novel


好きだと告げたら何かが変わる気がした。それはたとえばわたしたちの関係性だったり、これからの可能性だったり、そういったものだとばかり思っていたわたしの浅はかさが、わたしの首を絞めることになるだなどとあのころのわたしは夢にも思わなかったけれど、若かったわたしの精一杯の愛の言葉は、赤司の「アセクシャル」だという告白によってすべて拒絶されてしまった。
他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かない。
赤司は無性愛者だった。その意味を知ったときわたしがどれだけ絶望したか、この男は知りもしないだろう。この男は恋に破れる痛みを知らない。ほんの少し申し訳なさそうに微笑みを浮かべてみせた赤司の聡明さでも理解することができなかったわたしの痛みは、はじめて告白をした日から5年経った今もまだ続いている。


「赤司はだれかを手に入れたいと思うことはないの?」
「だれかを手に入れたいと思ったことはないな。なにかを手に入れたいと思うことはあるが」
「へえ。でもそれって簡単に手に入っちゃいそうだね」
「そうでもないさ。おまえたちは学生のころの俺を知っているからそう思うかもしれないが、世の中には案外俺の力が及ばないことのほうが多いんだ」
「ならわたしの力はもっと及ばないわね」
「謙遜はいただけないな」


あたたかい紅茶を飲みながら小説を捲る赤司の繊細な指先は、だれかの身体に触れることはないし、熱をもった瞳がだれかを見据えることもない。それはこのわたしも含めて、だ。わたしだけではなく他の誰だって、わたしが渇望している意味合いで赤司の心を手に入れることはできない。それはすこしばかりわたしの傷を癒してはくれるけれど、塞いではくれない。いつだって息苦しい中で、それでもわたしは意地になっている子供みたいに赤司の事だけを愛し続けている。
だが、わたしだって女だ。それも成長して、今が盛りの女。当然赤司に触れたいと思うし、抱かれたいとも思う。けれど赤司はそれを望まない。おそらくわたしが懇願すれば赤司はそれに応じてくれるのだろうが、さすがにわたしも愛のないセックスを望むほど馬鹿な女ではない。さらに空しくなるだけだ。そんな無意味な時間で自傷行為に励むほど、わたしだって若くはないのだ。

だが、かといって大人にもなりきれていない。わたしたちはまだ大学生で、子供とは言えないまでも、それでも大人として許されているすべての権限を有しているわけではないのだ。だからこそ、ありえない夢だとしても赤司からの愛を夢見てしまう。アセクシャルなんてクソみたいな価値観だ。この世に男と女がいて、どうして恋愛感情はおろか性的欲求すら抱くことがないのだ。理解ができない。けれど赤司だっておなじように、こんな低俗な気持ちに溺れて我を失うわたしの気持ちなど理解ができないのだろう。それでもわたしを傍に置いてくれる赤司の行為はただの同情だ。なによりも屈辱的だが、その同情がなければもはやわたしは生きていることすら敵わないような気がする。
だが、赤司がただ同情だけでわたしのような面倒な女を傍に置いているわけではないことをわたしは知っている。これはただのカモフラージュだ。自分はアセクシャルではなく普通に女にも興味があるのだということを、赤司は周囲に示す必要がある。それは将来赤司の家を背負っていく上でも必要なステータスのうちの1つだからだ。なんて馬鹿馬鹿しい行為だ、と思いはしたが、それでも形ばかりではあっても赤司の恋人であるという優越感は捨てがたいものがあった。だからわたしは、まだここにいる。


「おまえも馬鹿な女だな」
「重々承知してる」
「俺以外にもいい男はたくさんいるだろう」
「あんた本気でそう思ってんの?」
「さあ、どうだろうな」
「他者に興味がなさすぎるんじゃない」
「他者に興味があったら性欲や恋愛感情ぐらいは芽生えそうなものだがな」
「それもそうだね」
「おまえは俺を理解してくれる唯一の女だからな、情ぐらいはあるさ」
「わたしが欲しいのは情じゃないんだけど」
「それ以上を望まれても俺には何も出来ないよ」
「愛してくれないなら一緒に死んでよ」
「俺と心中したいのか?」
「それしか、わたしにはあんたを手に入れる術がないわ」


そんなくだらない戯言ばかりを繰り返すわたしにまだ愛想が尽きていないというのなら、赤司征十郎という男は、周囲が評価しているよりもいくらか忍耐力があり優しい男なのだろうと思う。赤司はわたしの頭を軽く撫でると、そのままわたしの手を引き自分の膝にわたしの頭を導いた。そしてまるで子供を甘やかす母親のようにわたしを撫でるのだ。その手つきは、これっぽっちだって下心が見受けられない。泣いてしまいそうだ。わたしはこんなにも、下心で溢れているのに。あまりにも美しすぎる赤司の心が眩しすぎて、時折、正しいのは恋愛感情を持たない赤司であって間違っているのはこんな感情に振り回されてばかりいるわたしなのではないかと思うときすらある。けれど赤司はこんなわたしを見ても「そんなふうに愛に溺れられるおまえが羨ましいよ」なんて最低な言葉を吐くのだ。ちっとも、嬉しくなんてない。


「そういえばこの間何かの小説で読んだんだが、恋愛というものは自分のことだけを見ていてほしいという執着と、相手がいなければ生きていけないと思う強い依存から成り立っているらしいな」
「何、そのろくでもない小説」
「心理学的に見ればマイナスの要素ばかりの感情ばかりが付きまとうようだが、相手から愛されることで満たされる。…だとしたら、おまえは俺の傍にいるべきではないだろう」
「暗にわたしと離れたいの?」
「いいや、そういうわけじゃないよ」
「ふうん」
「悪いけどそこまでの執着をおまえに抱いていないからね」
「…最後の一言、全然いらないんだけど」
「だけど、一緒に死ぬならおまえがいい」
「なんだかそれ告白みたいね?」
「受け取り方はおまえの自由でいいさ」


おまえが辛くなる前にそうしてしまおう。おまえの心がまだ俺にある内に。なんて、そんなことを言いながらわたしの手を取る赤司は、わたしのことを愛せないながらもわたしからの愛は受けていたいらしい。ああ、なんて我儘な男だろう。ほんとうに憎らしいほど、愛おしいひと。きっとわたしは一生この男が愛おしくて仕方がないままの可哀想な女でしかいられないのだろう。けれど、それでいい。わたしは、もう、それでいいのだ。
だから、いつか死のう。
今抱えている執着や依存に押しつぶされてしまう前に、赤司をわたしだけのものにする。他人に執着を感じることのできない赤司がわたしに抱くその気持ちは、赤司が持ち得る感情の中でもっとも愛に近いように思えた。だから、その気持ちが消えてしまう前に、死にたい。場所はどこだっていい。誰にも邪魔されない場所へ2人で逃げられるなら、他に何もいらない。

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