「馬鹿」



ネシアとミゼル、シリアス





ネシアがヴェルマンの書庫を訪れると、意外な姿があった。バイフー辺りがいそうだと思っていたが、本を開き頭を抱えていたのはもっと小柄な人物だ。

「おや、ミゼルさんがいらっしゃるとは珍しいですね。」

書庫の一角にある質素な椅子に座っていたミゼルが顔を上げる。彼はネシアの姿を見ると、そのまま苦々しげな顔をして白旗を上げた。

「全っ然わかんねぇ……。」

そのまま本を閉じると、元々納めてあったであろう場所に仕舞ってしまった。もういいのですかと問いかけるネシアにああ、と短く返す。

「兵法書、ですか。何故また?」

「オイラ、今まで仲間と一緒に戦ったりしてきたけど、軍を動かすっていうのには未だに慣れないからさ。」

戻された本のタイトルを見て呟いたネシアに肩を竦めながら答えた。ミゼルにとってグラムブレイズに入るまでの戦いは馴染みの地で、馴染みの仲間達と一緒にやるものだった。自分達で指揮を取るし、相手もあらかた決まっている。何があっても自分達の責任だ。

それが今までは指示を待ち、軍を動かすものになった。戦いの規模が大きくなり、責任も大きくなる。慣れない地で戦ったり、相手に地の理がある場所に攻め込んだりもする。ある程度は戦いというものに慣れている彼であったが、戸惑う事も多かった。

「だから、一度きちんと勉強したほうがいいかなーと思ったんだけど……。」

「難しかった、というわけですか。」

「まあね。というかそもそも、オイラは字が読めないんだ。絵とかでやっとそれっぽいのを見つけたけど、やっぱり無理だった。」

はあ、とため息を吐くミゼルにネシアは苦笑した。おそらく「兵」や「戦」等の文字は覚えていたのかもしれないが、よくもまあ、これだけたくさんの本の中から探せたものだ。

「では、初心者向けの本を渡したところで意味がありませんね。まずは字の勉強からしないと。」

「うう…、勉強は苦手なんだよなぁ。そもそも全然した事が無いし。」

「フフフ…。きちんと学を持たないと、馬鹿になってしまいますよ。」

「馬鹿って言うな!」

どこかの傭兵のような言葉を返しつつも、でも否定できないよなぁ、とミゼルはまたため息を吐いた。
その様子を面白げに見ていたネシアだが、本棚の方へと足を向けて自分の目当ての本を探しながら言葉を紡いだ。

「いいじゃありませんか、馬鹿でも。そのために私がいるんでしょう。」

意外な言葉に、ミゼルは大きく瞬きする。ネシアは本棚の方を眺めたままでこちらを見てはいなかった。

「貴方がたが武力を担当する。私が知を担当する。そうやって各々の役割を分けることで力は発揮できるものです。」

「たしかに、そうだけど……。」

早々に見つけたのか、本をいくつか取り出した後にネシアはこちらに歩いてくると、持っている中から一冊、ミゼルに渡した。この書庫の中では比較的簡単な内容の、文字を学ぶ本だ。彼はフフフ、と相変わらずの笑みを溢す。

「向上心を持つのは良い事だと思いますよ。しかし身の丈に合わない物を得るのは難しいでしょう。だから少しずつ時間をかけて学びなさい。その間は私に力を預けていれば良いのですから。」





「あの時あんたの事、ちょっと格好良いなって思ったんだぜ。」

横たわる亡骸を悲しげに見つめながらミゼルは言った。
ソルティエ帝の手術が終わった帰り道、突然に裏切ったネシアは今、血を流しながら彼の前に倒れている。
理由は分からない。何をしたかったのか、何を考えていたのかも分からない。ただ、仲間だと思っていた、信頼して力を預けていた人物が刃を向けてきたという事実をミゼルは未だに受け入れられなかった。

「馬鹿はどっちだよ……。」

呟いた言葉に、いつもの笑みは返って来なかった。







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