あなた、随分と小さな世界で息をしているのね。

 そう言って彼女が笑ったのは、いったいいつのことだっただろう。





 雲が欠けた月を覆い隠して、無数に瞬く星すらもその光を奪われて。夜に包まれた市街地を白いライトで切り裂くようにしながらただひたすらに走り抜ける。彼女はどこに住んでいると言っていたのだったか。もうすぐ、きっともうすぐ着くはずだと、焦るようにして忙しなく稼働し始めた自身のブレインサーキットに言い聞かせた。
 寝静まった街には光のない夜空を見上げるような物好きがいるはずもなく、彼女と同じ種族の生き物に協力を強要することもできそうにない。そもそも自分はディセプティコンであるし、運良く捕まえることができたとしてその後のことがスムーズに進むとも到底思えないので、それはそれである意味幸運だったのかもしれないけれど。


 夜が、夜空が、黒一色のそこに浮かぶ小さな煌めきたちが好きだと。
 そう言って彼女が幸せそうに微笑んだのは、いったいいつのことだったか。

 深い紺碧の天鵞絨にあたたかな黒の絵の具を溶かして、そこにきらきらと輝く宝石のような光を散りばめる。燦然と光を放つそれも控えめに笑うようにして穏やかに瞬くそれも、ほとんど見えないくらいにうっすらとした光を纏っているそれも、どれも美しくて選びがたい。欲を張るわけではないけれど、最後にそこに柔らかな黄色の真珠が浮かんでいれば、もう何も言うことはない。

 ボンネットの上でそんなことをすらすらと語ってみせる彼女に、自分は確か『人間の考えることはよく分からない』と返したはずだ。
 光る星はとっくの昔にその生涯を終えているし、空を横切っていく流星は死ぬ間際の星と塵とが合わさるようにして消えていく瞬間のものでしかない。月という衛星の色は黄色などではないし、その表面は大小様々な凹凸だらけで随分と歪だ。
 同じくらいの滑らかさで淡々と続ける俺を、その上に座る彼女を。隣にいるデモリッシャーは何とも言えないような表情で見下ろしていた。普段、彼が俺を咎めるような時は名前を呼んで言葉を遮るのだけれど、そのようなことは無かったので、きっと彼女はそんな俺が発した言葉を聞いて小さく笑っていたのだろう。少なくとも悲しげな表情はしていなかったと、彼女が帰っていったその後にデモリッシャーから告げられた。




「あら、」

 果たして。散々走ってようやく見つけた、ほんの小さな光すら見当たらない夜空を楽しげに見上げているようなその物好きは、自宅の玄関の辺りにのんびりと腰を下ろしていた。
 本来ならこの場所にいるはずのない俺の姿を見て、驚くことも慌てることもせずに言葉を紡ぐ。何だか少しだけ憎らしく感じてしまったのは、俺だけの秘密だ。

「こんばんは、サイドウェイズ。素敵な夜ね」
『お前なあ……』
「冗談よ。……珍しいのね、あなたが上海以外のところに来るなんて」

 びっくりしちゃった。そう小さく続けて微笑んだその姿は、あの日と少しも変わらなくて。
 何故だか分からないけれど、俺は酷く安堵した。




「ねえ、サイドウェイズ。いつか、私の街にも来てちょうだい」

 彼女がそんなことを言ったのは、いったいいつのことだったか。

『お前、どこに住んでいるんだ?』
「少なくとも上海じゃないのは確かね。ここの夜ともまた違った、素敵な夜が見られるのよ」
『……夜なんて、どこで過ごしたって同じようなものだろ』
「もう、何て勿体ないことを言うの」


「あなた、随分と小さな世界で息をしているのね」


 ああ、思い出した。


 彼女が住んでいるという街で、彼女の隣で見上げた夜空は、やっぱりどんなにカメラアイの機能を調節してみても、小さな光すら見当たらないそれで。
 けれども、悔しいかな、いつかの上海で過ごした夜とは確かに何かが違っていて。説明しようにもできない、そんなもどかしさと焦れったさに排気をもらした俺を、見慣れた笑顔を浮かべながら聞き慣れた声で笑う彼女の姿が見えて。


 広い宇宙で永遠にも近い時を生きる自分たちよりも、この小さな惑星で瞬きほどの僅かな時間を生きる彼女たちの方が、何だか少しだけ羨ましいと思ってしまった。

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