「エスト! エストエスト!!」
 突然響き渡った声に、廊下にいる生徒全員が何事かと振り返る。一方、大声で名を呼ばれた張本人は迷惑そうな顔で足を止めた。
「ルル、何度言えばわかってくれるんですか。大声で呼ぶなとあれほど―――」
「来て!」
 既にお決まりの台詞を口にするのも構わず、ルルはエストの腕を取って歩きだした。その顔は真剣そのもので、いつになく強引な行動にエストは目を丸くする。
「ルル、突然どうしたんですか」
 尋ねても、ルルが口を開く気配はない。そしてそのまま、エストは外へと連れ出されたのであった。

 ルルに腕を引かれてやってきたのは、湖のほとり。周囲には誰もおらず、穏やかな静寂で満ちている。
「……それで? 突然こんなところまで連れてきて、いったいなんです?」
 眉を寄せて疑問を口にすると、ルルはゆっくりと振り返った。
「エスト、今日がお誕生日って本当?」
「……は?」
 突然の質問に、エストは呆けた声を発した。そして同時に、今日が自身の誕生日であったと思い至る。
 誕生日。それを価値のないものとして認識していたエストは、古い記憶が呼び起こされて無意識に眉を寄せた。
「まさか、そんな下らないことのためにここまで連れ出したわけじゃないですよね」
「くだらなくなんて、ない!」
 突然声を荒げたルルに、エストは瞠目する。そのまま見つめていると、ルルは俯いてしまった。
「エストが生まれた日だもの。くだらないなんてこと、あるはずがないわ……」
 その声が泣きそうな色を孕んでいるのに気づいて、エストは困惑した。
「ルル、今日が僕の誕生日だったとして、どうしてあなたがそこまで沈む必要があるんです」
 心底理解できないとでも言いたげな声に、ルルはゆっくりと顔を上げる。その瞳は、不安定に揺れていた。
「だって私、教えてもらうまで知らなかったの」
 そう言って、またすぐに俯いてしまう。スカートを握り締める指先が、白く染まっていた。
「私、何も用意してないわ。エストが生まれてくれた素敵な日なのに、プレゼントも渡せないなんて」
 悔しい、と肩を震わせてルルは言う。エストはというと、ルルの言葉に呆然と立ち尽くしていた。そして驚きが去ったあとに浮かぶのは、微かな笑み。
「ルル」
 呼びかけに、小さな肩が揺れる。
「プレゼントなんていりません」
「っでも、」
 エストの言葉に、ルルは勢いよく顔を上げる。
「僕が生まれた日を祝おうとしてくれた。僕には、それだけで十分です」
 これは紛れもない本心なのだと、そう伝えたくてエストはぎこちなくだが微笑んだ。
「でもエスト、」
「それとも、物に頼らなければ祝えないとでも言うつもりですか」
 わざと意地悪く問えば、ルルは小さく首を振った。
「ううん、違う……違うわ」
 ゆっくりと、飴色の瞳が輝きを取り戻していく。
「お誕生日をお祝いしたいのはもちろんだけど。でも、その方法は一つじゃないものね」
 徐々に広がる笑みを捉えて、エストは浅く息をついた。ルルに暗い顔は似合わない。
「ごめんなさい、暗くなっちゃって。……それから、ありがとう」
 ぺこりと一度頭を下げると、満面の笑みをのせて顔を上げた。
「まったく……普段は無駄に明るいくせに、どうしてそう変なところで暗くなる必要があるんですか」
「う……だ、だって、それくらい重要なことだったんだもの」
 拗ねたように言って、ルルはそっぽを向いた。その子供っぽい仕草に、思わず笑みが零れる。
「でも、エストに何かしたいっていうのも本当だわ。エストは何かしてほしいこととかある?」
「してほしいこと、ですか」
 尋ねると、エストは躊躇うようなそぶりを見せた。
「うんうんっ」
 対するルルは、期待に満ちた顔をしている。その真っすぐな視線を受け、エストは目を逸らして口を開いた。
 言うのに抵抗はあるけれど、願いなんて最初から一つだ。

「……笑っていてください」

 ぽつりと落とされた言葉に、思わずエストの顔を見つめる。
「あなたが笑っていると、悪い気はしませんから」
 そう言って、エストはすぐに背を向けてしまったけれど。露わになった左耳が、うっすらと赤く染まっているのをルルは確かに見た。
「……エスト」
 じわじわと、頬に熱が集まっていく。それは胸に灯ったものと同じ温かさで、ひどく心地がいい。
「エスト」
 もう一度、名前を呼ぶ。
 愛しさをのせるように、喜びを伝えるように、そしてなにより、この想いを届けるために。
「エスト」
 ゆっくりと、困惑した表情を浮かべてエストが振りかえる。揺れる新緑を見つめて、ルルは言葉を紡いだ。
「お誕生日おめでとう、エスト。生まれてきてくれてありがとう。傍にいてくれて、ありがとう」
 そして、ルルはふわりと笑う。胸いっぱいの、想いをこめて。

「大好きよ」

伝えたい気持ち
(ずっとずっと、そばにいてね)



エストが最後に困惑していたのは、ルルが想いをこめて名前を呼んでいたので戸惑っていたのです。
誕生日おめでとうエスト!

2010.01/12掲載

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