いい加減、夕方を迎えれば涼しくなってくれてもいいだろう。

夏ももうあと20日たらずで終わるというのに、空が茜色にそまっても、この町の大気がさわやかな涼やかさをおびることは、いまだない。
少し離れた海からやってくるべたついた潮気は、しっかりときめたウェーブにねっとりとまとわりつき、忌々しいことこのうえない。

むんむんとたちこめる熱気につつまれながら、千冬は、あすかの家の物干し場にいる。

ここには千冬専用の喫煙所がもうけられているけれど、夕方の鈍い熱風にひるがえる洗濯物をとりこんでいるところであるから、喫煙所を使うつもりは今の千冬には皆無なのだ。



つくつくぼうしが泣いている。

あすかのそばで、千冬が、口癖のように暑い暑いとボヤきつづける。

確かに暑い。
8月上旬、夏のど真ん中。
それでも、鎌倉の夏の夕暮れどきは、ほんの少しだけ、海のかおりをおびた風がやさしくなってくる。あすかは、こんなに蒸し暑い真夏の材木座の夕暮れが、存外気に入っている。

お盆前の忙しさでお店がたてこみ、母娘ともども洗濯物の取り込みをすっかりわすれていた。気まぐれに顔をみせにきた千冬に指摘され、千冬の手をかりながら、あすかは洗濯物をとりこんでいる。

「一昨日と昨日、雨だったよな」

千冬が、バスタオルを丁寧にたたんでいる。使い込んですこしかたくなったバスタオルからは、この家のかおりがただよっている。

「そうなの、だからたまってる。手伝ってくれてありがとね」
部屋で干せばいいんだけどね・・・・・・さぼっちゃった。

あすかが、母親の洗濯物を一気にとりこんだあと、千冬も残りを手伝う。

ふたりして、さっさとハンガーやピンチから衣服やタオルをむしりとって一気にかごにほうりこみ、家に持ち帰ってからたたんでしまえばすむ話なのだけれど。
こうしてふたりでいられる真夏の夕暮れのしずかな時間を、手早く消費してしまうことがなんだか名残惜しくて。

「このTシャツ何なんだよ……」
「パジャマ用だよ、かわいいでしょ!」
「変なキャラ・・・・・・」

変なキャラクターがプリントされた大きめのTシャツを、千冬が丁重に畳み、かごにほうりこんでゆく。

千冬が、あすかの下着をピンチから取ったあと、平然と畳んでいる。いつものあすかであれば、それにギャーギャーとつっこみをいれたいところであるが。どうにも、重みのある暑さと店の忙しさに、一日を終えかけている達成感こそあれどやはり疲労はたまっていて。あすかは、千冬による意外に丁寧で家事に慣れた手つきにまかせっきりだ。母親の手伝いを重ねてきている千冬は、他人の面倒も自分の面倒も、手早く看てしまう。

「ねえ、これ千冬さんの部屋着だよね?」
「あー、そーだよ、もーいーよあすかんちおいててよ。つかなんで洗ってんだ?」
「千冬さんのだよね?昨日、お母さんが着てた・・・・・・」

あすかに似て、あすかの母親も50代女性にしては背が高い。まあ、このボトムスも難なくはけるであろう。

「・・・・・・ま、まあ、すきに着なよ。オレ何枚おいてた?」

なぜだか大量に洗濯されているフェイスタオルを一枚ずつ畳みながら、あすかがそれをかごにつみあげつつ、あすかの家に置いたままである千冬の部屋着を指折り数えてみる。そして数を述べてみた。

「そんなもんだったかよ。あすかの着てっからな」
「着こなしすぎだからね!」

千冬がつまみあげた、ノースリーブの、洗濯機で洗えるニットは、あすかはずいぶん気に入っている。茅ケ崎に買い物に出かけたとき、千冬がすすめてくれたものだ。

「こーいう薄いの、まだ着る?」
「そうだね、今は着るんだけど、8月末にはひえそうかも」
「あと20日でおわんのかよ」
「はやいね」
「まっ、オレにぁ関係ねーんだけどよ!ちっとは暴走りやすくなっかよ」

仕事用のエプロンを畳みながら。
疲労を装って力なくわらったあすかが、あいまいにうなずいた。

「塩害なくてすむから、海から距離あるのもね、悪くない」
「単車はよ、こんくれーでも影響あんぜ」
「言ってたね・・・・・・湘南の子はみんな苦労してんのかなあ。大変だよね・・・・・・」

店の駐車場にとめられたハーレーは、いつもぴかぴかに磨かれている。千冬にしっかり守られているのだ。
自転車の泥汚れやパンクすら放置してしまうあすかは、あんなにゴージャスでデリケートな乗り物を自分でメンテナンスする千冬の努力や愛情は、想像もおよばない。

残った洗濯ものは、シーツと、あすかのタオルケット。そして、大きなバスタオル二枚。夕方のぬるい熱風に、力なく揺れている。

物干しと物干しのすきまにするりとすべりこみ、シーツの端に手をかけながら、あすかがぼやいた。

「今日もつかれたなー」
「お疲れ」

千冬も、タオルとシーツとタオルケットで守られた空間に、しのびこんで。

あすかのことを、千冬は、背後から抱きしめる。

高校生のころよりも痩せてひきしまった背中。
背後から包み込むように抱きしめた。
千冬のやわらかな髪の毛が、ふわりとあすかに降りてきて。
汗のかおりひとつただよわない千冬にやさしくつつまれて、あすかは、店と家の死角になる物干し場から、一抹の恥じらいをみせてみる。

「ここ意外と、道から見えるんだよ」
「こいつでかくれちまってんからよ」

シーツをひっぱった千冬が、あすかをより強く抱きしめた。

「正面向いてもいい?」

千冬に承諾をもらうまえに、あすかが器用に体を反転させる。

千冬に腰を抱かれて、ぐいと引き寄せられて。
あすかの前髪に、軽いキスがおちてくる。

あすかもまねして、千冬のスレンダーな腰を抱いてみる。

身長は5センチしか変わらないのに、今日はさらに、千冬の顔が近い。

「そのサンダル、意外とたけーな」
「歩きやすいよ」
「オレとかわんなくなんだろ」
「あたし、この身長の千冬さんがすきだもん。それに、すこしでも千冬さんにちかくなりたい」
「こんなに近くてよ、これ以上ちかづきてーんかよ」
「そうだよ?千冬さんって、どれだけちかづいても、なんだか、心地いーんだよね。べったりしてないっていうか」
「こんなにやってんのに?」

あすかの腰を、千冬がさらに引き寄せる。
おとなしく千冬に抱かれながら、あすかはそのしなやかな胸に頭をあずけた。

「何かが一致してんのかな?」
「何か?」
「そうだな、ひとりになりたいとき?ほんとに守りたいっていうときが、あたしと千冬さん、同じだとおもう」
「えーーオレいつもあすかといてーよ」

はいはい。
千冬の軽口をいなすように、そのしなやかな背中をぽんぽんとなでながら。

こんなに蒸し暑いなか、通気性のわるく、素材がてらてらとしたTシャツにつつまれてなおすずしげな千冬の、きつく香水の香るむなもとに顔をおしつける。

「千冬さん」
「何?」
「来年もこーしよーね」
「そうだな」
来年もくそあちーだろーな。

八幡様のお祭りはあすかも千冬も忙しくて二人で行けなかったから。
光明寺の灯篭ながしに、鎌倉宮の夜店もある。来月には面掛行列に、十月には光明寺のお十夜。
鎌倉の四季は流れるようにすぎてゆく。

少し強くなった熱風にぱたぱたとあおられる洗濯物のあいだで。
少しだけ熱をおびたふたつの体が、寄り添い合って、やさしいキスをおくりあった。
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