(……いったい、どうしてこんなことになったのかしら?)
誰か、教えてほしい。
図書館へ課題に必要な本を探しに向かう途中のこと。いつものように、ふらりと突然現れたアルバロに捕まってしまった。最近はそんな行動にも慣れつつあるけれど、素直に喜べない。
ため息をついて見下ろすと、ラズベリーピンクが愉快そうな色を宿して細められる。その表情を見ていたらなんだかむっとして、気づいたら不満が口をついて出ていた。
「ねえ、アルバロ? どうして私はまた膝枕なんてしているのかしら」
自然と寄る眉を意識しながら疑問を口にすると、アルバロは僅かに首を傾げてみせた。膝に触れる髪が撫でるように動いてくすぐったい。
「どうしてだろうね。【天気がいいから】ってことにでもしておく?」
適当な答えに脱力する。まともな返事を期待していたわけじゃないけど、納得できるわけでもない。
なんだか悔しくなって、膝上に散らばる髪を引っ張った。
「はぐらかさないで。私はこれから、図書館に行かなきゃいけないの」
だから早くどいて。
声には出さず、半ば睨みつけるように見つめると、アルバロはわざとらしく悲しそうな表情を浮かべた。そしてすぐに大仰な仕種で顔を覆う。
「ルルちゃんてば冷たいなぁ。今日は恋人の誕生日だっていうのにさ」
「……誕生日?」
…………誰の?
予想もしていなかった返しに、立ち上がろうとしていた私は動きを止めた。固まった私を見て、アルバロは口の端を歪める。
「まさか誰の、なんて聞かないよな?」
「……アルバロ、今日が誕生日なの?」
嘘じゃなくて?
「嫌だなあ、ルルちゃん。いくら俺が君のことをからかうのが大好きだからって、こんなことで嘘をつくはずないじゃない。疑われるなんて心外だなあ」
「アルバロの言うことをそのまま信じるのは危険だもの」
口ではそう答えつつも、アルバロの言葉は本当なのかもしれないと思い始めていた。
いくらアルバロでも、わざわざ嘘の誕生日を教えてからかうなんてことはしない……はず。
「ふうん? 君が賢くなるのは嬉しいけど、恋人としては信じてもらえないのは悲しいなあ」
どうせ私が今考えていることなんてお見通しなくせに、わざわざこんな言い方をするアルバロは本当に性格が悪い。
「……いじわる」
「何を今さら」
苦し紛れに反撃を試みるけど、アルバロは口元をつり上げただけだった。その反応にため息をついて、ミントグリーンの髪に手を伸ばす。
「でも、今からじゃプレゼントなんて用意できないよね……」
鮮やかな色の髪を梳きながら呟くと、不意に撫でていた手を掴まれた。突然のことに驚いて視線を落とすと、猫のように細められたラズベリーピンクに映る私の姿が視界に入る。
どこか獲物を狙うかのような、不穏な色を宿したそれに嫌な予感を覚えて腰を引くのと、とても楽しそうな笑みを浮かべたアルバロが口を開いたのは同時だった。
「ルルちゃんからのキスがいいかな」
「…………え?」
とんでもない台詞に思考が停止する。信じられない内容に、思わず口から声が漏れた。
「だから、誕生日プレゼント」
「だ、だからってなんで……」
「だって、いつも俺からしてばかりじゃない? 最初はあんなに情熱的にしてくれたっていうのにさ」
やっとの思いで反論を口にすると、アルバロはなんでもないかのように告げる。彼の言う【最初】を思い出して、顔に火が点いたように熱くなった。
「ねぇ、ルルちゃん」
さらに追い打ちをかけるかのように、アルバロの声が響く。呼ぶ声に恐る恐る顔を上げると、にんまりとした意地の悪い笑みが視界いっぱいに広がった。
「プレゼント、くれないの?」
もう、限界だった。
直接耳に吹き込まれた低音に、頭がくらくらする。逃げようにも、腕を取られていてはそれも叶わない。もう諦めてしまうしかなかった。
いつまでもこの体勢でいるのは心臓に悪過ぎる。さっさと終わらせて、離れよう。
「……目は閉じて」
「はいはい」
せめてもの抵抗として不機嫌に告げても、拗ねているような響きしかもたない。余裕の笑みを浮かべる表情を悔しく思いながらも、意を決して上体を屈めた。
緊張と恥ずかしさで、唇が震える。きれいな顔が間近に迫るたびに鼓動が跳ねあがるのに耐えられなくて、きつく目蓋を閉じた。
―――触れたのは、ほんの一瞬。掠めるようにして触れた唇は冷たくて、けれど合わさった瞬間に燃え上がるような心地がした。
(……駄目、やっぱり恥ずかしい!)
居たたまれなくなって顔を上げようとした矢先、いつのまにか後頭部に手が回っていたかと思うと、そのまま強く引き寄せられる。
「……っ!」
悲鳴を上げる暇もなかった。
再び合わさった唇は先ほどよりも深く、だんだん息が苦しくなってくる。必死に何か掴むものを探して腕をばたつかせると、左手が冷たい指に攫われた。
あまりの息苦しさに思考さえまとまらなくなって、絡んだ指先に縋るように力を込める。
本当に、溶けてしまいそうだと思った。
「はっ……!」
それから、どれぐらい経ったのか。時間で言えば短かったのだろうけど、私にとっては途方もなく長く感じた。あまりの息苦しさに全身が空気を求めている。
「ルルちゃんてば、もう息が上がっちゃったの? 苦しかったのかな、ごめんね」
対するアルバロは平然としている。悪びれた様子もなく、未だ膝上に頭を乗せたままの姿に怒りがこみ上げてくる。
「ど……し、て」
「どうしてって、何が」
肩で息をしたまま睨みつけると、アルバロは首を傾げる。その姿に、一気に怒りが頂点に達した。
「何って、たった今のことよ! アルバロの言う通りにしたのに、なんでこんな……」
言いながら、再び顔に熱が集まってきた。きっと今、顔はすごく真っ赤なんだろう。
恥ずかしさのあまり二の句が継げなくなると、アルバロは肩を竦めてみせた。
「そんなに怒らなくてもいいじゃない。俺はただ、プレゼントを貰っただけなんだし」
「それなら、さっきので十分なはずじゃない」
眉を顰めて抗議すると、アルバロは口元を歪める。それから、それはそれは楽しそうに信じられない一言を告げた。
「誰が一度きりだと言った?」
「え……」
完全に、思考が停止する。けれどアルバロは衝撃を受けて硬直した私に構うことなく、追い打ちをかけるかのように言葉を重ねる。
「今日一日ずっと、俺の気が済むまでしてよ。もちろん、君から」
爆発寸前だった私の頭は、その言葉で考える事を放棄してしまった。膝に乗せた頭に構うことなく立ち上がると、脇目も振らずに駆けていく。
どこに向かっているかなんて、自分でもわかるはずがなかった。
勝ち目のない逃亡劇
(走って、走って、辿りついた先は)
「今度は鬼ごっこ? 仕方ないなあ」
どんどん小さくなっていく背中を見送って、緩慢な動作で身体を起こす。去り際に見た表情は傑作で、知らず口元がつり上がった。
太陽は未だ天高くに位置している。どうせまだ時間はたっぷりとあるのだ、じわじわと追い詰めてやるのもいいだろう。焦る必要もない。
誕生日などただの口実ではあったが、これは予想以上に楽しめそうだ。
「さてと、お姫様を迎えに行ってあげないとね」
そのとき、あいつはどんな表情を見せてくれるんだろうか。その瞬間を考えるだけで自然と口元は笑みを形づくった。ゆったりとした足取りで、小さな背中が消えた方角へと歩を進める。
どうやら今日も一日、退屈せずに済みそうだ。
アルバロ生誕祝い。ネタ自体は前から決めていたので、わりとすんなりと形になりました。アルバロなら誕生日を口実にルルを弄るのかなと考えた結果、こんな仕上がりに。当サイトのアルルは、ルルが被害に遭ってばかりです。
2010.11/16掲載
2011.08/06修正