小春に触れることに、緋咲は、わずかではあるが時間を要した。
この手が、小春を傷つけることがあるやもしれないからだ。

"緋咲さん、わたし、緋咲さんだから大丈夫なんです。
このままだと、わたし、ずっと、さみしいです"

ある時、そううったえた小春が、緋咲の体に、おずおずとふれた。
緋咲の精悍な腕をつかんだ小さな指は、頼りないのに、気丈であった。

"いいんかよ"

そう気遣った緋咲は、はっきりとした瞳で凛とうなずいた小春の背中をそっと抱き寄せた。そして、そのまま、だらりと垂れていた片腕も添える。

こんなちいさな、ふつうの少女に。
小春の引き締まった心根に、緋咲はときおり、畏怖すら抱く。

緋咲の鍛えられた腰回りに、小春が、きゅっとしがみつく。
まるで、木にしがみつくこどものようで。なんだか自分が幼稚に思えた小春は、そのまま、緋咲の背中に、小さな手を這わせて、あらためてしがみついてみた。

落ち着かない小春を、なだめるように抱きすくめて。緋咲は、小春の厚い前髪にキスをおとした。
その続きをせがんだつもりなんて小春にはなかったけれど。なぜだか背伸びした小春の、かわいい目元、ふっくらとした頬、そして、ぽってりとしたくちびるを、緋咲は優しくつつみあげた。


あれから二人は、緋咲の部屋で、実に思い思いにすごしている。

小春が緋咲にそばにいてほしいときは、緋咲が小春にふれたいとき。
小春が緋咲に寄り添いたいときは、緋咲だってそうなのだ。

緋咲はいつも、ふれるだけのキスを小春にあたえて、小春を、やさしく抱きしめる。

あのとき。

"意外と積極的なんかよ"

そうからかおうとして、緋咲の胸元に立ち尽くしたまましがみついている、小春の小さな手が、ふるえていることに。
胸のなかにおずおずと飛び込んできたその頼りない体のいじらしいあたたかさに。
緋咲は気づいた。
この小さな子をこわがらせないように。
傷つけないように。
すべてかけて守るために。
緋咲は、獰猛な腕で小春を包み込み、片手でつつめるちいさな頭をそっとなでながら、いとおしく抱きしめ続けた。

あのときと今。
小春を抱きしめるときの腕の力は、かわらない。

そのかわり、小春は、あのころより、緋咲のそばでのびのびしている。
今日も、カーペットに腰をおろして、たばこを楽しみ続ける緋咲のそばに、ぴとりとくっついている。
8月もいつのまにか10日近く過ぎて。
テレビをつける習慣もなく、世の中の喧騒を捉える時間には、緋咲は眠っているし。
冷たいアイスティーをのみながら、小春が、この真夏、世の中で起こっている事象について、緋咲に懸命につたえているけれど、緋咲は、何やら一生懸命にしゃべりつづける小春の髪をいとおしく撫でながら、すべての言葉をマイペースに聞き流す。

テレビや新聞で見聞きしたあれこれを、頼まれもせぬのに緋咲に教え続ける行為に飽きた小春が、緋咲にぴとりとよりそった。

読んでいた洋雑誌と、たばこをほうりだして。

緋咲は、おとなしくくっついている小春の体を引き寄せて、正面から、小春を抱え込んだ。

「緋咲さん」
「どーしたよ」
「緋咲さんにこうされると、ほっとします」
「本当か」
「はい。安心します。守られてる気がする」

おれは、おまえを守れているか。

緋咲の自問自答をあっさりと解決した小春が、緋咲に抱かれて、静かに笑った。

真夏の暑気には、ほとほと愛想も尽きた。真夜中すらねっとりと暑いこの夏。体温の高い小春をやけくそのように抱きしめて、その小さな頭にあごをのせてみる。
腕のなかからは、緋咲さん!と叱り飛ばす声がするので、そのあどけない声を、そのあたたかな体を、緋咲は熱く抱きしめた。
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