと指を這わせた。カウントは2で止まる。男が瞼を開くのと、殆ど同時だった。辺りを見回すこともなく男は真っ直ぐに俺を見る。射抜くような鋭い視線ではないのに、見透かされるような心地がして声が出なかった。

「………」
「…………っ、…」

瞬きは二回だった。たったの二回瞬いた後、臨也は首に巻きつけた俺の指に触れて、そうして眠るように瞼を下ろしなにも言わなかった。躊躇いのない、厳かな動作に俺は食い入るように見つめることしか叶わない。皺だらけのシーツの上でするには些か神聖すぎる仕草だった。息を詰めて、それを見守っていた。
今なら、きっと殺せる。触れた指先で弱い脈を感じながら、さっきの言葉を思い出し唇を噛んだ。一定の鼓動に縋るように神経を集中させる。先程までナイフを握っていた手は今も俺の指に触れていた。払い除けたナイフはその目と鼻の先にあったのだ。この男に限って、気付いていない訳がなかった。噛み締めたせいで血の滲んだ指先に舌打ちを打ちたくって堪らなくなる。解けるように些細な力だったが、まるで良いよと笑っているように思えてそれでもう俺は限界だったのだ。触れる手に構わず背中に腕を回し抱き寄せる。臨也はなにも言わない。言う必要などないと思っているようでもあったし、言うべき言葉が見つからないと言った風でもあったから俺もなにも言わなかった。両手で肩口にしがみつき、覚悟を決めたように俯いていたがその僅かな隙間も惜しくて無理やり両腕を首に回させた。こうしなければいけないような気がしたのだ。訳もなく臨也も同じことを思っているのではと思い名を呼んだ。それ以外、俺はこの男にかける言葉が見つからない。言うべきことはきっと周りを見渡せばすぐそこにあるのに、名前しか。こんなのは殆ど衝動と同じだ。

「っ臨也、」

きっとこれは正しくはない。切羽詰まった自分の声を遠くで聞きながら、ただ、これがあるべき姿なんだとはぼんやりと思った。なんでと戸惑うように顔を上げた臨也を見降ろし肩に頭を押し付ける。こんなに強烈に、繋がりたいと思ったことは初めてかもしれなかった。押し当てて突き入れた瞬間、上擦った悲鳴に目を瞑りながらがむしゃらに背中を掻き抱いた。肩口にじりじりとした痛みが広がるが構ってなどいられなかった。ずり落ちた男の片手がシーツに落ちる前に引っ掴み指を組んで繋いだ。爪を立てる力が、徐々に弱々しくなっていくのをきっかけにもう一度名前を呼んだ。顔が見たいと、ふと思ったのだ。少し待てばがくがくと震える身体で、それでも見つめ返す男の瞳には俺が映っている。膜の張った瞳でひかりが揺らぐのに目が離せなくて、思わず指先に力を込めると臨也もまた同じように力を込めて俺を見ていた。指先は既に真白くなり震えている。殆ど反射のように、伝えたいと思った。こんな風に触れたいと思うことも、触れ続ける意味も、差し出すような姿に苦しくなるのもなにもかも。
聞いてくれるだろうか。いつか。お前が初恋なんだと、言えばおまえは笑うだろうか。

(いざや、)


赤茶けた色をした瞳には俺が映っていた。俺の目にも同じように臨也の姿が映っているだろう。それで良い。それが良かった。それ以上の答えなど、もうどこにもないような気がして顔を近づけた。濡れた睫毛を瞬かせて、やがて男は密やかに瞼を伏せる。






天使の睫毛

静雄と臨也








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