その言葉を聞いたとき、不覚にも言葉を忘れた。

「エスト?」
 名前を呼ばれて意識を戻せば、すぐ目の前にルルの顔があって思わず身を引く。
「なんです」
「だって、急にエストが黙りこんじゃうから。具合でも悪いのかと思って」
 無愛想に返しても、ルルは気にも留めずに首を傾げるだけだ。
「……なんでもありませんよ」
 そう返して、まだ納得のいっていない様子のルルのそばを通り過ぎる。そのまま鏡を潜ろうとすると、マントを掴まれて進行を阻まれた。
「今度はなんです」
 半ば睨みつけるように視線を返すと、膨れた頬が目に入った。飴色の大きな瞳が、不満を湛えてこちらを見つめている。
「エスト、ちゃんと言ってない」
「何をです」
「ただいまって、言ってない!」
 そう言ってますます強くマントを引き寄せるルルは、どうにも希望に沿わなければ手を離す気がないらしい。
 ため息をついて目を逸らすと、渋々ながら口を開いた。
「……ただいま」
「こっち向いて! 目をそらさない!」
「…………ただいま」
「聞ーこーえーなーいー」
 せめてもの抵抗として小さく呟いても、彼女は見逃してくてくれるつもりがないようだ。
 仕方ないと再びため息を落として向き直ると、まっすぐに見つめてくる飴色とかちりと合った。
「……ただいま、ルル」
 今度はしっかりと目を見て、逸らさずに。半ば自棄のように発した声は、まるで自分のものではないかのように空気を震わせた。
 それでもルルは満足したらしく、さっきまでつりあげていた瞳を緩める。弧を描いた口元が優しくまたあの言葉を紡ぐのを、僕は目を閉じて待った。

おかえりなさい
(僕にこんなことを言う人がいるなんて)



元は拍手用として考えていたもの。
エストに「おはよう」も「いってらっしゃい」も「おやすみ」も、そんな何気ない挨拶をしてくれた人はいなかったんじゃないかと思います。
だから、毎日のようにエストに声をかけるルルはやはり特別なんじゃないかな、と。

2010.05/12掲載

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