「……ウス、ユリウス! そろそろ起きてよユリウス!」
 名前を呼ぶ声に、意識が浮上する。重たい目蓋を持ち上げて真っ先に映ったのは、散らかった自分の机だった。
「……あれ?」
「やっと起きてくれたんだね……」
 背後から聞こえた声にのろのろと頭を上げると、ひどく疲れたような顔をしたマシューが立っていた。
「……あれ、マシュー…? どうしたの」
「どうしたのじゃないよ……君、また徹夜しただろう?最近はちゃんと寝ていたのに、油断するとすぐこれだ」
 困ったような笑みを浮かべながら言われて、昨晩の記憶が甦る。確か、煮詰まっていた研究の解決の糸口を見つけて、夢中になって本を読みふけっていたような気がする。
「……ごめん、俺も気をつけてはいるんだけど」
「はは……まあ、以前に比べると全然よくなってるけどね。でも、あまり無理をしたら駄目だよ。ルルも心配するし」
 ルル。突然出された名前に、靄がかっていた頭が急にはっきりした。それと同時に浮かぶのは、腰に手をあてて怒る彼女の姿。
「……うん、そうするよ。ルルに怒られたくないし」
 素直に頷くと、マシューは小さく笑った。
「本当にルルの効果は抜群だね。ほら、はやく支度をしないと。今日は特別な日なんだから、遅刻なんて―――…」
「特別?」
 急に口をつぐんだことが不思議で問い返すと、マシューは大きく手を振った。
「な、なんでもないよ! ほら、それよりも着替えないと! 今日もルルと待ち合わせをしているんだろう?」
「……そうだった」
 ルルが待っているんだ。なんだかマシューの態度がおかしかったようにも思うけど、今はそれよりも、ルルに会いに行くことの方が大切だ。
 それから慌ただしく制服に着替えて、鞄を掴むとマシューに挨拶を交わす暇もなく部屋を飛び出す。だからこのとき、穏やかな顔でマシューが俺を見送っていてくれたことも、そのとき零した呟きにも気づかなかった。
「危なかったなぁ……でも、ルルとの約束が守れてよかった。ユリウスはあんなに想われて、幸せだね」
 
 息をきらせて寮内を走って―――途中ノエルにぶつかりそうになった気もするけど、たぶん気のせいだと思う―――そのままの勢いで鏡を潜り抜けた。
 乱れた息を整える暇もなくホールを見回しても、ルルの姿はまだ見当たらない。
(よかった……間に合ったみたいだ)
 ほっと息をつくと同時に、力が抜ける。肩から鞄がずり落ちたけれど、今は拾う気にもなれない。変な体勢で寝たからか、身体のあちこちが痛む。おまけに、全身に疲労が蓄積していた。
「……あれ?」
 懐中時計を取り出して確認すれば、待ち合わせの時刻はとっくに過ぎている。だけどルルの姿は、ない。
 途端に、さっと血の気が引いた。もしかして、もしかしなくても俺は間に合わなかったのだろうか。いつまで経っても現れない俺に呆れて、先に行ってしまったのだろうか。
「とにかく、追いかけないと……」
 そうと決まったら、急がなければ。学校へ向かおうと一歩踏み出したと同時、弾むような声が聞こえた。
「ユリウスっ!」
 この声は、ルルだ。俺の大好きな、ルルの声。
 待ち望んでいた姿を捉えようと振り返る前に、左半身に衝撃を感じた。
(……え、)
 視線を落とせば、身体に巻きつく腕が映る。それを辿っていくと、ふわふわとした髪が視界に入った。
「……ルル?」
 きっと、俺はすごく気の抜けた顔をしていたんだと思う。自分でもそう思うくらい、呆けた声を出していたから。
 だって、あのルルが。人目のある場所で抱きしめると、真っ赤になって恥ずかしがっていたあのルルが。こんなに人がいる玄関ホールで、ましてや自分から抱きついてくるなんて。
 信じられない気持ちで固まっていると、押しつけられていた頭がそっと離れる。それでも、腕は変わらず背中にまわったまま。
 呆然としてただ見つめ返すことしかできない俺に、ルルはふわりと微笑んだ。とても、とてもきれいに。
「ル、」
「ユリウス、お誕生日おめでとう!」
 一瞬、言われた意味を理解するのに時間がかかった。
「……誕生日?」
 そうだ、今日は確かに、俺の誕生日だった。すっかり忘れていた。
「そうよ、誕生日! ユリウスのことだから、忘れてるだろうって思っていたわ」
 くすくすと笑って、ルルはぎゅっと腕に力を込める。
「だからね、絶対絶対一番に【おめでとう】を言いたかったの」
 最後に「大好きな人の生まれた日なんだもの」と付け加えられて、とうとう堪らなくなって夢中でルルを抱きしめ返した。
「ルルっ!」
「きゃっ」
「ありがとう……俺、すごく幸せだ」
 まっすぐに見つめながら伝えると、何故かルルは顔を真っ赤にして目を泳がせた。そしてすぐに、固まってしまう。
「どうしたの?」
「ユ、ユリウスっ! 忘れてたけど、こ、ここっ、玄関ホール…!」
 言われて周囲を見回すと、こちらに向けられたいくつもの視線。俺も、すっかり忘れていた。
「でも、気にしなくてもいいんじゃないかな」
「私は気にするの! と、とにかく一度離れましょ?」
「やだ、このままがいい」
 言うが早いか後ろに下がろうとするルルをしっかりと引き寄せて、そのまま閉じ込める。そのまま胸いっぱいに甘い匂いを吸い込むと、心が満たされていくのを感じた。
 大好きな人が、俺の生まれた日を祝おうとしてくれた。そのことがとても嬉しい。
「……ありがとう、ルル。俺は今、本当に幸せなんだ」
 そう告げると、おずおずと背中に腕がまわる気配がして。俺は目を閉じて、その温もりに身を委ねていた。

 結局。あの後、しばらくルルを抱きしめて離さなかったために、俺達は揃って遅刻することになってしまった。
 授業担当だったイヴァン先生は当然すごく怒ったけど、横で話を聞いていたヴァニア先生は何故かとても楽しそうに笑っていた。
 そのうち始まった言い争いを聞きながら、視線を外へと向ける。ラティウムの空は今日も快晴で、だけど、今までよりもとびきりいい天気のように思えた。

幸せを抱きしめて
(そうだ、ルルにまた膝枕してもらおうかな)



ユリウス生誕祝いということでしたが、大遅刻……。ごめんよユリウス。
マシューがルルとした約束は、「ユリウスにおめでとうと言わないこと」。一番におめでとうを言わせてほしいとルルは頼んだわけですね。マシューなら誕生日迎えた人におめでとうと言ってそうなので。ちなみにルルが最初にユリウスに抱きつけたのは、単におめでとうを一番に言うことに気を取られて周囲に気を払っていなかっただけです。

2010.06/07掲載
2011.05/02修正

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