自分は、どちらかといえば、ドジなタイプではないはずだ。
千歳は、そう自負している。

だけれど、人より無器用で、人よりあらゆるペースは遅いのかもしれない。
たった今、そばを歩いてくれている秀人の足がどんどん速くなる様。
時折、小走りで秀人を追いかけないといけなくなること。

こうした現状を目の当たりにしたとき、千歳は自分のゆったりとしたペースを顧みる。
ドジを踏んではならない。
秀人に迷惑をかけてはならない。
秀人のことを、この足でちゃんと追いかけなければならない。

そうして、気が急いた千歳の足はもつれそうになりながら、秀人を懸命に追う。

単車に向かうとき、秀人の足は、こうして速くなる。

あの美しいな鉄の馬に、秀人はきっと速く会いたいのだ。もしかすると心配なのかもしれない。自分がそばにいないあいだ、あの子になにか起きていないか。

いや、そんなはずはないだろう。
昼も夜も、渋みをたたえた脅威をはなつあの子に、何かが起きるはずはない。

あの白い子に会いたくて、秀人の足は逸っている。
千歳には、そう見える。

バイクに乗っているときも、その足が地面を踏んでいるときも、いつだって秀人は、軽やかだ。
千歳は、どこか鈍重な自分のあしもとをみつめてみる。千歳がバイクに乗せてもらうときは、あまり歩きなれないスニーカーを履くことにしている。なぜだか、つまさきを地面にひっかけてしまうことが多くて、白いスニーカーのつまさきには、数本のキズがはしっている。

そして、案の定。
自分は、ドジではないと思い込んでいるだけで。
一生懸命歩いて秀人の真横に戻ったとき、千歳の不器用な足元は、コンクリートに引っかかった。

小さな悲鳴をあげて、がくんと前のめりになった、千歳のほっそりした体。
このままでは、サブリナパンツからのぞくまっしろの足がが、堅いアスファルトにすれてしまう。

そのとき。


「わっ」

隣を歩いていた秀人の精悍な腕が、千歳の身体の前にまわる。
やわらかい体は、片腕一本で支えられて。

前方にすこしつんのめったまま、千歳の身体がアスファルトに触れることはまぬがれた。

「べ、べたですね」

千歳は、てれくささから、わざと冷静ぶってみる。
秀人の、ソフトだけれど鋭い瞳につらぬかれることも、恥ずかしくて。

秀人は、そのまま、片腕一本で千歳の体を垂直に立たせた。

「ご、ごめんなさい。ありがとうございます」

足早に歩いていた秀人の足は、ぴたりととまった。
そして、千歳の細い肩をつかんで、千歳の身体をぐるりと向き合わせた。

「ひ、秀ちゃん、ごめんなさい、早く行こ……」

戸惑った千歳が、駐車場までの道をゆびさしたとき。
秀人の、Tシャツごしの厚い胸板に、千歳はぎゅっと抱きすくめられた。

「ひ、ひでちゃん」

身長差は10センチ。秀人の胸元にちょうどおさまった千歳は、ばたばたと身じろぎをしてみせる。
千歳の細い背中を抱きすくめた腕は、愛しい力がこめられて。
豊かな黒髪を撫でられたあと、小さな頭を胸元にうずめられ、ほっそりとした腰は秀人に捕らえられてしまう。

「人がみてる、かも」

人前で極端に睦み合うことを避けたがる秀人なのに。
千歳は、秀人に抱きしめられたまま、熱い胸のなかで、抵抗の声をあげる。

「ひでちゃん、ありがとう。ころびそうになっちゃって……」

秀人の胸のなかで、恥ずかしさや照れから、千歳はぺらぺらと弁解を繰り返す。いきなり抱きしめられたまま、千歳は、肩や腕をぎくしゃくとさせて、でも、秀人の力強い腕にだきすくめられたまま。

「千歳、おまえ意外とよゆーあんな?」
「な、ないよ!」
「オレぁよ、おまえが隣でこけるたびによ、肝ひやしてんだぜ」
「そ、そんな、こけるたびって、そこまでころんでましたっけ」
「よゆーかましやがってよ」
「余裕なんか、ありません……」

千歳の頭を胸元におしこめている片手だけ、千歳から離れた。

秀人から少しだけ解放された千歳は、ふわふわの黒髪をますますくしゃくしゃにさせながら、わずかに潤んだ瞳で秀人をみあげた。

「余裕ねえのは、おれだ」

秀人の、少し湿ったくちびるが、千歳のくちびるにかさなる。ピーチの味がするリップグロスはとれかけている。
人前でこうしてむつみ合うことは、いつも避ける秀人なのに。
やさしいキスは、軽く触れあっただけで終わった。

「歩くの、はやかったか?」
「わたしが、おそいだけですし、秀ちゃん、あの子にはやくあいたいんでしょ?」
「あのこ?」
「えっと、バイクに」

小難しそうな飾りがくっついた千歳の繊細なブラウス越しに、ほっそりとした腰を抱いたまま。
秀人が、千歳の愛くるしすぎる言葉に眉をひそめたあと、呆れたようにわらった。

「おまえ連れて、速くどっかいきてーだけだよ」

千歳はけしてドジではない。
ただ、秀人のそばを、懸命に歩いているだけだ。
秀人の速さを、知っていて、秀人の速さに、ときおり追いつきたくなるだけなのだ。

「アイツにのってっとよ、おれとおまえだけでいられっからよ」

千歳の真っ白な手を、秀人の汗ばんだ手がとる。小さな悲鳴をあげて、千歳が引っ張られるように歩き始めた。そしていつしか、秀人の心地よい歩調と、千歳の足元は、なじんでいる。こうしていれば、離れることも、千歳が傷つくこともない。秀人は、千歳のために少し歩調をゆるめて。千歳は、秀人のために、心地よい速さを選んで。
あの美しいバイクは、もう、すぐそこにある。
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