novel


それは幸福な事であった。長らく求めていた戦の終わりが昨日、ここに、結ばれたのである。歴史を改変しようとする者たちは間違いなく皆討伐された。御苦労であった。と機械の箱の中から本丸中へ終戦の報が流れた時の喜びの声は屋敷を震わせるほどであった。皆が喜びに満ちていた。もう戦いの中でいつ訪れるか分からない折られる恐怖に怯える事も、敵が本陣に攻めてくるやもしれぬ夜を寝ずに過ごす事もない。そうだ。確かにそれらは限りなく幸福なのだ。世は平らで和んでいられる方が良い。

いつも三人ほどしか入らないのに十人も援軍を呼んだせいで台所はぎゅうぎゅうに狭かったが、宴の支度を整えるには手が足りないほどだった。子供から大の大人まで揃った男所帯ともなれば並大抵の品数ではあっという間に食べ尽くされてしまう。加えて大太刀と打刀には大酒飲みも勢揃いしている。一升瓶の追加が五つは欲しいと思っていた所に獅子王と薬研の手が空いたというので買い出しを頼み、煮物の火の番を堀川に任せて休憩のため外に出ると薪を割る音が聞こえてきた。台所で延々と火を炊いているために絶えず薪を割って補給しなければやがて火が消えてしまう。木が綺麗に割れる歯切れの良い音と共に山伏と山姥切の声がする。気持ちの良い風がさわさわと顔の横を吹き流れていく。無性に煙草が吸いたくなり、ポケットに手を入れたが肝心の火が無い事に気づいてしまい直した。舌が痺れている。

夕餉は盛大にどんちゃん騒ぎとなり、そのまま飲み会に移行した。食器の大半は短刀たちが下げるのを手伝ってくれたので片付けもスムーズに進んだがやはり大酒飲みどもの手は早く、想定していた頃合いよりも遥か先に酒の肴を食べ尽くされてしまったので、先程からずっと台所に籠りきりで作っては出し作っては出しと繰り返している。酒は元々強くはないし、自分まで潰れれば誰も宴と酔っ払いの後処理など出来ない。五虎退が怯えながら台所まで逃げてきた。大方酒癖が悪い者に絡まれたのだろうと踏んで何も聞かず、もう風呂を済ませて寝た方がいいと促すと首をこくこく振って去っていく。主は、どうしているんだろう。飲み会が始まって暫くしてから姿が消えていたが、酒はほどほどに飲む人だったはずだ。がちゃん。「……ああ…」ぼんやりしていたら食器を割ってしまった。欠片を拾い上げようとした指先を切り、ぷっくりと暗赤色の粒が膨れていく。いたずらに手を振ってみると容易く割れ、指と床が赤く濡れた。

全てが終わる頃には深夜になっていたが、手間のかかる物は粗方片付け終わった。居間で酔い潰れている者たちには適当に布をかけたが自室へ戻るよう促す気にもならず、代わりに台所へ戻って陰に隠しておいた菓子と酒の入った包みを取り出す。男ばかりの為か自然と辛口になりやすい食嗜好の中で甘味を好む主は遠慮がちにしていた。最後となる今宵くらいは好きな物を食べてもらいたい。離れにある彼女の部屋は予想通り灯りが点いていて、南蛮の菓子と甘口の酒を見せると少し驚かれたものの、快く室内に招かれた。

「宴には参加しなかったの?」
「僕は酒に弱いんだ。飲むとすぐ潰れてしまう」
「へえ」

その台詞が聞こえていないはずがないのに、部屋に据え付けである戸棚から当たり前のように二つ出された杯に少し慌てたが止める間もなく並々と酒が注がれていく。淡黄の、桃の実のような色をしたそれは白濁したビードロの底を透かす。辛口よりは甘い方が好きだが、酔って碌でもない醜態を晒すのも格好が悪いと思うとなかなか杯を取るには気が引ける。だが「光忠も、甘い物の方が好きでしょう」と杯を差し出されてしまっては受け取らないわけにも行かなかった。

「これまで、本当によく頑張ってくれたね。お疲れ様でした。燭台切光忠」
「有難く頂戴致します」

――いつもなら酒を入れるとすぐ潰れてしまうのに、今夜はなかなか酔わなかった。仲間と飲む時と違い、一口ずつちびちびと飲んでいるからだろうか。少しだけ身体がぐらついている感じがするので完全な素面ではないが、隣でゆらゆらと頭を揺らして笑っている彼女よりは酒の回りが遅い。杯の中の液体に月光が溶けて光っている。

「明日ね」
「うん」
「帰るの」
「……」
「みんな、帰るの。元の所に。元の姿で。私も」

貴方も。秘密ね?このこと。みんなには明日言うの、明日ね。嬉しい気持ちを台無しにしたくないの。でもあなたには言っちゃった。嫌だった?ごめんなさい、ごめん……酔ってるなあ……揺れてる、なあ。ね、光忠。

「僕はどこに行くのかな」
「………」
「貴女はどこに?」
「……家族の所には、帰らないかなあ。その為に審神者の適性試験受けたんだもの。静かな所に、行こうと思う。……ね、光忠、さあ」
「何だい」
「死のう?一緒に。二人で」

そうしたらきっときっと幸せだよ、なんてからから笑って彼女は言う。幸せがどんな意味なのか分からなくなるくらいふらふらに酔っている酔っ払いの言葉なのに、何だかその台詞にはこれまでの何より誰よりも説得力があった。きっと僕も酔っているんだ。ふらふらになるくらい。方向が分からなくなって、前に進もう後ろに下がるまいと思いながらどんどん後退しているんだ。幻に導かれて。その先に広がっているのが地獄なのか天国なのか、導く幻さえも恐らく分かっていないくせに引っ張っていこうとする。酒に濡れた舌と同じくらいの甘い言葉で。甘い眼差しで。

「いいよ」
「どうする?」
「僕の刀がある」
「……しあわせ」
「本当に、いいのかい。なまえ」
「いいよ」

鞘から引き抜いた刀身が静かに鳴いた。それも僕の声だ。だけど何と言ったのかは分からなかった。僕自身でさえも。

「すぐに追っていくよ」
「待ってるね。向こうについたら、結婚しよう。神様の前で」
「神には裁かれてしまうかもしれないだろ」
「裁かれるなら、また一緒に死のう。二人きりになれるまで」

彼女はそれきり喋らなかった。直後に自分の刀が心臓を真っ直ぐ貫いたせいだった。前方にくず折れる身体を肩に凭れさせ、すかさず自分の心臓目掛けて刀を突き刺す。ばちん、と耳の奥で何かが切れた。胸の中で爆弾が爆発するような感覚があった。全身の血が頭に向かって逆流する。身体中の細胞が喚いている。痛みは、ない。二人分の血にべっとりと濡れた自身を見下ろすと笑いがこみ上げてきた。己の胸に刺さったままの刀が綻びて折れて砕けていくまで、急激に冷えてゆく脱力した身体を抱いて笑い続けた。全く諦めの悪い、二人の人間の、末路。月はなりを潜め、空が白み始めている。僕にとって、神様とは他の誰でもない彼女であった。

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