忘れえぬ旋律
イータとネシア
シリアス風味
会議室では、ヴェルマン方伯に加えグラムブレイズの主要の面々が集まり様々な話し合いをしていた。ヴェルマンが情報や進軍先の候補、予算等を提示し、ネシアやジェノンがパターンを提案、シスキアやメデューテにレオン、そしてガーロットが地形や立地から戦闘方法を確認していくといった具合だ。
とはいえ現在行ける場所はそれほど多くなく悩む要素も少なかったため、話し合いは紅茶を味わいながらゆったりと進められた。
「おや?この音楽は……」
耳へと流れてきた優しい旋律に、ジェノンが顔を上げる。隣の部屋でイータが演奏を始めたのだ。彼女の前にはエイミとエレナが座り、小さな演奏会が開かれていた。
「綺麗な曲だね。」
頬杖をつき、顔を綻ばせながらシスキアが言った。レオンは無言で手を組み背もたれに体を預けたが、彼も満更ではなさそうな顔をしている。
そのままハープの音色の中で作戦会議は進められ、終盤に入りほとんど演奏を聴く事が中心になった頃。曲が終わったのだろう、一旦演奏が途切れた。
「イータお姉ちゃんすごーい!」
「とても綺麗な曲でした。」
賞賛を送るエイミとエレナに優雅に微笑むと、イータは再び弦に指を乗せた。
「では次は、私の思い出の曲を弾きましょうか。」
わっと喜ぶ二人を、先程とはまた違ったメロディーが包み始めた。あまり聴き慣れない、しかし心地よい音の連なり。夢心地でいた二人だったが、しかしそこにガラスの割れる音が混ざった。
同じく耳を澄ませていた会議室の面々も、思わず我に返り音のした方を見る。壁には垂れた紅茶、その下には割れたティーカップ。そしてそれを辿ると、おそらく投げたのだろうネシアの腕が目に入った。
「ネ、ネシア……?どうしたんだ?」
驚くガーロットの声にネシアはハッとした。無意識だったのだろうか、彼も動揺した様子で壁を見ていた。
沈黙する彼らの耳を、音楽が空虚に通り過ぎていく。やがて、ネシアはよろよろと立ち上がった。
「少々、失礼します。」
一礼すると、ネシアは部屋を出る。事態を把握出来ない彼らは止められずに、ただネシアを見送るしかできなかった。
「入りますよ。」
軽いノックの後にネシアが扉を開けたのは隣室、イータ達がいる部屋だった。エイミとエレナが、開かれた扉を振り返る。
「あ、ネシアさん。すごい音がしたけど大丈夫……?」
どこか不安気に問いかけるエイミには答えずに、ネシアは未だ素知らぬ顔で演奏を続けるイータに向かって言い放った。
「その曲を弾くのはやめていただけますか?」
その言葉に、イータはようやく手を止め顔を上げた。何があったか知らないとでもいうように、その顔は上品な微笑を浮かべている。
「何故です?いい曲なのに。」
「不快です。」
問い掛けに対しばっさりと切り捨てられたが、しかしその言葉を聞き、何がおかしいのかイータはくすくすと笑う。
「あらあら、貴方には音楽を理解する心が無いのかしら?ほら、よくお聴きなさい。こんなにも素晴らしい曲なのですから。」
再び弦の上で彼女の指が踊り、旋律が流れ出す。先程と同じメロディーが部屋を満たし始めたが、しかしそれはすぐさま遮られてしまった。
「やめろ!!」
ネシアの口から、普段の彼からは想像出来ない荒々しい声がでる。彼は耳を塞ぎ、歯を噛み締めながら全てを拒絶するように下を向いた。
「どうしたの!?」
声を聞きつけ、慌てて部屋に入って来たのはシスキアだった。思わぬ異変に、会議室にいた面々も続いてやってくる。
驚きと不安、そして少しの恐怖で呆然としていたエイミとエレナだが、彼らの到来に我に返り、慌ててイータに提案した。
「イ、イータお姉ちゃん。ボク、別の曲がいいな!」
「わ、私も!その、今の曲も素敵でしたが、別の曲を聴きたいです!」
「あらあら、では仕方ありませんわね。別の曲にしましょうか。」
何事も無かったかのように、再び音楽が流れ始めた。しかし部屋にはまだ立ち尽くしたままのネシアがいる。曲が変わった事で少し落ち着いたのか耳を塞いでいた手の力は若干緩んでいたが、それでも彼の苦しそうな気配は消えてはいなかった。
「ネシア、会議はもうほとんど終わった。具合が悪いのなら休んでこい。」
事態をなんとなく理解したヴェルマンが静かに声をかける。それに対しネシアはようやく手を下ろした。
「そうさせていただきます。」
ふらついた足取りで部屋を出ると、彼はそのまま廊下を進んで行った。その様子を盗み見たイータはくすりと笑う。
(少しからかっただけですのに。)
その後ヴェルマン達も会議室に戻り、しばらくして演奏会も終わった。解散する際、エイミはそっとイータに問いかける。
「ねぇ、イータお姉ちゃん。その、ネシアさんが怒ったあの曲って何の曲だったの?」
イータは優しげに笑い、他の方々には内緒でしてよ、と前置きすると答えた。
「高い高い場所にある、空の上の国の音楽です。」
イータの顔はたしかにエイミの方を向いていたが、その瞳が映しているのは彼女ではなくもっと遠くの景色であることに、エイミはなんとなく気づいていた。
戻る