「今年のクリスマスは、絶対絶対一緒に過ごそうね!」
 そう告げたのが、一ヶ月前。
 エストはあまりいい顔をしなかったけれど、聖夜に二人で会うことを約束してくれた。
 だからすごくすごく楽しみで。それ以上に、一緒に過ごしてくれるのが嬉しくて。その浮かれようは、傍目にも明らかだったと誰かに言われた。
 だけど、毎日毎日クリスマスのことばかり考えていたのがいけなかったみたい。
 私は授業中にとんでもない失敗をしでかし、クリスマスイブ当日に補習を受けることになってしまったのだった。

「はあ……」
 窓から外を見れば、もう夕闇が近づいているのがわかる。少しずつ染まっていく空を見て、ため息をひとつ吐いた。
 よりにもよって、こんな日に補習だなんて。どうして私って、こんなにドジなんだろう。
「私って、ほんとに駄目だなぁ……」
「そうね。少なくとも、補習をまともに受けることもできませんものね」
 思わず零れた呟きに声が返ってきて、慌てて顔を前に戻す。視線の先には、とっても綺麗な笑みを浮かべたヴァニア先生がいた。
 ……笑顔が綺麗すぎて、すごく怖い。
「ごっ…ごめんなさい!」
「あら、別によろしくてよ? 朝からずうっとその調子で補習が全然進まなくて、折角あなたのために割いた時間が無駄になっていることなんて、ちっとも気にしていませんもの」
 絶対、すごく気にしてる……。
 ちくちくと刺さる言葉に身を小さくしていると、ため息が落とされた。先生の纏う雰囲気が変わった気がしてそっと見上げると、ヴァニア先生は困ったような顔をして私を見ていた。
「本当に、わかりやすいくらいに落ち着きがなくってよ。今夜の約束でもあったのかしら」
 先生からの問いに、小さく頷く。
「それは災難でしたわね。あなたのことだから、今夜が楽しみで注意が散漫になっていて授業で失敗した―――といったところかしら?」
「……はい」
 さすがヴァニア先生だ。まさしくその通りで、言い訳もできない。
「浮かれるのは結構だけど、それで学業が疎かになるのはいけませんわね。あなたには、ミルス・クレアの生徒である自覚を持ってもらいませんと」
 次々に投げられる言葉はどれも正論で、言い返すことなんてできない。こんなことを先生に改めて言われると、情けなくなってしまう。
 いつの間にか視線は下を向いていて、膝の上で握った拳が目に入った。
「―――なんて、こんなお堅いセリフでは、まるであの愚兄のようですわね」
 急に明るくなった声に誘われて顔を上げると、優しい笑みを浮かべる先生がいた。
「ヴァニア先生?」
「ルル、前にも言いませんでしたかしら。あたくしは、恋する乙女の味方ですのよ? あなたの気持ちだって、よく理解していますわ」
 先生はそう言ってくれるけど。
「……でも、先生。私、約束破っちゃいました」
 一緒に過ごそうって、私から言ったのに。
 プレゼントはどんなものを贈ったら喜んでくれるだろうとか、どんな格好をして行こうとか、考えてることはいっぱいあった。
 やっぱり、浮かれすぎていたのかもしれない。初めてエストと過ごすクリスマスが嬉しくて、はしゃいでしまった。
 あれもしようとか、これもしようとか、いっぱい考えていたのに。全部、ぜんぶ駄目にしてしまった。
(エストは今、どうしてるのかな)
 約束していた時間は、もうすぐそこまで迫っている。
 今夜の予定が駄目になってしまったと告げたとき、エストは表情を変えることもなく「そうですか」と言っただけだった。
 エストは、クリスマスが楽しみじゃなかったのかな。ひょっとして、静かに夜を過ごせてせいせいしてるのかも。
 考えれば考えるほどに、思考が悪い方へと向かっていく。こんなことを考えたいわけじゃないのに。
「ほらほら、そんなに暗い顔をしないで」
 沈む思考を引き上げたのは、ヴァニア先生の声だった。
「一日中ずっと教室に籠もっていたから、気が滅入ったのかしら。こんな状態じゃ集中なんてできませんし、今日はもう帰ってよろしくてよ」
 先生はそう言いながら、もう帰り支度を始めている。私はというと、先生のお許しが出ても動くことはしなかった。そんな私を見て、ヴァニア先生が苦笑する。
「そこにいていいのかしら。あの子が待っているのではなくて?」
「でも、今日は夜までかかるって言ってあるし……エストも、私と過ごしたいと思ってくれてるかわからなくて」
 言いながら、再び視線が落ちる。そんな様子を見て、先生は意外そうな声をあげた。
「あら。そんなことを言うなんて、あなたらしくないわね」
 らしくないのは、自分でもわかってる。だけど約束を守れなかったことで、自信がなくなってしまった。
「エストがどう思ってるのかわからなくて、不安なんです。補習のことを言っても、特に反応がなかったし……楽しみにしていたのは、私だけだったのかなって」
 先生は黙って聞いていたけれど、私が話し終えると優しく微笑んでくれた。
「大丈夫ですわ、ルル。あの捻くれた物言いと行動しかできないエストが約束してくれたのでしょう? 自信をお持ちなさいな」
 先生はそう言ってちらりと窓の外へと視線をやったあと、意味深な笑みを浮かべた。
「それに……いい子のところには、サンタが来るものよ」
 先生の視線を追って外を見た私は、信じられないものを見つけて慌てて立ち上がった。
「今日はこれで終わりだけれど、また日を改めて補習はやり直しますわ。そのときは、今回のような言い訳はきかなくてよ?」
「はい! ありがとうございます、先生!」
 悪戯っぽく笑んだ先生に勢いよく頭を下げ、私は転がるようにして教室を飛びだした。

 教室からずっと走り続けているためか、呼吸が苦しい。だけど、不思議とつらくはなかった。
(どうしよう、)
 どうしよう、どうしよう。
 どうしてここに、とか。もう外は暗いのに、とか。いろいろと言いたいことはあるけれど。
(嬉しい)
 さっきまで悪いことばかり考えて暗くなっていたなんて、嘘みたいだ。今はこんなにも、心が軽い。
 差しかかった階段を、一段とばしで駆け降りる。今は一分一秒でも惜しかった。
 そうして躍り出た先。寒空の中建物を見上げる影を見つけて、考える前に声が出ていた。
「エスト!」
 呼びかけに、人影がゆっくりと振り返る。あたりはもう暗かったけど、見間違えるはずがない。
 私は上がる息を整える暇もなく、ラストスパートをかけた。

「……はっ…本、当にエスト、だ」
 私がエストの傍にたどり着く頃には、すっかり呼吸が乱れていた。息を吸うたびに、喉が痛む。
「……何故、そんなに呼吸が乱れているんですか。ほら、落ち着いて」
 余程つらそうに見えたのか、エストが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。ちょっと不謹慎かもしれないけど、嬉しいかも。
「どうして笑っているんですか」
 エストが怪訝な色を浮かべたけれど、私の頬は緩むばかりだ。
「エストが来てくれたから嬉しいの」
「!」
 正直に言うと、エストは僅かにたじろいだ。
「ね、どうして学校まで来てくれたの?」
 ようやく息が整って顔を上げると、エストはちょっと目を逸らして口を開いた。
「誰かさんが言ったんでしょう。一緒に過ごしたい、と」
 告げられた言葉が信じられなくて、思わず耳を疑う。今、なんて。
 驚く私をちらりと一瞥してから、エストは渋々といった様子で続ける。
「それなのにあなたは浮かれてとんでもない失敗をやらかすし、補習が決まったら決まったで目に見えて落ち込んでいるし……」
 重いため息をついて、エストは苦笑した。
「……あんな様子を見たあとでは、気になって仕方ありませんよ」
 エストは素っ気なくそう言ったけれど、声とは裏腹に、その顔がすごく優しかったから。やっぱり私は、嬉しくて笑ってしまう。じわりと視界が滲むのが、自分でもわかった。
「いいの? そんなこと言って。私、都合よく考えちゃうよ?」
「お好きなように」
「エストも私と一緒に過ごしたいと思っててくれたって、思っちゃうよ?」
「! それは―――…」
 エストが何か言いかけたけれど、すぐに言葉を飲み込んでしまう。
「エスト?」
「ルル……上を」
 エストの言葉に従って空を仰ぐと、宵闇の中から浮き出てくるようにして降ってくるものが見えた。
「雪……?」
 ミルス・クレアで雪が降るなんて。ラティウムは一年中温暖な気候だから、ホワイトクリスマスは諦めていた。
 それなのに、今こうして雪が降っている。なんだか信じられないくらい。
 ぼんやりと静かに降り注ぐ雪に見惚れていた私は、視界を横切った青い影に我に返った。
「パピヨンメサージュ……?」
 そっと手を伸ばすと、指先に青い蝶がとまる。エストと二人で覗きこむと、淡い光を発してメッセージが再生された。

『かわいらしい恋人たちに、聖夜の祝福を』

「これって……」
 隣のエストを仰ぐと、苦い顔をしてパピヨンメサージュを見つめていた。
「……古代種も、余計なことを」
 そっと、もう一度指先にとまった蝶を見つめる。その向こうにヴァニア先生の笑顔が見えた気がして、知らず顔が綻んだ。
「素敵なプレゼントをありがとうございますって、伝えてくれる?」
 囁くように言うと、蝶は一度大きく旋回したあとに高く舞い上がる。ひらひらと舞う光が宵闇に溶けて見えなくなるまで、私はずっと青い影を見つめていた。
「きれいね、エスト」
 音もなく振り続ける雪を見て呟く。静かに構築されていく真っ白な景色に、感嘆の息がもれた。
「それよりもルル、早く寮に戻りましょう。このままでは風邪をひきます」
 言われて、エストを振り返る。お互いに、はく息は白かった。
「もう少し、ここにいたいんだけど……だめ?」
「ですから、今言ったでしょう。このままでは――…」
「だから、ほんの少し。せめて、もうちょっと雪が積もるまで」
 エストは早く戻ろうって言うけれど、今戻ってしまうのはなんだかもったいない。
 それに。
「それに、エストと初めて雪に足跡をつけたいな―――…なんて」
 まだ誰も足を踏み入れていない白銀の世界を、エストと二人で歩く。そんなことができたら、きっとすごく楽しい。
「だめ、かな?」
「…………」
「だめ?」
「…………」
「ねぇ、エスト―――…」
 黙りこむエストの顔を窺うと、深い深いため息をつかれた。
「……仕方ないですね。本当に、少しだけですよ」
「! う、うんうん! あと少しだけ」
 渋々でも、エストが頷いてくれたのが嬉しい。今日は悪いことばっかりなんて思ってたけど、全然そんなことない。いいことばかり起こってる。
「きれいだね」
 雪の降りしきる中、エストと二人で夜空を見つめる。なんだか、まるで―――…
「なんだか、世界に二人きりみたい」
「は?」
 思ったことが、そのまま口をついてでてしまったらしい。エストを見れば、呆気にとられた表情をしていた。
「あのね、こうしていると、まるで世界にエストと私だけなんじゃないかって思えるの」
 にこりと笑んで告げると、エストはふいと目を逸らした。
 エストは何も言わなかったけれど、否定もしなかった。だから、この態度は良い方に取っておく。
「…………」
 それからは、黙って雪を見つめていた。少しずつ白く染まっていく景色を眺めていると、不意に手が温かいものに包まれた心地がして視線を落とす。
 目で辿った先には、しっかりと繋がれた手があった。
「エスト、」
「勘違いしないでください。寒かっただけです」
 間髪入れずに返ってきた声に、思わず笑ってしまう。
「うん、私も寒いかな」
「……ならば、尚更はやく戻った方がいいのでは?」
「ちょっとだけだもの。今はこうしてるから、平気」
 実際、胸がぽかぽかとして温かい。その気持ちがそのまま、身体中に巡っている気がする。
「だから、もうちょっとだけ。あと少しだけだから」
「……どうせ言っても聞きませんからね、あなたの場合」
 繋がれた手が嬉しくて、微かに力を篭める。エストはそれに対して私を見つめ返したけど、結局何も言わなかった。
「ねえねえエスト」
「なんですか」
 二人並んだまま、白で埋めつくされていく世界を見つめながら口を開く。
「帰ったら、二人でパーティーをしよう? プレゼントも用意してあるの」
 プーペさんにお願いして、クリスマス用のご馳走を少しわけてもらおう。ささやかでもいいから、二人で過ごしたい。
「約束は駄目にしちゃったけど……」
 俯くと、繋がれた手に力が篭った。
「エスト?」
「駄目になっていませんよ」
 エストの顔を見ると、その視線は真っ直ぐ私へと注がれていた。
「二人で過ごすという話だったでしょう? 今こうしているのは、なんだというんですか」
 告げられた意味を理解して、じわじわと頬が熱をもつ。
「……うん、そうだね」
 やっとの思いで返すと、あとはもう、言葉はいらなかった。
 しんしんと降りしきる雪を、二人で眺める。
 予定とは違ってしまったけど、こうして大好きな人と一緒にいられて私はすごく幸せだった。

聖夜の贈り物

 帰ったら、ごちそうの用意をしよう。プレゼントも持ち寄って。そして、そのときに告げるのだ。

「メリークリスマス」

 そうしたらきっと、また笑顔が生まれるから。



思った以上にヴァニア先生とルルの会話が長くなってこんな文字数に……。
でも、書いててすごく楽しかったです。
ここには入れることができなかったのですが、当サイト設定では、ミルス・クレアのクリスマスイブはディナーだけご馳走が出て、自由に夜を過ごすことになっているんです。それで、翌日のクリスマス当日にパーティーがある、と。…言わなきゃ全然わからない裏設定ですけど。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!次からは、もっと読みやすい文章を心掛けたいと思います……。

2009.12/24掲載
2011.05/01修正

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