「ルル、少しいいですか」
ベンチに腰かける姿を見つけて、声をかける。どうやら熱心に本を読んでいたらしい彼女は、僕が呼びかけるまで気づかなかったようだ。
「エスト! こんにちは、今日はお出かけしてたんじゃなかったの?」
「ええ。ですが、用事はもう終わったので」
席を譲ろうと腰を浮かしたルルを手で制すと、持っていた包みを差し出した。
「どうぞ、差し上げます」
突き出した手の先を見て、ルルは目を丸くする。
「私に?」
「他に誰がいるんですか」
半ば押しつけるように渡すと、ルルは興味津々といった様子で包みを見つめた。その仕草があまりにも子供っぽくて、思わず苦笑がもれる。
本当に、この人ときたら。
「ありがとう! 開けてもいい?」
「どうぞ、お好きなように」
素っ気なく返しても、ルルは気にする様子もない。どうやらよほど中身が気になって仕方ないと見える。
きれいに包みを剥がそうと奮闘する彼女を見つめて早数分。ようやく箱に手をかけたルルは、蓋を開けて歓喜の声を上げた。
「わあっ……マカロン!」
喜色を前面に押し出すルルに小さく苦笑して、背を向ける。そのことを目ざとく察知したらしいルルは、不思議そうに声をかけてきた。
「エスト、どこに行くの?」
「……どこへ、と言われましても」
仕方なしに振り向けば、ルルはいつの間にか空けていたらしいスペースを叩いている。……嫌な予感がした。
「まさか、そこに座れと?」
「せっかくだから、一緒に食べましょ!」
口元を引きつらせる僕に構うことなく、ルルは満面の笑みを浮かべている。
「いえ、僕は食欲がないので」
「だったらここにいてくれるだけでいいわ。その方が絶対楽しいし、マカロンももっとおいしくなるもの!」
……駄目だ。こうなったら、何を言っても無駄だ。
諦めて隣へ腰を下ろすと、ルルはにっこりと笑った。
「嬉しいな、エストがマカロンをくれるなんて。ねえねえどうして?」
絶対聞かれるとは思ってはいたけど、素直に言うのはどうにも憚られる。
「……別に、大した意味はありません。疲れていたのでたまには甘いものでもと思ったのですが、いざ食べようとしたら食欲がなくなったんです」
「それで、私にくれたの?」
「ええ。捨てるのもなんですし、あなたなら喜んで食べそうですからね」
我ながら苦しいとは思うものの、他に言い訳なんて思いつかない。ちらりとルルの様子を窺うと、こちらを見つめていたらしい飴色と視線が絡んだ。
「……えへへ」
へにゃりと緩む顔を見て、思わず眉が寄る。
「……なんです、その顔は」
「なんでもない!」
そう言って、ルルは手に取ったマカロンを頬張る。途端に浮かぶ笑みに苦笑して、仕方ないとばかりに抱えていた魔導書を開いた。
「おいしい! おいしいわエスト!」
「そうですか、それは良かったですね」
淡々と返して、ページを捲る。それからもルルは一つ食べるごとにおいしいと言って、僕もそれに言葉を返して。そうして、午後の時間は過ぎていった。
「ごちそうさま! とってもおいしかったわ」
そう言って手を合わせたルルを見て、思わず呆れた。いったいこの身体のどこに入るのか。箱の中身は、すぐに消えてしまっていた。
買ってきた箱は大きくはなかったけど、けして小さくもない。僕には到底真似できそうもない芸当だ。
「エスト?」
なんともいえない視線を送る僕にルルは首を傾げていたけれど、すぐに頬を緩めるとこちらに向き直った。
「本当にありがとう。私、すごくすごく嬉しかったわ」
「……別に、礼を言われるようなことでもないでしょう。僕はただ、余りものをあなたに寄こしただけですが」
言葉通りの笑みを浮かべる彼女を直視できなくて目を逸らすと、右手が何かに包まれたような感触がして顔を上げる。
「それでも、ありがとう!」
「……っ!」
花開くように笑ったルルの顔を間近で捉えて、思わず息が詰まった。居心地の悪さから逃れようと腰を引いても、右手がしっかりとルルに掴まれているせいで動けない。
―――振り払ってしまえば、それで済むのに。布越しに伝わる温もりを手放すのが惜しいと思う自分がいる。
「今度、私からも何かお礼するね! 何がいいかなぁ」
そう言って思案する彼女は、未だに僕の手を握り締めたままだ。徐々に増していく鼓動に、頭がおかしくなりそうになる。
「そうだ! 今度の週末は、一緒にカフェでお茶しましょ!それならエストも―――…」
「結構です」
「え?」
硬い声で言い切ると、ルルの拘束が緩む。その隙に立ち上がると、さっさと背を向けた。
「エスト?」
「……お礼なら、あの笑顔で十分ですから」
思わず零してしまってから、はっとして口を押さえる。
何を言っているんだ僕は!
首だけで振り向くと、聞こえなかったのかルルは不思議そうな顔をしていただけだった。
「と、とにかく。あなたはもう食べ終わったようですし、僕はもう行きます」
慌てて言い繕ってから寮へと足を向ける。ルルの声が追いかけてきていたけれど、もう一度振り返る余裕なんてなかった。
意味もなく急ぐ僕の頬を、涼しげな風が撫でていく。その心地よさに目を閉じると、不意にルルの顔が浮かんだ。
今度、またあの店でマカロンを買ってみようか。そのときは彼女と一緒に食べてもいいかもしれない。
目蓋に焼きついた笑顔を思い浮かべて、今日だけで何度目かわからない苦笑を零す。
「……僕も、毒されたものだな」
落とした呟きは、言葉と裏腹に険を含んでいない。それどころか柔らかな色を宿しているものだから、自分でも驚いた。
「まったく、あなたには振り回されてばかりですよ」
恨み事を呟いてみても、結局そこには悪感情なんてひとつもなくて。穏やかな声が空気を揺らすだけ。
熱い頬を冷ましながら、今度はどう言い訳して渡そうかと考えて寮の扉に手をかける。
今度口元に乗せられた笑みは、紛れもなく微笑だった。
甘い報酬
(その笑顔が何よりの、)
FDのミルス・クレアタイムズより拝借したネタ。あれを見たとき、絶対にこの話を書きたいと思ったんです。
2010.03/11掲載
2011.05/04修正