特攻の拓夢百題
14 逢いに行く

小春の暮らす町から、京急でおよそ20分揺られてゆくと、そこは、横浜だ。

そういえば、緋咲と付き合いはじめてから、この町へ友達と電車で出かけることはずいぶん減った。
そのかわり小春は、緋咲の暮らす町へ出かけて、緋咲のそばで週末を過ごすことが増えた。

今日は、めずらしく、緋咲に会えない週末。

そして、チャンスは今日しかなかった。

12月半ばの休日。

あと2週間で、クリスマスイブを迎える。

クリスマスイブを緋咲と過ごせるかどうか、それは小春ではなく、緋咲次第だ。
わがままなんて言えない。
時期をはずしてしまってもかまわないから、春からこの真冬をむかえるまで、小春のそばにずっと緋咲がいてくれたこと。
小春のことを、ずっと守ってくれたこと。
その感謝と、どうかこれからもずっとそばにいてほしいという願いをこめて、クリスマスのプレゼントは贈りたい。

緋咲のように、センスにすぐれていて華やかで、男らしいひとにふさわしいものは、いったい何なのか。
緋咲という恋人の存在を友達に打ち明けていない小春が相談できるのは、母親だけだ。年上の男の人には、いったい何をプレゼントすればいいのか。そうたずねてみると、母親はクルマだのなんだのとふざけた答えしかくれなくて、小春のことをちゃかしながら仕事に出かけるまぎわに、最後にはお小遣いを2000円くれた。

母からのありがたいお金と小春がずっと貯めてきたお小遣いをあわせると、小春のお気に入りのショップの洋服が二枚ほど買える額にはなる。

楽器や音楽のことは、まったくわからない。
バイクに関するものも、どこで購入すればいいものかわからない。
緋咲は、食べ物をあまり必要としないだろうし、消えてしまうものはさみしい。
たばこは、ありきたりだ。
となると、やはり、身につけるものだろうか。
緋咲がいつも身につけている、質のいい服や高級なスーツ。それに見合うものは、いったい何なのか。

横浜駅に直結している百貨店。
横須賀からひとり、はるばる脚を運んできた小春は、マフラーやニット帽で厳重に隠したその下で、くちびるをかみしめて、メンズファッションのショップが並んだフロアに、おそるおそるおりたち、緋咲に贈るためのクリスマスプレゼントを選んでいるのだ。

男性もののフロアは、休日だというのに妙にしんとしずまっている。

ちまちまと歩いている同い年くらいの子なんて、ひとりもいない。
このフロアで、あきらかに小春は浮きっぱなしだ。
少しだけ大人っぽい服装をえらんでみたものの、そんなものは無駄な抵抗でしかなかったようだ。

緋咲の愛用しているブランド。
小春には解読も判別もできない意味不明な外国語の色とりどりのブランドのなか、ふたつだけ名前をおぼえることができた。

ふたつとも、このビルの中に入っている。フロアマップを頭の中で照らしあわせてたどりついたのは、まず、ひとつめ。英国産の、特徴的なチェックがかわいいブランドだ。
小春でも知っている人気ブランドだからか、お客は多かった。そして、みんな小春よりずいぶん年上のカップルばかりだ。こそこそとまぎれて、小物や冬用の防寒具をのぞいてみる。

男性店員が小春を一瞥したのがわかった。

その冷たいひとみをあびた瞬間、小春は、逃げるようにとびだした。緋咲のしずかな瞳で一瞥されるとき、そこには、やさしさといつくしみしかないのに。今も、知らない男の人は怖い。そしてそもそも、財布やマフラーやライターに香水。それらの手前に、ブロックを組み合わされてしるされていた値段は、リュックサックの中に入っている小春の幼稚なお財布で、太刀打ちできる額ではなかったのだ。


そして、もうひとつ。
目星をつけていた店は、木目の床が印象的であった先ほどのショップとちがって、ぴかぴかにみがきあげられている大理石のような床に気圧されてしまう。ネオンカラーの照明に満ちた店内には、お客はだれもいない。ショップ内をぐるりと取り囲むように吊るされているのは、スーツだ。緋咲の着ているストライプのスーツとは少し違う質感だけれど、きっと、デザインは緋咲の好みだろう。
ショップの前を幾度も往復していると、店員が、男性から女性にいれかわった。

そして、女性店員が、鍵をつかってボックスのようなものを開けている。

しずしずとひらいたボックスのなか。

そのとき、小春の幼い鼻梁をくすぐったもの。

資金は、10000円には満たない。母からもらった資金と、小春がせっせとためたお小遣い。

小春は、まるでバーのようなブランドエリアに、おそるおそる脚を踏み入れた。




そして、クリスマス一週間まえ。
私立校に通う小春は、一足さきに冬休みに入った。

ばたつく年末だが、高等部への進学も無事決めたうえ、進学審査と期末をかねたテストもとっくに終え、今の小春は安穏としたものだ。

緋咲の予定に合わせた週末。小春は、緋咲の清潔な部屋で、ちんまりとこたつのなかにおさまっている。

コートを脱いでしまえば、セーター一枚。ゆるやかに暖房もきかせてくれたけれど、緋咲が、部屋着として愛用しているロングカーディガンを小春にきせてくれた。おとなしく、緋咲の服のなかにおさまった小春。それは薄手なのにあたたかくて、小春の手を指先までつつむ。
息をすいこんでみると、緋咲のボディシャンプーのかおり。

そして、緋咲は。

小春に巻かれたマフラーにくわえて、手袋まではめられている。
まるで、無理やり着飾らされてしまった猫のように、緋咲の整った顔立ちは、憮然とした色に満ちている。
小春の中学の校則でさだめられた色。味気ない黒のマフラーかとおもいきや、フリンジに工夫もあるマフラー。これはまだかまわない。

問題は手袋だ。こちらも学校指定のものを普段使いしているのか、味気ない黒。小春のちいさな手にはフィットするだろうが、緋咲の長い指が、いまにも手袋を突き破ってしまいそうだ。

「のけちまうぞ」
「だめです」

緋咲が淹れたココアをこくこくと飲みながらちゃっかりと断言した小春の言いぐさを、緋咲ははねつける。

マフラーは巻いたままだ。
緋咲の大きな手を支配していた小さな手袋をむしりとり、小春のリュックサックにつめこんだ。

「忘れないかな?」
「……バッグんなかに入ってるもんをよ、どやってわすれんだよ」
「それもそうですね!」

コイツはまいといてやるよ。
呆れたように切れ長の眼をとじ、マフラーを身に着けたままでいてくれる緋咲。
幸せをこらえきれない笑顔で、小春が何度もうなずいた。

そうしてまいておけば、ジョーカーのかおりがマフラーにおりてくる。
そのマフラーをまいて学校へ行けば、まるで、緋咲がそばにいてくれるような気持ちになれるのだ。
その算段を緋咲にみぬかれていることをしらず、小春は、緋咲の申し出にうきうきとうなずいた。

小春は、相も変わらずこたつに体をうめている。

小春がもちこんだクッション。
腰の下にしくには弾力がありすぎ、枕にするには心地よすぎる。そして、緋咲のまえでころんと寝転がるのは、お行儀が悪い。

ひざのうえにクッションをしいて、その上からこたつ布団をかぶせる。
こうすれば、ちょうどいい。

甘くて暖かいココアは、あっと言う間にのみほしてしまった。
そして、先ほどから気になるのは、小春のちいさなひとさしゆびの爪のそばにできたささくれ。
左の指先を軽く曲げて、右の親指でいじいじと、とがってしまったささくれをおりまげてみる。電車のなかでみつけたそれ。このままつまんでひっこぬこうとしたら、むやみに痛みが走った。
あきらめてほうっておいたけれど、こたつにこもって、こうして指をながめていると、再び気になってくる。

小さな指で、ひとさしゆびの先をちまちまと弄びまわしていると、下半身をこたつに埋めて、きままに喫煙にふけっていた緋咲から、するどい声がとんだ。

「何やってんだ?」
「ささくれ。あとちょっとがんばったら、むしれる」
「やめろ、無理にちぎんな」
「気になっちゃって……」
「まってろよ」

長いジョーカーは、新しいものをともしたばかりだ。
灰皿におかれたそれの先端が、じりじりとむしばまれていく。
こたつから体をぬいた緋咲は、電話の下のひきだしから爪切りをとりだした。

「かせ」
「はい……」

小春のそばに跪いた緋咲が、小春のちいさな手をとりあげた。
ひとさしゆびのはしに、確かに違和感があるであろうささくれが撥ねている。
緋咲が器用にあつかったつめきりが、小春のささくれをぱちんときりさいた。
爪のはし。そのねもとに、ほんのわずかにのこるそれは、もう小春を傷つけない。

「もう気になんない。ありがとうございます」
「んな深くねーな。あんま気にするんじゃねーぞ」
「はーい」

元通りになった人差し指を、クッションと布団の間にさしこんでしまえば、じわじわとあたためられる。爪切りはベッドの上にほうりだして、緋咲は、もとどおり、こたつにおさまった。

弾力のあるクッションをぎゅっぎゅっと押さえつけながら、小春が、おそるおそる切り出す。
今日、まだ、その話には及んでいないのだ。

「ひざきさん」
「何だよ」

清潔なテーブル。そのうえにひとしずくこぼれたお湯が一滴。
クッションを縦にもって、だきしめると、弾力がここちいい。

小春は、こたつのテーブルにぎゅっとおしつけるように、抱きしめてみる。

「クリスマス……忙しい、ですか?」

なんでもないふうにたばこをふかしてみせながら。
緋咲が、さらりとたずねる。

「小春はよ?」
「25日は、お母さんの仕事のお手伝いがあるんです」
「へぇ、看護婦だったよな?」
「小児科の子たちのクリスマス会のお手伝い、昼から」
「ああ、入院してるコドモのか」
「そうです。24日は、何もなくて……」

緋咲は、答えない。
なんだか、とてもあたたかに口角をあげて、マイペースにジョーカーをふかしつづけているのだ。
その笑顔は、慈愛に満ちているけれど、こたえてくれない緋咲に、小春は急に不安に陥る。

「……緋咲さん、無理だったらいいです、今日を、クリスマスだと思って……」

小春が、せっぱ詰まったように語り始める。そのぽってりとしたくちびるのうごきを、緋咲がさえぎるように、伝えた。

「あけといてやるよ」
「……ありがとうございます!!!」

みるみるうちに笑顔がひろがる、小春の小さな顔。
そのくっきりとした顔立ちの変化を、緋咲はじっくりと味わう。

「わたし、もう、プレゼント決めたの」

得意げにわらう小春。
緋咲のそばであたたかくわらう恋人をあたたかく見つめた緋咲が、小春にしかみせない穏やかなほほえみで、呟いた。

「オレもよ、この部屋のどっかにあんぜ?」
「!!」

まるで、雪のなかにくらす小さな動物がおいしそうなたべものをぴくりと見つけたように、大きな瞳をまんまるにした小春。そんな愛くるしい様を、緋咲は表情を変えずに満喫する。

小春が、きれいに片付いた部屋をきょろきょろと見回したあと、ふと我に返った。

「当日!ですね!」
「あのな、食いモンとかよ、無理すんじゃねーぞ」
「えー、花火のときみたいに、緋咲さんにまかせっきり?」
「バーによ、勤めてる先輩がいんだけどな……クリスマスケーキのノルマがあってよ、かわされんだよ」
「大変ですねー……」
どんなのですか?

イチゴのとモンブランのがあるらしいぞと緋咲が伝える。小さな頭を抱えてさんざん迷ったあげく、小春は、最後の選択を緋咲に任せた。

「指、もっ回みせてみな」
「ん、もう大丈夫ですよ」

ぱしぱしとテーブルをたたいてケーキについて逡巡していた小春が、すこし腕をひっこめた。ロングカーディガンごしの小春の手首を、緋咲がぎゅっとつかむ。

「ああ、血とかでてねえな」
「うん、ありがとう緋咲さん」

緋咲のかわいたくちびるが、小春のかすかなきずあとに、そっとふれた。

うつむいた小春が、指をこたつのなかにしまう。

「クリスマス……」
「ああ」
「逢いに、行きます」
「逢いにこいよ」

灰皿にたばこの灰をおとす。
小春のふわふわの頬が、りんごのように蒸気している。
たばこをくわえた緋咲が、追い打ちをきめこむようにささやいた。

「……イブ、泊まってくか?クリスマスの朝に帰りゃいいだろ」
「……」

緋咲のつややかな声で、いたずらっぽくささやかれてしまうと、小春の小さな心は、ぎゅっと、しめあげられそうになる。
うなずくことも、首をふることもせずに。
炬燵布団ごしのクッションにぎゅっと顔をうめて、ちらりと緋咲をぬすみみると。

美しくあやしく切れ長に走った緋咲の瞳が、小春を見つめて、あまりにもやさしくわらってくれた。
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