二章-4〜涙腺〜
オレはできるだけ揺らさないように努めながら、保健室まで香田百路を運ぶ。
途中で見かけた生徒のほとんどがギョッとした表情でこちらを見ていた。香田に顔を隠すように指示を出して良かったと内心で自分を褒める。
保健室の扉を開けて中に入り、抱きかかえていた香田を椅子の上にゆっくりと下ろす。
人に見られるのは得策ではないので、扉を閉めてから周りを見渡した。だが、人っ子一人いない。完全に二人っきりの空間になってしまっていた。
「あ〜津田先生、不在か。香田。嫌だろうが、オレの手当てで勘弁してくれるか?」
青ざめている彼にオレはできるだけ優しい口調で訊ねる。だが、まるで魂を吸い取られたように香田はオレを見つめたまま身動き一つしない。
やはり嫌なのか…。しかたない。風紀委員を呼んで交代してもらうか。
たしか、こいつは1−Sだから、風紀委員は…。
せっかくだし知り合いだろう人物を割り出そうとしていると、おそるおそると言う感じで香田が言葉を溢してきた。
「どっ、どうして、雪村様の手当てを嫌だと思うと言うのですか?」
意表を付いた言葉に、オレの思考はリセットされる。
「えっ。お前、オレのでいいのか?」
「ぎゃ、逆に…おそれ多いってか…。して頂くのが申し訳ないって…え〜」
まごまごと口走っているがつまりはオレでもいいってことなのだろう。嬉しくなってオレはせっせと保健室の棚から包帯やら湿布やら薬の準備をする。先生に無断なのは申し訳ないが、何をどれほど使ったかと事情を書けば許してもらえるだろう。
「同じ学年なんだ。そんな畏まるんじゃねえよ」
湿布を取り出しながらオレは彼に声を掛ける。
「そんなっ!むっ…無理です」
それでも蒼白でガタガタ震えながら拒否している香田に、オレは再びネガティブ虫が湧いてきた。
あ〜もしかしてただ、断れなかっただけかよ。どうせオレは閻魔大王だよ。この際、浜辺みたいに変装でもするか。グルグル眼鏡ぐらい掛けてみるか?
「やっぱ、オレが嫌なのかよ。嫌なら遠慮せずに言え」
期待してしまっただけにどっと疲れが出てくる。だが、彼には非はない。だからオレは再び彼に逃げ道を作ってやることにした。
「ちっ…違います」
震えながらだが、否定してきた。なら悪いがそのまま手当を続けさせてもらうことにした。手当の準備が終わったので、彼に声を掛ける。
「ほら、服を脱げ。傷になっている所は腕と足だけではないだろう」
「えっ」
「肩も痛めているから脱げないってならオレが手伝おうか?」
「いっ、いや、いいです。ぬ、脱ぎます」
そう言うと勢いより制服を脱ぎ棄てる。彼の身体を見てオレは僅かに眉を顰める。
肩に目立つ青あざが広がっている。手形がくっきりと付いている所をみると、どうも浜辺に掴まれでもしたのだろう。
あいつ、三樹並みに怪力かよ。
あんなちっこい身体で、その腕力は反則のようだ。
「わりぃ」
オレは香田に小さく詫びてから、着ている無地のタンクトップをめくった。
「ちょっ!」
香田はいきなりのオレの行動に度肝を抜かれたようで、慌てふためいている。
「ひでぇもんだな」
思っていた以上に、彼は傷つけられていたようだ。最近の傷は見当たらないが、治りかけの打ち身の痣が脇や腰のほうに広がっている。
明らかに拳を入れられた痕だ。
「…どいつだ?これをつけたのは…」
「それは…自分で…」
唸るようにオレは彼に詰問する。だが、彼は青ざめたままのくせに、あからさまな嘘を吐いてきた。
「違うだろ?明らかに殴られた痕だ。…会計か?それとも、浜辺か?」
騙された振りはせずに、オレは厳しく追及する。ここで、きちんと聞かなければ対処も取れないからだ。それに、オレはほとんど犯人の目星は付いている。この傷痕からしてそれなりに喧嘩を知っているヤツだ。そうなると絞られてくる。
「…聖です」
予想通りだったが、それを聞いてオレの機嫌は一気に下降を辿る。親友と言いながら、この仕打ち。
思っていた以上にヤツの性根は腐っているようだ。
オレは黙々と全ての傷跡に手当を施していく。ほとんど湿布だが、かなりの枚数を張る羽目になった。
彼が現れてたった3週間。その間、本当に香田にとっては地獄だっただろう。同じ寮内では逃げようがない。その上、ヤツの周りには学園の権力者である生徒会役員がへばりついている。
この暴力についても、けっして口に出して言えるもんでもなかっただろう。風紀に知らせてくれればすぐにでも救出の手を延べることができたが、役員が骨抜きになっているんだ。誰も信じられなくなったはずだ。
オレがもう少し、人に頼られるような容姿をしていればSOSを出してくれていたのかもしれない。
それに、オレがすぐにでも浜辺聖と会い、状況を把握していれば…。
「すまない。香田。もっと早くに動く必要があった。すべてオレのせいだ」
手当を終えたオレは椅子に腰かけている彼に深々と頭を下げる。
「いっ、いや。止めてください、雪村様。あ、貴方のせいではありません!」
オレの肩に手を載せて、頭を下げるのを止めようとする香田の気持ちがオレは嬉しかった。そして同時に自己嫌悪に溢れた。
風紀委員長としてそれなりに尽くしてきたと自惚れていた。だが、こんな良心的な奴を守ることもできなかった。
「優しいな、お前。こんなにボコボコにされて、痩せて、辛かっただろうに」
オレは脱ぎ捨ててあった制服を取り、彼の肩に掛けてやる。その肩は小刻みに揺れていた。
「うっ…」
泣きたいのを必死に我慢しているのだと分かったオレは、彼の涙腺の決壊を壊すべく、彼の黒い髪を撫でながら優しく声をかけた。
「泣いたらいい。お前はよく辛抱した。かならず、オレが救ってやる」
オレの言葉が引き金になり、香田はうめき声を上げながら涙をこぼし始める。
「う…うぇ…」
オレはポンポンっと頭を叩きつつ、彼が好きなだけ泣けるように黙って見守ることにした。
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