特攻の拓夢百題
29 今日の予定

「でよ、秀、おめー、結局連休ずっとここにいんじゃねーか」
「吉岡ぁ……、んでオマエがオレにコイツ持ってくんだよ?」

吉岡の精悍な身体を包んでいるのは、白くパリっと糊のきいたシャツに、カマーベスト。そして意外に長い脚を覆い隠すロングエプロン。
そして、その首元には似合いもしない蝶ネクタイ。
いや、似合ってはいる。黒服に蝶ネクタイ。そして意地でもキャッツアイを外さない吉岡は、まるで、黒塗りの顔に黒服できめた男性ボーカルグループの一員のようだ。


ここは、喫茶フェニックス。

なじみの席に陣取った秀人の目の前に、アイスミルクが軽やかにサーブされた。

秀人の知るところから知らぬところまで、手広くいろいろとやっている吉岡であるが、外道のたまり場であるこの喫茶店のヘルプにも時折入りはじめたようだ。

吉岡が意気揚々と運んできたアイスミルクをひとくちあじわった秀人が、吉岡の、まるでギャグとしか思えぬすがたを興味深げに眺めている。

抱えていたトレーをテーブルの上においた吉岡が、ずうずうしく秀人の前にすわった。

「仕事しやがれ」
「秀んこと怖がって客こねーよ?」

オマエが怖いんだよ!吉岡?
肘をついた秀人が、そう言ってさわやかに笑った。
向かいの吉岡がずいと顔をつきだしてくるので、秀人がおおげさに身をひいた。

「それによー、ずっとここじゃねーよ、昨日も暴走っただろーが」
「それぁそーだけどよ!どーしたのよ、あの子は?」

秀人が、ひっぱりだしたたばこに火をつけて、ふんぞりかえる。


アルバイトにはげんで、夜は仲間と走る。
日頃攻めている峠は渋滞だろう。
連休はこれだからうんざりだ。

走り足りないあいだ、吉岡があの子とよんだ少女。


秀人の恋人、千歳。


もてあます時間を、彼女と過ごす時間にあててやればいい。
チームに単車に、パーツ代とガス代稼ぎのバイトに。
そんなことに打ち込んでいれば、日頃なにかとあとまわしになる千歳。秀人は秀人なりに千歳のことを大切にしているつもりであるが、気付けば彼女のことを待たせてばかりだ。そんな扱いにも愚痴ひとつこぼさず、遠慮ばかりみせて秀人の都合ばかり優先したがる彼女をかまってやれば、千歳はきっとひかえめによろこぶであろう。

そうして、彼女に電話をいれた秀人が、連休の予定をたずねてみると。


いわく、


バレエのレッスンで、連休は京都へ行く。


甘くちいさな千歳の声は、平然と自らの予定をのべた。


「秀ちゃんは、京都、行ったことありますか?」
「しゅーがくりょこーぁよー……サボったからなぁ……」
「おみやげ買ってきますね!」
じゃ!


あの内気でおとなしい恋人は、いつしかこうして、自分のやりたいことに平気で従ってみせる子になった。

ことのしだいを語ってみせると、仕事中にもかかわらず好き勝手たばこを楽しむ吉岡が、ガハハとわらった。

「おおものだなー、千歳ちゃん」
「大物になっちまったぜ……」

まるできつねにつままれたような気持ちのまま、秀人は千歳の予定をすんなりと承諾し、連休最後の真昼を、この店でひとりでむかえた。

しかし、当の秀人には、自分よりも習い事を優先した千歳に対してなにか焦げ付くような思いやら、粗末にされたと恨むような被害者意識など、かけらも存在しない。あのおとなしい千歳が、自分の気持ちにしたがって自分の生き方を選ぶこと。

それ自体が、秀人にとって、好ましいことなのだ。

「秀がふりまわされっちまってんかよ」
「オレ、ふりまわされてんのか?」


それと同時に、彼女のことをそばにおきはじめてから、ずいぶんあの子にガマンをさせていること。ずいぶんあの子に心配をかけたこと。

こうして、一人で向き合う時間を彼女から与えられると、千歳がたったひとりで抱き続けたそんな思いを、いやでも実感させられる。

「きょーとかよ……」
「秀ぁしゅーがくりょこーさぼっただろ。オレもだけどよ」
「きょーとってなにがあんだ?」
「アレだよ、その、なんだ」
「……」
「……」

この町を愛し、夜ごとこの町を走る。
この港町の速さだけを信じるふたりには、新幹線でひとっとびすればたどり着く西の都のことなど、関心も興味も知識もない。

吉岡と秀人は、ふたりして、首をかしげた。

「今夜も流すかよ……」
「つきあうぜ?」
「うるっせー」

アイスミルクをそそいだグラスはいつしか水滴で汗をかき、氷がとけて味わいが薄められてゆく。
気づけば灰皿にたまる、たばこの山。

この喫茶店は、連休といえど閑散としている。
本牧に集う不良少年不良少女たちの行きつけの喫茶店から、いつしか外道のたまり場と化した。
そんな店に、気軽に足を運ぶ人間はごくわずか。

「千歳もよ、マイペースなとこあんからよ」
「秀ェ、人んこたいえねーぞぉ?」
「けどよー、しばらく会ってやってねーぜ?千歳ぁヘーキなんかよ……?」

形のいい指で、木製のテーブルをとんとんと叩いている秀人がぼやく。
そのぼやきは、年齢相応の幼さだ。
いつだってのびやかでいつだってまっすぐな秀人が、こどもじみたわがままな言葉を口にするさま。
吉岡が知る限り、それは、唯一。
千歳。あのおとなしい女の子だけが、秀人のことをこうして変えてしまう。

「秀人」
「なんだよ」
「あのな、そいつぁな」
「……」
「さみしいっつんだぞ、秀」
「ああ!?!?」

心外である言葉にムキになる秀人は、吉岡にとってずいぶんかわいい。

そこへ、扉を押せば響くカウベル。
スカジャンを纏ったオッくんがやってくる。

「よぉ」
「秀チャンきてたんかよ!」
「千歳ちゃんにほっとかれてんだよ」
「吉岡てめー……」

オッくんが話にまざる。その瞳はいやにきらめいている。拗ねたようなさみしいような、こどもじみた有様を素直にみせている秀人がめずらしいようだ。ましてやその原因が、あのおとなしくて控えめな少女。なかば外道のマスコットになりかけていて、秀人がけしてそうはさせない千歳。秀人に大切に守られている千歳が、こうして無意識に秀人を翻弄する姿。オッくんにとっても、外道にとっても、大切なふたりだ。オッくんにとって、好ましいことこの上ないのだ。

そのとき、カウンターの奥の電話がなりはじめる。

マスターは買い出しで不在だ。
はいはいと声をあげて、じゃれあう秀人とオッくんを放置したまま、吉岡が仕事に戻った。その電話をとった瞬間、吉岡のきざな声に、でれでれとした愛情がこみあげはじめた。



「秀ーーー!!!」

鼻の下をでれでれとのばした吉岡が、秀人を呼ぶ。

「んだよ、でけーこえで呼ぶな」

オッくんがこぼしてしまったアイスミルクを布巾でぬぐっている秀人が、吉岡を冗談っぽくにらみつけた。そんなコミカルな目つきにかまわぬ吉岡が、秀人に向って手招きをする。

素直に立ち上がった秀人が、ミルクくさい布巾をオッくんに押し付けて、吉岡のもとへ向かう。

「オレか?」

吉岡に渡された受話器を、不思議そうに見つめる秀人。

「まあ、出て見ろよ」

相変わらずニタニタと笑い続ける吉岡が、いやに丁寧に受話器をもたせて、秀人の肩をぽんぽんと叩いた。



「?もしもし?」
「ひ、秀ちゃん……?」
「……千歳か!?」
「いきなりごめんなさい……お部屋かけても、いなくて」
「どした、こんなとこに。なんかあったか?京都だろ?」
「あ、あの、私、今、新横浜にいて……」
「新横?」
「新幹線、おりたところ……」



だから、迎えにきてほしいんです、けど……。



千歳のねだる声は、おどおどと弱々しく、でも、確かに、勇気があった。

こうして素直に甘えられることは、めずらしい。
甘えることにも勇気を必要とするあの子。
素直に必要とされることは、あの子の彼氏である秀人の自尊心を、ここちよくくすぐるのだ。


秀人が、ジャケットのポケットのなかの鍵をたしかめる。
千歳用のメットはないが、今日はノーヘルでガマンしてもらうほかない。


いってらっしゃーい
すべてを悟ってそんな軽薄な声をあげる吉岡をいたずらっぽい顔でにらんだ秀人が、フェニックスをあとにした。オッくんは、わけがわかっていないようすだ。


海岸通りから首都高経由で新横浜など、秀人とパールホワイトのFXにかかればあっという間だ。30分もかからない。

新横浜駅。新横浜プリンスホテルのファミリーマートの前で待っていると伝えた千歳は、
意外な軽装。ふわふわと長い髪の毛をめずらしくまとめあげ、上品なサブリナパンツにジャケット、ショルダーバッグひとつで、ちょこんと秀人を待っていた。

そのかすかに不安な表情は、秀人におもいきって甘えてみたことに、後悔と懸念をにじませている。そんなものは、きれいさっぱりはらってやらなければ。道路沿いにFXを待たせた秀人が、千歳のそばにつかつかと寄り、かわいらしくまとめあげられた髪の毛にそっと手をそえた。

「お帰り。つかれてねーか?」

千歳の頭をなでると、千歳は、秀人のあたたかな腕に素直に身をまかせて、ひさしぶりに会えた恋人を見上げた。五月は、秀人に似合う季節だ。

「む、むかえにきてくれて、ありがとう……ございます……」
「FXをよ、アシにつかえんのぁよ、千歳だけだぜ?」
「ごめんなさい…」
「んであやまんだよ、いつでもゆってこい」

おどおどと秀人をみあげる千歳が、つづけた。
その言葉には、勇気と、覚悟と、彼女なりの茶目っ気が潜んでいる。

「ごめんね、さみしかった?」

秀人の整った顔にほうけた表情がよぎったあと、降参したようにわらった。

「いわせっかー?そいつよ」
「い、いってみたかったの……」

愛らしい意志をみせてくれるようになった恋人を、かるくだきよせる。
ふたりのあいだに吹き抜ける、五月の風がここちよい。

「私、いつもこうやって言われるほうだから……」

軽快な香水のかおり。いやみひとつない整髪料のかおり。
そして、セブンスターのこげついた匂い。
オイルの匂い。
だいすきなかおりを一気に吸い込んだ千歳が、秀人にたずねた。

「連休、バイトしてたの?」
「ああ」
「お疲れさま……」
あ!あのね!

唐突に声をあげた千歳が、ごそごそと荷物をあさりはじめる。
大きな旅帰りにしては軽装である彼女を秀人が気遣った。

「荷物こんだけか?」
「トランクは、おくったの。あのね、お、おみやげ……」

妙に張り切り始めた千歳を見守る秀人が、千歳のてもとをのぞきこむ。
一体何が始まるというのか。
襟足をぽりぽりとかきむしった秀人が、千歳がうきうきと開始した行動をひとまず見守り始めた。

「これ、たぶんひでちゃんすき……あまくないよ!」

千歳がとりだしたのは、簡素なパックにつめこまれた豆餅。
出町柳の名店にならんで購入したものであるが、秀人は、ひとつもぴんときていない様子だ。

「?」
「こ、これ、ひでちゃんのご実家、に……」

さらにとりだしたのは、コーヒーの名店のつめあわせ。小さなミルクカップにコーヒー豆。
秀人は、整った顔を真顔にたもったまま、千歳がちまちまと取り出し解説をかさねるそのすがたを、ひたすらきょとんと見守るのみ。

「ちゃんと、実家、顔だしてね?」

口元をパッケージでかくした千歳が念をおすが、秀人は照れをしのばせて、華麗に無視をきめた。
こういうときの秀人は、承諾してくれているということだ。

「こ、これが、交通安全のお守りで……」
「……?千歳んくれたお守り、これで何個目だよ……?」
「12こだよ!」

お守りを秀人のジャケットのポケットにつっこみながら、続いて紹介するお土産の順番を千歳はあれこれ思い浮かべてみる。
男の子がよろこぶお土産といえば、木刀なのだろうか。兄は、かわいい和菓子やかわいい京小物もよろこぶ趣味であったが、あれはきっと特殊なケースだ。

秀人に選んだお土産は、西陣織のシンプルなキーケース。千鳥格子が上品だから、むきだしの部屋の鍵を、ここにしまってもらいたい。照れ臭いので秀人のポケットにむりやりねじこんでみると、秀人がわけもわからずそれを取り出そうとする。

「あ、あとで見て!秀ちゃんのお土産だから!」
「?あ、ああ」
さっきお守りあったろ?

ひとりであわててひとりでこまごまとしたものを披露している千歳を、両手をひろげた秀人が愉快そうに見守る。


そして、千歳のちいさなはずのショルダーバッグから、つづいて現れたのは、ドハデな地下足袋。キッチュな美意識が特徴の和ものブランドが出している地下足袋だ。
これは秀人よりも吉岡好みだろうと決めつけた千歳が、お土産に選んだものだ。
吉岡にもさんざんお世話になっているから、プレゼントしなければならない。そう誓った千歳が懸命にえらんだものに、秀人は意外なほど目をかがやかせた。

「こ、これ、吉岡さんに…………、え、こっちのようが、よかった?」
「こいつイケてんべ……!?」

意外に秀人はハデなものも好む。好みすべてがシンプルで統一されているわけではない。
不良少年らしいぎらついた感性も持つ秀人は、吉岡におくられるはずのその幾何学模様の上質な地下足袋に瞳をかがやかせた。

「こ、これ、は、オッくんさんに……」

その流れで千歳がとりだしたのは、オッくんに贈るために購入した、地下足袋と同じブランドの甚平だ。確かにオッくんは、夏になると甚平を着て単車に乗る。秀人の彼女は、それを律儀に覚えていたのだろう。
それにしても、すずしそうな麻素材。シンプルでありながら地味とは程遠い、主張にあふれるテキスタイル。
それらは実に、外道ごのみだ。しかし。


"オッくんによ……コイツん価値、わかんのか……?"


そもそも、秀人から離れるほどに豪華な土産となっていないか。

「こ、これは、みなさんに……」

千歳のちいさなショルダーバッグのなかから次から次へと出てくる京都土産の数々は、しばらくやみそうにない。
魔法のようにつまった荷物。ファスナーを器用にしめてやった秀人が、ひとまず千歳をたしなめた。

「わーった。わーった千歳、後ぁよ、行ってからにしよーぜ」

いそいそと土産物を紹介していたおかげで髪型がずいぶん乱れてしまった千歳が、頬を真っ赤に上気させて何度もうなずいた。
単車のそばまで千歳を導いた秀人。千歳は、秀人の単車のリアにまたがるときの、決まったルーティンをとった。

単車にまたがったまま振り向いた秀人が、千歳にたずねる。

「きょーとってなにがあんだよ」
「え、えっと……ソワレ、とか……」
「そわれ?」
「あ、えっと、行ってから、お話します」

ショルダーバッグを慎重にたしかめた千歳が、秀人の精悍な腰にぎゅっとしがみついて、あたたかい背中にすべてをあずけた。

「フェニックスいくかよ?」
「いきます!」

さわやかな風。
真っ青な空。
千歳は、どの町よりも、どの空よりも、どの風よりも、この風がすきだ。
秀人のそばで感じられる風。
秀人がつくる風。
少しの旅疲れと少しの練習疲れでほっとした千歳が、秀人に、安心してすべてをあずけきった。




そして、25分後にたどり着いたフェニックスの扉ごしに、吉岡の黒服スタイルを視認した千歳が、驚きおののく。

「!?吉岡さん、フェニックスの店長になるんですか??」

ふざけた蝶ネクタイをととのえながら、ふたりにきづいた吉岡が手招きした。

扉を押して、反動を片手だけでおさえた秀人が、千歳を促し、先に店に導いた。
連休最後の昼下がり。秀人と千歳と外道の、かけがえのない休日がはじまる。
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