novel


※病んだ表現を含みますのでご注意下さい




 近頃、おかしな夢ばかり見る。それも決まっていつも同じ夢だ。
 おびただしい書類の束を机に広げながら、土方は溜息をついた。朝から頭が重く、まるで靄がかかっているようにすっきりとしない。市中の見廻りに出て外の空気でも吸えば気分転換になるのかもしれないが、こういう日に限って頭を使わなければならない仕事が山のように溜まっている。全くやる気が出ないまま、灰皿の上で火のついた煙草が短くなっていくのを、ただぼんやりと眺めていた。

「……お疲れのようですね。あまり寝てないんじゃないですか?」

 はっと振り返ると、そこには隊服姿のなまえが座っていた。湯飲みの載った漆塗りの丸盆を両手で持ち、心配そうな顔でこちらを見ている。
 一体いつからいたのか。全く気付かなかったが、土方は働かない頭を悟られないように平静を装った。

「まァな。ここ最近、仕事が溜まってるからな」
「何か私にできることがあれば言って下さい」
「いや……もう十分だ。こうやって書類をまとめてくれただけで助かる」

 そう答えながら、灰皿の上の煙草をもみ消した。
 みょうじなまえは土方の小姓だ。もともとは監察で裏方のような仕事をしていたが、土方の仕事が増えて鉄之助だけでは収集がつかなくなったため、一月前から雑務を任せている。仕事が丁寧で、よく気のつく女だった。それでいて控えめで、決してでしゃばったりしない。土方は密かに彼女を気に入っていた。鉄之助にはつい声を荒げてしまうが、なまえにはできるだけ穏やかに接するよう心がけているくらいだ。
 なまえは机の上に湯飲みをそっと置くと、軽く頭を下げて去って行った。こうして彼女が淹れてくれる煎茶は、いつも美味い。男集団の中では今まで誰一人として茶など淹れてくれなかっただけに、内心嬉しかった。湯飲みに口をつけるとようやく少し頭がすっきりした気がして、土方は筆を執って机に向かった。



***



 苦しい。息ができない。

 布団の上に身体を横たえたまま、必死にもがこうと手を伸ばす。だが、身体が鉛のように重く、まるで金縛りにかかったようにぴくりとも動かすことができない。目を開こうにも、瞼が重くて顔に少しの力も入らなかった。
 身体の上に「何か」が乗っている。それが金縛りの正体だ。分かっているのに何もできず、それはまるで土方を弄ぶように、肌をまさぐったり唇を塞いだりした。
 あまりの息苦しさに少しずつ意識が遠のいていく。そうかと思うと、急に呼吸が楽になった。安心して息を大きく吸い込むと、今度は首もとに氷のような冷たい感触が走る―――。



 目が覚めると、目の前には天井が広がっていた。
 また、あの夢だ。
 汗で濡れた額にくっついている前髪をかきあげながら起き上がると、頭が鉛のように重かった。今日も、最悪な気分のまま一日が始まる。
 顔を洗って隊服に着替えると、朝食を押し込むように無理矢理口に入れた。机に向かって昨日の続きの書類を開くものの、相変わらずぼんやりとして集中できない。すると、襖がゆっくりと開いてなまえが入ってきた。

「おはようございます、副長」

 手には湯飲みの乗った丸盆を持っている。目の下にクマを作っている土方と目が合うと、昨日と同じように心配そうな表情をした。

「少し顔色が良くないようですけど……」
「ああ、最近寝付きも悪ィんだ。別に病気じゃねェよ」
「そうですか……でも、心配です。何か悪い夢にうなされていたり、しませんか?」

 なまえは土方から少し離れたところに腰を下ろしながら、さりげなく尋ねた。女だからか、こういうところはかなかなか勘が鋭い。他の隊士たちは最近の土方の変化にほとんど気が付かないし、気が付いても、飲みすぎで寝不足ですかと冗談めかして笑うだけだった。中には「夜中にこっそり女の所に通っている」と変な噂を立てる者までいた。土方としても部下に不調を悟られたくなかったから、勘違いされている方がまだましだった。毎晩夢にうなされていることは誰にも話していない。
 なまえはそんな土方の心を覗くように少し首を傾げたが、特にそれ以上は聞かなかった。

「……どうぞ。今日は、少し濃い目に淹れておきましたから」
「そりゃ、目が覚めていいな。こういう時はコーヒーより日本茶の方がずっと美味い」

 本当はなまえの淹れた茶だから美味いのだと言いたかったが、照れくさいのでやめておいた。土方は湯のみを受け取ると、礼を言って再び書類に向かった。
 なまえが出ていった後で口をつけると、確かにいつもより渋い味がする。最近は、このお茶がないと頭がすっきりしないような気さえしていた。



***



 その夜は、どういうわけかやけに早く眠気が来た。
 食事が終わって自室に戻ったばかりだと言うのに、眠くて目を開けていられない。うとうとと身体が前後して、座っていることすらできなかった。まだ早すぎる時間だが、仕方がない。土方は蒲団を敷いて寝ることにした。もしかしたら、今夜は変な夢を見ずにぐっすりと眠れるかもしれない。

 しかし、そう思いながら眠りについたのも束の間、全身にのし掛かる重みで土方は目を覚ました。目は覚めたのだが、相変わらず瞼を開くことはできない。手足も瞼も動かなかった。唇が何かに塞がれて、呼吸ができなくなる。ぴちゃ、とかすかな水音が耳に入ってくるのを聞きながら、朦朧とした意識で時が過ぎ去るのを待った。息ができなくて苦しいのに、その感触はどこか心地いい気がして、変な気分だった。
 昨晩までと同じように、首筋にひんやりと冷たい何かが当たる。それは、どこか迷っているように当たったり離れたりを繰り返しているようだった。そうこうしているうちに、また少しずつ意識が遠のいていく―――。



 目を覚ますと、見慣れた天井が広がっていた。
 結局、今朝もあの夢を見てしまった。目覚めは最悪で、相変わらず頭が重くて痛い。まるで毎日少しずつ「何か」に蝕まれているようだった。それなのにその正体は一向に掴むことができない。土方は苛立った。ただの夢だと分かっているのに、あの感触も何もかもがひどく現実的に感じられて気持ちが悪いのだ。
 ほとんど朝食をとらずに仕事に入ると、やはり心配そうな表情をしたなまえが顔を覗き込んでくる。彼女は言いにくそうに口を開いた。

「副長……あの、失礼ですけど、今日は休まれて病院に行った方が」
「少し疲れてるだけだ。食欲もあるし、心配ねェ」
「でも、お顔の色が本当に……」
「大丈夫だって言ってんだろ! もうそれ以上何も言うな」
 
 思わずきつい口調になると、なまえはびくんと身体を震わせた。しまったと思ったが、遅かった。なまえは身体を固くしたまま、すみませんと恐縮したように頭を下げ、そのまま早足で襖の向こうへと消えて行った。
 土方は舌打ちをした。たった一人、心配してくれる女に向かってなぜあんな言い方をした。柄にもなく猛烈な自己嫌悪に襲われ、火を点けたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。
 頭が痛い。まるで自分のどこかが少しずつ毀れていくようだった。今日はなまえが淹れてくれたお茶に口をつける気にもなれない。申し訳ないと思いながらも、湯のみを持って立ち上がると中身を流しに全部捨ててしまった。



***



 その晩は、なかなか眠気が襲ってこなかった。昨夜とは対照的に、いやに頭がすっきりしている。それならば眠らないで、いっそこのまま朝まで起きていようか。そうすればあの変な夢を見なくて済む。そんなことを考えながら煙草を吸っているうちに、そろそろ日付が変わる時間になっていた。仕方がないので、土方は蒲団を敷くと形だけ床に入った。眠らなくても身体だけは横たえて休んでおく必要がある。

 そうしてどれくらい経っただろうか。襖がゆっくりと開く音がして、土方ははっと目を開いた。真っ暗な部屋の中で、何かがこちらに向かって近付いてくる。
 侵入者だろうか。最悪のことを想定して、土方は蒲団から飛び出して刀を構えようと考えた。しかし、その影はどこか見覚えがある気がする。不思議に思った土方は、身動きをとらずに眠っている振りを続けることにした。これは一か八かの賭けだ。
 影は丁寧に襖を閉めると、ゆっくりとこちらに向かって近付いてくる。そして、眠ったふりをしている土方の身体の上に覆い被さった。この重さは男ではない。女か子供くらいの体重だ。嫌な予感がする。土方の全身に汗が流れた。
 そのまま寝たふりをして目を閉じていると、柔らかい手のひらがそっと顔に触れる。そして、唇がゆっくりと塞がれる瞬間、土方は覆い被さる影を思いきり突き飛ばした。

「何してんだ……なまえ!」

 枕元の灯りをつけると、そこには両手を畳についたなまえがいた。薄紅色の寝間着用の浴衣を着ている。突き飛ばした拍子に着崩れたのか、首から肩のあたりの肌が少し覗いていた。
 まさか。
 信じたくなかったが、薄笑いを浮かべた彼女を見て、土方は確信した。そう考えると、今までのこともすべて辻褄が合う。

「……副長。お茶、飲んでくれなかったんですね」
「お茶……?」

 土方は、横たわって俯くなまえを睨んだ。
 毎朝、彼女が淹れてくれた煎茶。あれに何か細工がしてあったのだ。土方はぞっと背筋が寒くなった。
 今日は、あのお茶を飲んでいない。毎晩金縛りにあったように身動きが取れなくなっていたのは、あれのせいだったのだろう。だとしたら、今までのはすべて悪夢などではなく、なまえの仕業だった。毎晩のようにうなされていたあの重さと息苦しさの正体をようやく突き止めた土方は、かっと頭に血が上った。

「……わざわざ妙な細工までして、どうしてこんな事をした? いくらお前でも、答えによっては切腹させることになるぞ」
「切腹? 望むところです……だけど、副長」

 なまえは柔らかく微笑むと、こちらに近付いてきた。その笑顔は、どこか狂気を孕んでいる。まるで、いつもの彼女とは思えないほどに、瞳に光がない。
 土方は、思わず枕元の刀に手を伸ばした。しかし、彼女が懐から出した小刀を土方の首もとに突きつける方が早かった。

「あなたが、悪いんですよ」
「……っ」

 ひんやりとした刃の感触が首に走る。それは、毎晩夢の中で与えられたものと全く同じだった。「これ」が、首筋に押し当てられていたのだ。

「あなたが……いつまでも亡くなったあの人を見てるから。私のものにならないなら、一緒に死にたいと思ったんです。いつ首を落とそうか、毎晩ワクワクして」
「何……言ってんだ? 意味が分かんねェよ。刀をどけろ」
「……分からないですか?」

 小さくて華奢な手が、小刀をすうっとひく。首にかすかな痛みが走った。そこに血が滲んでいることは、触ってみなくても分かる。
 なまえの言っていることが、理解できない。ただ、彼女が自分に想いを寄せていたということだけは分かった。そんなことは、今の今まで全く気が付かなかった。少しでも気が付いていれば、絶対こんなことにはならなかっただろう。なぜなら、自分もなまえのことが好きだからだ。
 一体どうすればこの状況から抜け出せるか、正気を失ってしまった彼女に刀を突きつけられながら土方は必死に考えた。しかし、考えているうちにどういうわけか少しずつ身体の力が抜けていく。何とかしなければという意に反して、全身が鉛のように重くなっていった。

「……な、なんだ、これ……?」
「お茶はそろそろ気がつくと思ったから……。今日は夕食に、もっと強いお薬を入れておきました」

 ふわっとした笑みを浮かべるなまえの瞳は、いつもと同じで穏やかで優しい。まるで本当に夢を見ているようだった。
 まるで沼にはまっていくように、ゆっくりと眠りに落ちていく。今ここで寝てしまえば、二度と目が覚めることはないだろう。それでも、全身から力が抜けていくのを止めることができない。土方は、とうとう意識を手放した。優しく包み込んでくれるなまえの腕が温かい。
 最後に見たのは、彼女の穏やかな微笑みだった。



***



 翌朝、目が覚めたら見慣れた天井が広がっていた。
 頭が重くて、なぜか昨夜の記憶が何もない。何かひどく恐ろしいことがあったような気がするが、どうしても全く思い出せなかった。不思議なことに、一晩の記憶がまるまる抜け落ちている。無理矢理思い出そうとすると、頭が痛んだ。
 顔を洗って隊服に着替えると、鏡に向かった時に首筋に傷跡があることに気がついた。刃物で切ったような薄い傷だ。いつの間にこんな傷をつけてしまったのかと不思議に思いながらも、土方は隊服のスカーフで首を隠していつものように机に向かった。
 
「おはようございます、副長。……あれ、今日は少し顔色がいいですね」
「そうか? 昨夜は朝まで目が覚めなかったからな」
 
 そう、今朝はとうとうあの嫌な夢を見なかったのだ。ついに悪夢に打ち勝った気がして、土方の気持ちはすっきりしていた。
 柔らかい微笑みを向けるなまえが、机の上に湯のみを置く。その姿を見ていると何か大事なことを思い出しそうになったが、やはり何も浮かんでこない。少しずつ、頭の中の記憶が毀れてきているようだ。
 しかし、こうして彼女が笑いかけてくれれば、それだけでいい。隊服姿のなまえが腰に差している小刀を眺めながら、土方は箱に残った最後の煙草に火を点けた。
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