novel


※男主女主どちらでも読めます
※多くのねつ造を含んでおります
※提督は船に乗って共に艦娘と共に戦場に向かっている設定














 司令室へ入る扉は開いたままだ。蝶番のすぐ横の壁に背を預けてじっと息を飲んだ。時折聞こえる重い咳が私の鼓膜を深く揺する。夢だと思いたいけれど私の背中で感じる冷たい感触がそうはさせてはくれなかった。司令室の扉はいつもであれば鍵が閉まり、中の様子が探れないようになっていた。けれど今日は開いている。提督にはもう既に鍵を閉める余裕すらない。そう思えた。
 私は知っている。提督に死期が迫っていることを。それを察したのは随分前の事だった。偶然廊下で血を吐きながら咳き込む提督を見てすぐに流行病である事を理解した。私以外の子は自分の司令官が病で、今にも死にそうなことを知らない。それが優越感でもある一方、羨ましくもあった。知らなければ死ぬ寸前までいつも通りの会話を楽しむことが出来ただろう。其方の方が提督としては充実した最後を迎えられたのではないか。けれど。もう知ってしまった以上私は提督と楽しい会話など楽しむことが出来ない。轟沈していったあの子達のように提督も冷たい海の底へ沈んでしまう事が私の心には受け止められず、そしてなにより苦しかったのである。
 朝、遠征班を発表し遠征を見送りした後に提督に引き留められた。提督の後ろには大海原が広がる。陽の光が眩しく提督が白くなり見ることが出来ない。
「加賀」
「何用ですか、提督」
「薄々気づいているだろうけれど、もう私は長くない」
 提督の口から命の話を聞いた時今まで以上に胸が締め付けられた。命の話など聞きたくはなかった。今までの私は受け止めたくないその一心が一層の悲しみから逃げる事が出来た。でもそれは無理になってしまった。提督の口から聞いてしまったからには私は受け止める他ない。
「この命は自分の所為で死んでいった子達と共に海へ沈める事にする」
付けていた帽子が宙を舞い、水面へ落ちる。その一連の動作全ては一瞬の出来事であった。私の目にはひどくゆっくりと映りこんできた。必死に記憶として焼き付ける。「加賀」。次の一戦で私の名を呼ぶこの優しくて、ひどく愛おしい声は二度と私の脳みそへ帰っては来なくなる。
「一つお願いがある」
「何でしょう」
「私と共に沈んでくれないか」
その言葉にすぐには縦に頷けなかった。提督の目は慈しむように海を見ている。いつでも私たちの事を考え、轟沈することのないよう作戦を立てる人が共に沈めと言う。そんな人と共に私も沈む。それはひどく甘美で苦しく、まるで呼吸毒のようであった。けれど私は正規空母としてまだ沈むわけにはいかない。戦艦主義の時代から移り変わり空母主義と変わった時代に。これは一航戦としての誇り。
「無理にとは言わないよ」
「提督生き――」
「加賀。明日未明には米軍が攻めてくるだろう。その一戦は逃げる事さえ厳しいだろう。多分それが私の最後だ。だから加賀、最後に君に聞いてほしい。よく私の元で秘書官として頑張ってくれたね、ありがとう」
最後を悟った貴方とまだ最後を決めかねる私の表情は正反対だ。どのように転べど提督はあと数日でこの世を去ってしまう。ならば提督が望んだ通りに海の上で死んだ方が本望であろう。そうわかってはいても私は提督の傍でこれからの行く末を見ていたかった。そんな願いなどもう今となっては心の海の深くへ追いやって、なかったことになってしまうのだけれど。
「補給も入渠も済ませておくように。明日は一隻も沈めたりはしない」
司令室へ戻る背中をじっと見つめる。私を安心させるように笑うあの横顔も、戦いが始まる時に見せるあの覚悟の決まった目ももう見納めになってしまう。この時が一瞬ではなくて永遠に続くものであれと強く願わずにはいられなかった。提督を救えない私の無力さが心に大きな穴をあける。
 次の日サイレンが空気を激しく揺らす。私および五人が呼び出された。提督から貰った装備を整備していると、段々提督とのこれまでの日々が思い起こされる。沈んだ子がいれば一人後悔していた事も、戦果を挙げて強くなった子と一緒に祝った事も今では懐かしく思えてしまう。提督。私加賀は覚悟を決めました。司令室の扉を開く。
「提督」
「加賀か。もうすぐ出撃す、」
「私も共に沈みます」
一度目を丸くした後に嬉しそうに微笑んだ提督を私もなるべく表情に嬉しさを孕むように見せる。私の目を見た後に提督は思い出したように机の中を漁る。見つかったそれを背中に隠し私の元へゆっくりと歩いてきた。その表情は死にゆく人のする顔ではなかった。
「加賀、最後に君にこれを渡すよ」
「これは」
「指輪と書類一式だ」
他の艦隊から話は聞いていた。その話を聞いた時には提督の死が近づく事を知っていたから貰えるはずがないと半ば諦めていた代物。まさかここで貰えるとは思っていなかった。嬉しい気持ちが私の目の下を熱くする。どんな子よりも私は今一番幸せを感じている。
「この階級章にある桜のように綺麗に散ろう、加賀」
左手薬指にそっと指輪がはめられ、その握られた手が下へ下がり、そして甲にキスをされた。その光景は私の目に焼き付いて離れない。提督、私は今まで出会ってきた沢山の指令の中で一番貴方が素晴らしく、そして最後まで共にありたいと思う方でした。提督も同じ思いを持ってくださったという事でいいのですか。そうであるならば私は一航戦の誇りとして貴方の最後を見届け、そして共に海の底へ沈む覚悟をします。提督がそう望むなら私は。
「さあ行こう」
第一艦隊を従え提督は頼もしい背中を私たちに向けて海へと向かった。
 米軍が来る事を予め予期していた第一艦隊は先制攻撃で敵艦隊に大きな損害を与えていた。けれど提督が言った通りに私たち艦隊も損害を多く受けている。けれどここで補給艦がくればこの海域を守れるという時に悪い知らせが本部から届いた。
「支援が来ないとはどういう事だ!」
提督の焦りと怒りが混ざった、強い声が私の耳にも入る。ここまで傷ついた艦隊で撃破は難しく、更に敵も増えるであろう。そして補給艦もすぐ届いてしまうだろう。絶望的という他ない状況に立たされた提督はすぐに指示を出した。私以外の艦は全て帰投せよとの命令だった。一瞬戸惑ったけれど多くの艦は大破で残っても無駄だと理解し引き返していく。目の前に広がる敵艦隊単縦陣を見て腹をくくった。私は死ぬ。他の子が無事に帰投できるようにここで引き留める。その覚悟は出来た。けれどそれを裏切る言葉が提督の口から告げられる。
「加賀を沈める事なんて私には出来ない」
「は、」
「加賀も迅速に帰投しなさい」
その言葉の後私の耳には軽い、けれど私にとっては重い音が聞こえた。そのまま提督は海へ消えていった。一瞬何が起きたかわからなかった。現実として受け入れた頃には提督の姿はなかった。置いて行かれた。その後私は帰投し、提督が死んだ事を艦隊に伝えた。提督不在として処理されたこの戦いは歴史には乗らずにただひっそりと海の中で眠っている。それからの私は死に場所を探しているようだった。左手で輝く指輪だけが私の精神を繋いでいるようで。
 そして数年後の一九四二年六月二日、私はミッドウェー海戦で大破し、沈没した。死ぬ時私は寂しくなどなかった。海の底できっと提督と会えると思えば全く。

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