特攻の拓夢百題
96 守ると決めた

「千歳。しばらくここにいろ」

この美しい純白の単車は、千歳に不安をもたらすルート、そして秀人にとって手慣れたルートを意図して選択し、ひときわ際だったスピードで暴走りはじめた。

秀人のそばに長くいれば、異変のゴングが打たれる瞬間の気配も、暴力の気配も、察知することは容易だ。千歳も、不良の彼女。族のオンナ。それにふさわしいカンは、悲しからずや磨かれつつある。


ほんの20分ほど前から、千歳を乗せたFXを追い回している改造車がある。
いつもならうまく撒くのだが、今日の秀人はきっちりとケリをつけたい意志をもっているようだ。


そのため、秀人は新山下の倉庫街に一度待避することをえらんだ。

彼女の千歳を巻き込まぬよう、避難させておくためだ。


埠頭の倉庫街に、単車が卓越した技術によってすべりこんだ。


千歳は、秀人にうながされるように、単車からおろされる。

落ち着いているけれど怒りと畏怖がはちきれんばかりにつまる声音の秀人にそう命じられると、千歳も黙って従うしかない。


それでも千歳へのいたわりをこめて伝えてくれた言葉に、千歳は、素直にひとつうなずいた。

その姿を見届けて、千歳のほっそりした肩を抱き寄せて軽く体を押し当てる。
ぬくもりとたばこのかおりと秀人のかおりを千歳にあずけて。


ふたたび単車にとびのった秀人は、日頃千歳を大切に乗せてくれるときよりずっと荒々しい運転で、倉庫街の外へとびだしていった。



だだっぴろい倉庫。コンクリートがしきつめられた床はしっとりとぬれたあと乾き始めている。
しずかで、くらくて、だれもいなくて、さみしくて。


でも、清潔だ。

おいてけぼりのさびしさはあれど、秀人の言葉とかおりを思い出せば、不安に堪える力はどうにか湧いてくる。




さきほど性急に単車をとめた秀人は、ここに千歳のからだを押し込んだ。

「ここからでるなよ。すぐかえってくっから」
「秀ちゃ・・・ん・・・・・・」

なさけなく名前をよぶことしかできなかった、先ほどのことを思い出す千歳の体をつつむのは、スカジャンだ。そして、千歳がぎゅっと抱きしめ続けるのは、さっきまで秀人がきていたシャツ。スカジャンは、勿論、千歳の私物ではない。このところ単車に乗せてもらうときに、秀人になかば無理に羽織らされるのだ。



秀人のあたえてくれたスカジャンに守られ、そして、身軽に戦うためか、秀人が千歳に預けていったシャツがしわしわになってしまうこともいとわず、ぎゅっとだきしめて。


千歳は、倉庫の入り口付近にとどまったまま、堪えきれずにしゃがみこんだ。


千歳と秀人を追いかけ続けていた者を撒いたあと、きっちりと落とし前をつけるために、千歳を待避させて、ケンカに行ってしまった秀人。


秀人の強さなんて、千歳はいやというほどわかっている。
秀人のそんな強さに、千歳は甘美なんて抱かない。

こうして巻き込まれぬように気遣ってもらうこと。秀人がたったひとりでいつもどこかへ行ってしまうこと。それを耐えることしかできないこと。すべてを、こうして秀人の残り香を抱きしめながら、言い知れぬ思いを黙って抱え続けることしか出来ない。




そして。


千歳が悲しい我慢を重ねることなんて、いつだってほんのわずかな間なのだ。



聞き慣れた排気音が、静謐な倉庫街にひびいた。
いつまでたっても単車に疎い千歳でも、愛する人の排気音はすぐにわかる。


千歳を守っていた倉庫のまえに、音に反してなめらかな停車で、単車が滑り込んでくる。

思わずたちあがった千歳が起こした立ちくらみと同時に、秀人が単車から降りた。ひざにずっと顔をうめていたから、千歳の瞳に飛び込んでくる光と秀人のすがたが相俟って、まるでまぼろしのようだ。


「千歳、大丈夫か」
「大丈夫・・・・・・?」

秀人のスニーカーがコンクリートを踏みしめて、つかつかと千歳に近寄る。千歳が秀人に走り寄ろうとしたそのとき、あっというまに腰をだかれる。


「秀ちゃん、帰ってくるの、はやかった・・・・・・」
「あたりまえだろ。用事ぁ終わったぜ、さ、湘南けーんべ。むこーのが今日は千歳も落ち着くだろ」

千歳を抱き寄せた腕。秀人が、すこしだけ気のたった声で、矢継ぎ早にこの後の過ごし方を提案する。千歳もそれは、おおいに同意なのだが。なにせ、右手が気にかかる。秀人のボトムで、血がぬぐわれていく。


「わるかったな」


秀人の落ち着いた声に、千歳がこくりと頷いた。

なにより、千歳以上に、秀人が胸をなでおろしていたのだ。

だだっぴろい倉庫。だれもこないが、安全性は保証されている倉庫だ。この界隈の夜には詳しい。そしてここは、外道がちりぢりになったときも駆け込める場所だ。
ここを敵チームにみやぶられたことは、一度もない。

ここに千歳をかくまったことをみぬき、秀人の弱点である千歳を見つけ出し、千歳を連れ去ってしまう敵は、いないはずだ。

今日の顛末は吉岡だけに報告する算段である。小競り合いなど、秀人ひとりなら放っておくにかぎるが、千歳ごと的にかけようとしたその浅はかさは、放っておくワケにはいかない。
千歳ちゃんちゃんと守れっつってんだろとちゃかしたあげく、さらなる凄惨な落とし前の計画がはじまるだろう。


「ひとりにさせちまった」

秀人に寄り添ったまま、悲しげな表情をかくせぬ千歳が、いっそう儚げな様相をうかべた。

「さみしかったよな」
「10分もかからなかったよ・・・?」
「怖いおもいさせちまったな、悪かった」
「すぐに帰ってきてくれたのに」


"オマエのオンナぁ、どこよ。"


相対した集団の頭らしき男は、汚い声でそう言った。

そうさせるつもりはなかったのだが、千歳が暴力をとりわけこわがるから。そして、足手まといになることを極端にいやがる。それなら、私なんて秀ちゃんのそばにいないほうがいい。そんな千歳の言葉を、あるときくちびるでふさいでやったことがある。それ以降、千歳を遠ざけることはやめた。守りたい者を守ることを、秀人は、いっそう強く決断し、行動にうつした。

こうした緊急事態のため、そしてルールを逸脱することをおびえる千歳のため、長い髪の毛をまとめさせて、秀人は装着せぬヘルメットは千歳に当然のようにかぶせる。そして、男物のジャンパーを着せる。

千歳をすべてから隠して閉じこめるようなまねはしない。千歳を堂々と愛する秀人だが、守り抜く手段は問わない。


つぶすことは簡単だ。わずか3分ですむ。少しの時間を要したのは、二度とそうした脅しをかけさせないため。千歳を守るため。


それでも、誰かを傷つけたその手で千歳を抱かないだけの矜持はある。矜持のうらにあるのは、後ろめたさだろうか。千歳をそのときそばに置けば、己をとめてくれるだろうか。千歳を愛し始めてから、秀人は、自制も忍耐もまなんだ。それでも、矛先が彼女へ向けば、まなんだことすべて瓦解するかもしれない。


「秀ちゃん、いいの」

千歳が、思案を重ねる秀人の血に塗れた拳をそっととる。血に触れてはいけないと秀人に言い聞かされていたから、乾いた血にまみれた拳にくちびるを這わせることはしない。

そのまま、みずから背中に腕をはこぶ。

秀人が、よりきつく千歳のことを抱きしめる。

「シャツおいてくって・・・・・・」
「ん?ああ、不安だっただろ?オレの、なんかあずけてねーとよ」
「うん、いつも不安だよ・・・・・・」


清潔なTシャツ。どうも、千歳がそばにいないとき、秀人はずいぶん派手な私服に身をつつむらしい。吉岡にこっそり教えてもらったことがある。シンプルなTシャツに顔を埋めた千歳が、あたたかな心音を楽しみながら、そっとつぶやいた。


「でも・・・・・・」
「んだよ」
「家でひとりで待ってる犬みたいじゃない?」

秀人が押し殺した声で笑う。
犬というより、どちらかというと千歳は、うさぎか。かわいらしくさみしがりで我慢づよい恋人を、愛くるしい動物にたとえてみる。

「なにがあっても千歳んとこに帰ってくるからよ。その証拠だ」

お守りのような外道のはちまきは、千歳の部屋の引き出しの隅にしまいこんである。何かのはずみで落としたりすれば、外道全体に迷惑がかかるから。
千歳が、外道の秀人の大切な恋人であること。千歳はそれを、静かに覆い隠しているつもりなのに、時々こうして暴かれてしまう。身の危険なんて一度も感じたことがない。今日だって少し怖かったけれど、こうしてあっさりと守られた。

「ひでちゃん」
「ん?」

やわらかな声。

吉岡が、「秀んあの声ぁ、千歳ちゃんしか聞けねーぞ?」と耳打ちしてくれたことがある。生涯そうであればいいのに。このうえなくやさしい声が、千歳の言葉をじっと待ってくれている。


守ってくれてありがとう。


そのひとことが、告げられない。


「千歳ぁオレが守るぜ」

告げられないひとことをこうしてあっさりと代弁してくれる。
その声にこたえるように
そんな言葉を言わせない自分になりたいのに。それはいまだ、遠いのぞみだ。

「怖かっただろ」

何度も繰り返される言葉が、千歳のことを包み込む。

けして、甘美なんかじゃない。
怖くて、さみしくて、

そして、どうしようもなく愛おしい。

秀人に守られるほかない千歳の、その儚い心と体を、秀人ののびやかな力がつつみこんでいく。
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