特攻の拓夢百題
03 ずっと友達

「……ああ?……あすか、その髪……」
「そーなの、切った!」
似合ってる?

秋生の前に急にあらわれたあすかとは、秋生にとって実に数カ月ぶりの再会だ。秋はとっくに過ぎ去って、冬の入り口に二人は立っている。
真嶋商会に唐突にあらわれたあすか。
16年見知った顔には、慣れたにおい、そして郷愁に似た記憶がある。
あすかがどう変化しようと彼女のことを見失うことはありえないけれど、さすがに秋生は、あすかのあからさまな変化に驚愕のさまをみせた。

あすかのぱさついたロングヘアは、ばっさりと切り落とされ、冬の澄み切った大気にすっきりと輝く茶色いショートカットに変貌していたのだ。

広くつるんとした額を流れる、こざっぱりとカットされた前髪。
あすかの切れ長の目が細められて、さっぱりとわらった。

「あ、ああ……」
「アッちゃんが、あーとかああとか言ってんときは、ほめてくれてるってことだよね。ありがとう」

あすかの小さく引き締まった顔に、たしかにショートカットは映えている。鍛えられた体にちょこんとのっかる顔が、こんなに小さかったとは。

「んなことよりよー、さむくねーのか?」
「男子の髪も短いじゃん、それと一緒」
「おれぁよ、さみーぞ……」
「そっか、アッちゃん首が寒いんだね。クリスマス、ネックウォーマーあげる」
「ああ?クリスマス?」

先日から一気に温度が下がり、仕事場もキンと冷え込んできたところだ。
こんな気候であるのに、あすかは、短いパンツから平気で足を出している。素足をロングブーツがつつみ、小さな顔の下、しっかりと鍛えられた首を覆うのは、真っ黄色のマフラーだ。

「正月泊まりにいくから、そんときあげる」
「……あ、あのよ……オレもよ」
「わたしは何もいらないよー」
あ!コーヒーメーカーがある!ナッちゃん言ってたやつだ。

秋生の鈍重な逡巡をあっさり解決してみせたあすかは、工場の奥をのぞきこみ、真新しい機械に目をとめた。
そのくるくると回転する頭、くるくると変わる表情。
やっぱり、ショートカットはあすかによく似あっている。
あの夏のころより、ややすっきりとあか抜けて見える。
そして、ひとつもかざらぬすっぴんが、あすかの取り柄であったはずだが、よくみれば、かるい化粧もしているようだ。

軍手を両手から抜き取った秋生が、あすかのことを伺うようにたずねる。

「なんか乗せてやがんな?」
「アッちゃん、見るところが細かくなったね?」
ちょっとやってんだけだよ。

ほっぺかゆい……
そう小さくぼやいたあすかが、日焼け肌にかるく乗っているチークを爪の先で掻いてみせた。

「何の用かしんねーけどよ、ま、はいれよ」
「いいの?ありがと」

それあったかそー!

あすかが、秋生がまとう、オイル汚れが目立つランチコートをゆびさした。
セーターにダウンベストを纏っているあすかは、秋生にくらべると防寒が整っていないように見えるが。

「オイルくせーからよ、かせねーぞ」
「うん知ってる、このまえね、それと似たの、ナッちゃんに貸してもらった。ガソリンのにおいした」
「アニキが……?」
「うん、あ、それはそうとね」
あっ!事務所と工場、わけたの?

秋生の背中を追いかけて工場内に足を踏み入れたあすかが、変化に目をとめる。
秋の間にわずかに掃除を行って、軽く模様替えした真嶋商会内。七代目爆音メンバーが溜まる場所と仕事場のけじめが比較的ついたことに秋生は満足している。
その変化をさとったあすかが、歓声をあげた。

「ああ、アイツラがよ、ジャマになんねーよーにな」
「アイツら?あっ!!」

秋生のひとことが耳に飛び込んだとき、あすかの小刻みに回転する頭に、秋生に伝えたかった事象が一気によみがえる。

さきほど。
JRの山手駅から、徒歩で真嶋家へ向かっているときのことだ。

あと数分歩けば秋生の家。角にあるコンビニは、夏に真嶋家に泊まりにくるとき愛用することの多い慣れ親しんだコンビニだ。その前を横切ろうとしたとき、あすかは、真っ赤なタンクのバイクとすれちがった。
よけいなものをそぎおとした、ミニマルなフォルム。
素人のあすかすら、その美しさがわかった。
まるで、鉄の女と呼ばれている個人メドレーの世界覇者のように、すべてを切り裂いて突き進むスピード。あすかの頬をタフな風が叩いた。
激しい排気音ひとつうなって、アイドリング音が響き始めたとき、その音に呼ばれるようにあすかがくるりとふりむいた。

ノーヘルだ。
金髪の男の子も、バイクにまたがったままあすかのほうを振り向いている。随分離れたこちらからも、その整った顔立ちがわかる。

ぺこりと頭をさげてみると、その金髪の子も、頭をさげていた。


「赤いバイクの、金髪の子とすれちがった」
「マー坊だよ」
「またすれ違いかー」

鍛えられた体に、キャメルのバッグを斜めにひっかけたあすかは、片手に紙袋をさげている。
三回忌はまだ先だ。
確かに、墓の掃除も何もかもまったく行き届いていないから、そんな世話のためにおとずれてくれたのだろうか。
秋生が、事務所と自宅をつなぐ扉にあすかをみちびこうとすると、あすかがこざっぱりと遠慮をみせた。

「あ、ここでいいよ」
でもここじゃ、ジャマだね……。

あすかは、夏生の使う事務机の前に、いいかげんに転がされている事務イスにちょこんとこしかけた。キャスターが、ころころとすべる。

そして、大きな手に提げていた紙袋を、秋生にずいとさしだした。

「アッちゃん、これ、八景島のおみやげ」
「ああ、ありがと、……よ……?」
八景島?

引っかかる言葉だ。
遠慮なく紙袋を受け取った秋生が、首にかけていた手拭いで鼻の頭のオイル汚れをぬぐいながら、思案をくりかえす。

「うん」
「八景島?」
「そうだよ」
「……確かよ、秋ごろだっけか……アニキが行ったっつってたな……」
「ナッちゃんと、行ったんだよ?」
「……あ?」
「うん、11月にね、ナッちゃんと水族館行ったの」
「アニキといってよ、なんでオマエが渡しにくんだ?」

そっちなんだ、気になんの。

さらりと言ってのけたあすかが、けらけらとわらう。

「ナッちゃんの車においてかえるつもりだったのに、わたしが間違ってもってきちゃったから」

画一的なデザインの紙袋をさしだしたまま、あすかは澄んだ瞳で秋生を見つめている。
賞味期限大丈夫だから!アッちゃん好きなクッキーだよ!そう言ったあすかが、もう一度紙袋をさしだした。

「はい。どうぞ」
「あ、ああ、ありがと、よ……」
こいつがクリスマスでかわまねーよ……。

事務いすをくるくるとまわしてあそぶあすかが、さっぱりとしたショートカットを翻して笑った。やはり、よく似合っている。薄めの顔立ちによく映えている。

「ううん、30日から泊まるから、クリスマスのは、そのとき持ってくる。アッちゃんとナッちゃんおそろいのネックウォーマーさがす。首寒いんでしょ?」
「はぁ?!アニキと!?おそろいかよ……!?」
「バーゲン品からかっこいいのさがすから、安心してて」

そういう問題ではない。なぜいい年をして、中途半端に年齢の離れた兄弟とおそろいのものを身に着けてよろこばなくてはならぬのか。そんな抗議を送ろうとしたとき、いささか乱暴な運転で、軽トラが敷地内につっこんできた。真嶋商会の印が刻まれた小汚いトラックが、性急な勢いで駐車する。そういえば、夏にあすかにあげたステッカーは、あすかの父の軽トラのすみっこにぺたりとはりつけられているという。

「あっ!かえってきた!」

乱暴なドアの開閉音。
運転席から降りてきたのは夏生だった。
タオルで手をぬぐいながら、夏生は、事務所にちゃっかりと居座っているあすかのすがたに目をとめても、秋生のように驚愕をみせることはない。

「アニキ、お疲れサン……」
「切りやがったか」
「うん、どう?」
「あすか、似合うじゃねーか」
かわいいぞ。

集金を終えた汚い財布を事務机の上にどさりと放った夏生が、ランチコートのポケットから大きな手を引っ張り出して、あすかのちいさな頭をわしわしと撫でた。秋生が触れられないその頭に。

すこし肩をすくめたあすかが、邪気のない笑顔を夏生にみせる。

夏生とあすかは、あの夏のままにすぎない気もするけれど。

あすかの髪の毛をわしわしと撫でた夏生は、あとくされなく工場に消えた。
すこしだけきょとんとした瞳をみせたあすかも、あっさりと秋生にむきなおった。

どうも、今日の夏生は忙しそうだ。
工場で一本電話をかけたあと、汚いトートバッグにつめこんだ部品を担いであわただしく軽トラに乗り込み、あすかに軽く手をあげて、粗っぽい運転で出ていってしまった。

「ちょっとだけのんびりして、かえろっと。横浜のクラブに用事があってね、そのついでだったんだ」
「そーかよ」
「あー、ここ落ち着くね。アッちゃんもナッちゃんもいて、アッちゃんの友達が来たがる気持ち、すごくわかる」
「アニキ見て落ち着いてんのはあすかだけだよ……」
「そんなことないと思うけどな」
「……あすかぁよ……オトコといるほうがラクそーだな……」
「あ、それよくいわれる。そんなことないよ、女子といるの、楽しいよ。女子校だし」
だっからー、アイツ以外に男友達いないっつってんじゃん。

事務所のかたすみに設置してあるコーヒーメーカー。顧客を兼ねた飲料メーカーの営業にうながされるまま置いたものだが、意外に役立っている。
コーヒーメーカーの使い方はあすかもわかっているようだ。
勝手に紙コップをひっぱりだして、コーヒーを二杯。
片方を秋生にさしだした。わりーな。そうつぶやいた秋生が、あすかから遠慮なく受け取る。

「アッちゃん、いとこなのに、いとこってかんじしないね」
「……そーかぁ?ただのいとこだぞ」
「アッちゃんは」
「……」
「アッちゃんはー」
「なんだよ」

紙コップからひとくちコーヒーを飲んだあすかが、晴れた日の冬の空のようにはればれと宣言した。

「ずっと、友達!」

あすかのハスキーな声を、秋生はしずかに受け止める。

苦いコーヒーを、秋生は行儀よくすする。

あすかにとってちょうどいい苦み。漆黒の液体がもたらすおちつきが、あすかの体をじっくりと巡ってゆく。

「寒くないか、あすか」
「大丈夫だよ。アッちゃんは?」
「オレかよ。オレぁ慣れてんだよ……」

黄色いマフラーの下の首は、きっと、あの夏、この秋、そして冬で、ますます鍛えられていることだろう。
あすかの茶色く短い髪の毛が、はらりと揺れている。

「年越しのお泊まり楽しみにしてるね」
「ああ」
「クリスマスプレゼント、もってくから」
「かまわねーよ、今日ので」
「アッちゃんは、わたしに気をつかわなくていいからね」

秋生は、本当は、熱いのみものは苦手なのだ。
秋生は、底の見えない黒いのみものを、ちろちろとなめるように、ゆっくりと啜ってゆく。
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