「待て! 待たないか! 今日こそ許さないぞアルバロ……!」
「まあまあノエルくん、そんなに怒らないでよ」
「誰のせいだー!!」
 渡り廊下を歩いていると、賑やかな声を拾って足を止める。
 聞き覚えのある声に視線を巡らせると、中庭で追いかけっこを繰り広げるお馴染みの姿があった。
「ノエルにアルバロ? あんなところで追いかけっこなんて、どうしたのかしら」
 アルバロがまたノエルをからかっているんだろうか。
 あの二人も相変わらずだなあ、なんて考えつつ眺めていたら、アルバロを捕まえようと腕を伸ばしたノエルがバランスを崩した。
「あっ!」
「ふぎゃ!?」
 地面に顔からダイブしたノエルは、尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴をあげる。
 ここからじゃよくわからないけど、すごくすごく痛そうだった。
「あれあれ、大丈夫? ノエルくん」
「だ、誰のせいだと……!」
 転んだままのノエルに声をかけるアルバロは、ちっとも心配しているように見えない。
 呻くノエルにいてもたってもいられなくなって、私は中庭へと駆け出した。
「ノエル、大丈夫!?」
「ル、ルル!?」
 正面へと回り込むと、真ん丸に見開かれた瞳とぶつかる。慌てて膝をつくと、ノエルは弾かれたように起き上がった。
「やっほー、ルルちゃん。授業はどうしたの?」
 驚きに目を見開くノエルとは対照的に、アルバロは相変わらず笑顔。にこやかに手を振る彼を見上げて、小さくため息をついた。
「休講になったの。それよりアルバロ、今度は何をしたの?」
「ひどいなあルルちゃん。俺のこと、疑うんだ?」
「疑うも何も……」
「別に大したことはしていないよ。ちょっと面白い話を聞いたから、ノエルくんに教えてあげただけ」
 アルバロはそう言うけど、絶対それだけじゃない気がする。だって現に、話を聞いているノエルがものすごく悔しそうに歯噛みしているもの。
 ……何があったんだろう。
「もう、駄目じゃないアルバロ! ノエルをからかうなんて」
「それはできない相談かな。ノエルくんをからかうのって、君の次くらいに楽しいし」
「……それは褒めてるの?」
「勿論。そう聞こえない?」
「…………」
「あれ、お気に召さなかったかな? ごめんごめん」
 微妙な気分で見つめ返すと、アルバロは悪びれることもなく肩を竦めてみせる。
「仕方ない。お姫様の機嫌を損ねちゃったみたいだし、俺はもう行くとしようかな。またね、二人とも」
 そのままひらりと手を振って去る背中を見送って、傍らのノエルへと向き直る。
「もう、アルバロったら……ノエル、大丈夫?」
「あ…ああ、ありがとう」
 そう言うノエルは、地面に跪いたまま。不思議に思って、俯く横顔に問いかける。
「もしかして、立てない?」
「情けないことに、膝を打ったらしい。時間が経てば問題ないとは思うんだが……」
 僅かに顔をしかめるノエルに、手元の杖へと視線を落とす。
(どうしよう……。あ!)
 僅かに逡巡していると、ふと小さい頃の記憶が蘇った。
「ねえねえノエル、ちょっといいかしら?」
「なんだ?」
 ノエルの方に躙り寄ると、打ち付けたと思われる膝へと手を伸ばす。僅かに跳ねる肩に心の中で謝りながら、小さく息を吸った。

「いたいのいたいのとんでけー」

「ル…ルル?」
「小さい頃、転んで泣いていた私に、お母さんがよくやってくれたの」
 膝をできるだけ優しく撫でながら、話しかける。
 どんなに痛くて辛くても、お母さんがこうしてくれるだけで、不思議と楽になった。
 優しくて素敵な、お母さんの魔法。私の大好きな、お母さんだけの魔法。
「お母さんってすごいのよ。こうしてもらうと痛いのも苦しいのも、すぐになくなっちゃうんだから」
 本当なら、すぐ良くなるように魔法をかけてあげたいけど、私じゃ失敗しちゃうかもしれない。だから、これが私にできる精一杯。
(ノエルが早く、よくなりますように)
 最後にひと撫でして、膝から手を離す。
「これでもう大丈夫! 痛くないでしょ?」
 そう言って視線を戻した私は、ノエルの顔を見て目を瞠った。
「どうしたのノエル、顔が真っ赤よ!」
「え!? あ、いやこれはその……」
「そういえばさっき、顔も打ってたよね? もしかして、腫れてきたの!?」
 どうしよう。顔全体がこんなに真っ赤になるなんて、それこそ魔法が必要かもしれない。
「エルバート先生を呼んでくる! ノエルはここで待ってて!」
「い、いや、大丈夫だ! 先生を呼ぶ必要はない!」
「でもノエル、顔全体が真っ赤なのよ?」
「これは大したことない、大丈夫だ! 頼むからやめてくれ!」
 立ち上がろうとした私を、ノエルは慌てて制する。そのあまりに必死な様子に渋々腰を下ろすと、彼を見つめ返した。
「……本当に大丈夫なの?」
「勿論だとも!」
 まだ納得はできなかったけど、さっきよりも赤みは引いてきたし、すぐに治療が必要というわけでもないみたい。
「じゃあ、こっちも」
 少し迷ってから、そっと腕を伸ばす。さすがに顔を撫でるわけにはいかないから、額へと。
「いたいのいたいのとんでけー」
「ル、ルルっ……!」
「なあに、ノエル?」
「い、いや……」
 上擦った声に視線を下げると、居心地悪そうに目を泳がせるノエルが映る。
「ひょっとして、嫌だった?」
「そうじゃない。そうじゃないんだが……」
「だが?」
「なんというか……照れくさいんだ。この年になって、こんなことをされるとは思っていなかったからな」
 ノエルの言葉に納得する。こういうことって、普通は小さい子にするものね。
「あっ…べ、別にノエルを子ども扱いしたわけじゃないのよ?」
「ああ、それはわかっているさ。ただなんというか、君にされたのが……」
「?」
「と、とにかく嫌だったわけじゃない。それだけは理解してくれ」
 そう言って咳払いしたノエルは、決まりが悪そうに口を開いた。
「それと…君さえよければ、もう少し撫でてもらえないだろうか。君の手は温かくて、痛みなんてどこかにいってしまいそうだ」
「……うん!」
 ノエルがそう言ってくれたのが嬉しくて、力いっぱい頷く。
 柔らかな金に触れると先程の言葉が甦って、なんだか胸に灯が点ったような気がした。

いたいのいたいのとんでいけ
(あたたかい、な)



ルルがノエルに「いたいのいたいのとんでけー」ってやったら可愛いかな、と思って。

2011.08/05掲載

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -