緋咲小説
 ★15000hitプチ企画

15000hitの際、日記でこっそりプチリクエスト企画を行っておりました。

おひとりさまにご参加いただけました。
本当にありがとうございました。

プチ企画にご参加いただいた、凛様の、「緋咲さんの彼女が、ありがちなナンパについて行きそうになる」というリクエストです。

凛様、どうもありがとうございました。


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予定されていたはずの部活が、外部から招へいしている講師の都合で急きょとりやめになった放課後。

小春は、この季節のなか風をさえぎり温度をとりこむブレザーがもたらす熱気に、額に軽く汗を滲ませて、ポケットからとりだしたミニタオルでそれを軽く押さえた。このブレザーを脱ぐにはまだ少しだけ早い季節だ。

そういえば、緋咲のスーツ。小春が誰にも知られないようにこっそりとお付き合いをしているあのひとは、年がら年中あの高級なストライプのスーツ姿。夏だってそうだ。冬だって、スーツ一枚を素肌に纏っている。小春はどちらかというと汗をかきやすい体質だ。緋咲の格好を安易にまねでもしてみれば、汗もにおいも大変なことになるだろう。緋咲は、いつだってひんやりと冷たい質感で、でも小春にとって、あたたかい。あの濃厚なコロンは、何かをかくすためのものではなく、緋咲自身を誇り高く輝かせるためのものだ。
すべてが特別な緋咲とちがって、小春は、こんなブレザー一枚で暑かったり、寒かったり。でも、緋咲は、小春のそんなちっぽけなところも含めて、大切にしてくれている気がする。

それにしたって、あのスーツは、シルクのような手触りで、見た目にも素材にもリッチだ。小春も何度か触らせてもらったことがあるし、着せてもらったこともある。小春の肌をやさしくいたわってくれるようなスーツだった。そして、緋咲の肌のつくりは意外にデリケートで、素材をきちんと選ばなければトラブルが起きてしまうことも小春は知っている。では、強靭なリストや精悍な首筋をかざるあのゴージャスなプラチナのアクセサリーは、緋咲の肌を傷つけないのだろうか。あのアクセサリーも、小春には価値のわからぬような輝きをはなっている。

緋咲の身に着けるものは、小春のなかでいつまでも輝き続ける。
それよりきらきらしているものなんて、小春はひとつもしらない。

緋咲のみせてくれる、緋咲の教えてくれるものを思い出して、分厚いブレザーのなかはますます熱がこもり、頬が真っ赤にそめあがってしまったとき。



独りでとことこと下校していた小春の前にたちはだかった男性のスーツは、緋咲のスーツより光沢が人工的で、緋咲の愛用するアクセサリーより輝きが鈍かった。

妙にかしこまった声で、呼び止められる。
男性は、小春の制服に目をとめて、小春の通学する女子校の名前をあげ、そこの生徒かとたずねてくる。

夕刻の光をはじいててかてかしたスーツと、うさんくさい輝きのふとましいアクセサリーに反して、いやにはりついたような笑顔だ。

こうして至近距離によられるのはこわいから、小春は数歩後ずさり、肩にかけていた通学バッグの持ち手をぎゅっと握りしめた。
眼を合わせたくないから、視線をおとしておずおずとうなずく。
同じ学校の女子生徒たちは、そんなようすを気にも留めずすたすたと歩き去ってゆく。

小春も彼女たちの歩調に合わせて、そのままうつむいて歩き去ろうするも、男性はそのそばをしつこくつきまとってくる。


いわく、三笠公園までの道がわからないというのだ。


小春は、汐入駅に向かう途中。ここから横須賀街道に出てあとは道なりにまっすぐだと説明しても、ひきさがらない。

安っぽいスーツを纏った男性の妙に腰の低い物言いが、小春の罪悪感を刺激する。

良心にまけて立ち止まった小春が、ゆびをさして説明した。

そういえば、そこに、周辺観光地がわかりやすく描かれた看板があったはずだ。
少しみわたせば、あっさりみつかった看板。
小春が、その看板のもとまで男性をみちびく。
小春が行くはずだった駅からだんだん離れてゆく。
そして、小春にとって未知の所に、引きずり込まれてゆく感覚もある。

わかりやすい地図看板を教えてあげても、引き下がってくれない。


ここじゃわからないから、あの車のなかまできて。


いやに丁寧な物腰で、そう押し切られそうになったとき。

小春の脳裏に、思い出したくもない記憶がよみがえりはじめる。緋咲がささえてくれたおかげで乗り越えられたと思っていた記憶。緋咲が、そっと打ち消してくれた不安。小春が切羽詰まった調子で首をふり、足を早めようとすると、分厚いブレザー越しに、小春の手首ががっちり掴まれた。分厚いブレザーでよかった。気持ち悪い感覚をそれが遮断してくれたからだ。

でも、小春のノドは、言葉を声としてうまくつむいでくれない。
小春の身体はすくむばかりで、強く抵抗ができない。


強烈な力に捕らえられて、いいようにもっていかれそうになった、そのとき。


「待てよ」

短い声が、その場の空気を切りさいた。


小春のそばにいきなりあらわれた気配。
力みがぬけていて、洗練された男の人だ。緋咲によく似たストライプのスーツにつつまれたその力強い手が、小春をとらえていた乱暴な手をつかみあげて、小春からひきはなした。
ただ掴み上げただけでダメージをうけたようで、小春を連れてゆこうとした男の声は本性を帯び、だみ声が情けない悲鳴をあげている。

小春を救ってくれたその手は、緋咲にくらべて、少し浅黒い手だった。
彼の手は小春のブレザーごしに、小春の細い手首をやさしくつかんで、自らの後ろに小春のことをおくりこみ、小春をかばいだてる。乱雑につかまれたはずの手首が、彼の手のおかげでブレザー越しにゆっくりと癒えていくようだった。


「あすこ看板あんだろ、てめーでしらべろよ」

理性的に、そしてすごみをきかせて、小春をたすけてくれた青年は、暴力にうったえることを押しとどめながら、小春を連れてゆこうとした男を追い払いにかかっている。

年齢は、きっとそんなに変わらない。肌の質感が若々しいからだ。切れ長の瞳。その、まなじりがすこしさがった目元は、ずいぶんととのっていて、するどい。

聡明そうな額に、リーゼントのさきがはらりとおりている。
サイドがそめあげられた金髪。

すらりと背が高く、そげたような痩せ方だ。

この小春は、緋咲と同じものだ。緋咲のそばでいつもこのかおりにつつまれている小春にはわかる。

そして、緋咲より、使う量に節度があるかもしれない。

そして、なにより、緋咲そっくりのピンストライプのスーツ。緋咲とは違うブランドだけど、緋咲の纏うスーツに近い質感であることがわかった。緋咲より数センチ低いであろう体躯に、それがしっくりとなじんでいる。小春は、その広い背中の後ろで、うまく言葉をつむげないまま、おろおろと事の次第を見守るしかなかった。

小春を連れ去ろうとした男は、小春をかばってくれている青年のすごみある迫力にすっかり気圧され、すごすごとあとずさり、乱暴にクルマの扉をしめて、乱雑な運転ではしりさった。



「あ、ありがとう、ございました……」

小春に向き直ってくれた青年の切れ長の瞳は、なんだかとても穏やかだ。

ちいさな子のめんどうをみることには慣れているのか、まるで小春をこどものように扱い、あたたかく見守ってくれている。

すこしあとずさった小春が、ぺこぺことあやまり、何度もお礼を繰り返す。

二人のあいだは少し距離が生まれている。ふしぎなことに、この青年はそれ以上ちかづいてこない。

「オレん彼女がなー、助けてやれってよ」
解決するまでオマエは隠れてろってゆってあんから。

「この辺、最近あんなナンパ多いらしーぜ?」
怖かっただろー?

そのフレンドリーでやさしい言葉に、小春がおずおずとうなずいていると。

土屋くん!
はっきりとした顔立ちの女子高生が、彼のそばに駆け寄ってくる。セミロングの赤茶けた髪がきれいだ。華やかな雰囲気から一転、話し方はとても気さくで、小春に大丈夫だった?と優しく声をかけてくれる。
おずおずと頷いた小春は、彼女にもお礼をつたえた。

「もーこわくねーか?」

小春の目線までしゃがんだ青年が、小春にまっすぐ目をあわせてやさしくわらってくれる。
きちんと手入れされたストライプのスーツ。
そして、ふわりと漂う香水のにおい、これはやっぱり、緋咲とおなじもの。
そのすがたはどこかキザで、そばにいる彼女に、いいところをみせようとしているのかもしれない。小春は、おずおずと頭をさげるばかりだ。


あっちからかえりな?

小春をまるでおさないこどものように扱ってくれた二人が、小春も重々承知している安全な道を教えてくれた。





「と、いうことが、ありました……」

久方ぶりの緋咲の部屋。
ことの顛末を、緋咲にのんびりと語っているうちに、何かを悟った小春の素直な瞳に、ばつのわるそうな色がみるみるうちに浮かんでくる。
これはもしかすると、緋咲に心配をかけてしまう出来事であったのかもしれない。

そういえば、以前、緋咲の部屋に遊びにゆくときに、似たような出来事が起きた気がするのだ。


「小春、あのな…、何回言ったらわかんだ?」
「に、にかいめ……だと、おもい、ます……」

前も確かにこういうことがあった。
あのときは、革ジャンをまとった背の高い青年に助けてもらった。


緋咲の部屋に訪れたとき、緋咲にしばらく会えなかった間、小春の生活に起こった様々なできごとを報告するのが小春の習慣となっている。
ソファにからだをしずめて、ひどくおだやかな瞳で、いつも小春の話を楽しんでくれる緋咲。緋咲にとって、それは、小春の身の安全の確認や小春に近づく虫の情報をきっちりとかぎとるてがかりにもなるのだ。


たばこのにおい。香水のにおい。
むずかしいかおりの、深い色のお酒。ときどきコーヒー。
そんなものをたのしみながら。


小春は、つい、打ち明けてしまった。

自分におとずれた危機のことを。
自分を助けてくれた、かっこいい青年のことを。


マグカップをごまかすようにもちあげて、もうほとんど残っていないココアを飲んでみるふりをする。
そんなごまかしは緋咲に通用しない。
長身を気だるくしずめていた一人がけのソファから、緋咲がおもむろに立ち上がる。
小春の愛用しているマグカップをとりあげて、テーブルの上にことりと置いた緋咲が、小春と向き合うように、カーペットの上に座った。

クッションをぎゅっと抱え込むことはゆるしてくれるようだ。

緋咲が、小春の大きな瞳をまっすぐみすえて、静かに詰問をはじめた。

「……どんなヤツだった」
「ま、またですね……え、ど、どの人?」
「おまえを助けた男だよ」
「……き、金髪……の、人……」
「またかよ」

地を這うような声。
でも、緋咲の瞳には、小春を真剣に怒るような色は浮かび上がっていない。緋咲に宿るのは、ただただ、小春を心配するさま。
そして、こどもじみた嫉妬の気配だ。

「……や、やせてて……」
「背は」
「せ、背ですか……?背は、たかく、て……あ、でも緋咲さんより低いです……」

緋咲が、これみよがしに鼻をならしてみせた。
身長は緋咲のアイデンティティであるのだろうか。
そんな疑問を思い浮かべた小春が、もっとも覚えている特徴をかたりあかす。

「スーツ……きてた……」
「?スーツ」
「緋咲さんのスーツと、すごくにてた……」
からんできた人のスーツはやすそーだったけど、その人のは……

「緋咲さんに近いブランドかもしれないって思いました!」
「小春も目ぇ肥えやがったな?」
「緋咲さんの持ってるものを、いつも見てるだけです……」

でも、確かに、小春のそばですごしていると、物の価値や良さがなんとなく見分けられるようになったかもしれない。

本物と、そうじゃないもの。

明確な差なんてわからない。
明確な差なんて、ほんのささいなことなのかもしれない。

でも、緋咲を信じてそばにいることで、小春のなかには、本当のものを見分けられる力が育ちつつあるのだ。

「髪型は、こーいう髪型!」
香水も緋咲さんと一緒!!

小春が、自分の豊かな黒髪をつかって、おぼえていたリーゼントを再現する。


ずいぶん見覚えのある髪型だ。


それはもう、いまいましいほどに。


スーツ、香水、小春が語るには、ずいぶん気障な態度。
弱い立場にある女への、過剰に紳士的なふるまい。
軟派に見えて、骨のある態度。
再現された髪型に、りきみのない物言い。


緋咲のことを知る人間と、緋咲の隠し続ける恋人が、どうやらニアミスしてしまったようだ。


「あ、でも、彼女が一緒でしたよ」
横須賀学院の制服の……。髪の毛赤くて似合ってた・・・・・・。


そういえば、あの青年がオレの彼女と呼んだ女子高生。
たしか彼女が小春を救ってくれた人の名字を叫んでいたけれど、小春は結局思い出せなかった。


緋咲にとってずいぶん慣れ親しんだ男には、好きな女がいる。緋咲もうすうす知っていたその情報が、確定的になったこと。それだけでひどくほっとしたことを、緋咲は小春には、教えない。


「緋咲さんは、どうして身長ではりあうんですか?」

立ち上がった緋咲が、小春の背後にすわりこむ。
ベッドの木枠を背にした緋咲が、小春のちいさなからだを、そのまっすぐな疑問の答えをいいかげんにごまかすように抱き込んだ。

素直に抱かれた小春は、諦めず尋ねる。

「緋咲さんよりスタイルがいい人ってなかなかいないですよ?」

小春のフォローを聞き流した緋咲が、小春の髪の毛に高い鼻梁を埋めながら、あぶなっかしさのある彼女にしずかに忠告した。

「いいか、これからよ、そーゆーのぁよ、全部シカトこけ」
「ぜ、ぜんぶ?」
「いい大人がよ、道なんかきかねーんだよ。てめーでしらべりゃいいんだ」
ましてやコドモによ。

そんなにこどもっぽいのだろうか。
小春を助けてくれたスーツの青年も、その恋人も、まるで、まいごのこどものめんどうをみるように小春に接してくれた。
そんな幼い自分をさほどコンプレックスに思っていない小春が、緋咲の箴言にあっさりとうなずいてみせる。

「……そうですよね!」
「どんなまともそーなヤツでもよ、ついていくな。まともなヤツぁよ、中坊にからまねーんだよ、そもそもよ」
「は、はい……わかりました……」
「しらねー男ぁシカトだぞ、いいか、ふくしょーしてみろ」
「ふ、復唱?い、いやです……なんで復唱しなきゃいけないんですか……?」
音楽の先生みたいなこと言う……。

緋咲さんの言うことは、ちゃんとわかってますから!
なぜか得意げに宣言した小春のふかふかの頬をぐにゃぐにゃとひっぱってやると、小春が、キャッキャとよろこんでみせた。

「お母さんにも話したら、お母さんすごく怒って……男は全員カスだって……」
「ああ、そーだろーよ」
「全員なの?」
「そーおもっとくにこしたこたねーんだぜ」
カスもいるからな……。

緋咲は、そんなひとくくりの言葉を、あっさりと一笑に付してしまった。

怒ることも、動揺することもなく、緋咲はそんな言葉をしなやかに受け容れてしまう。

小春を傷つけようとした男をきちんと憎むことができる。
そして、小春を守り続ける男である自分自身を、小春を救える男がいることを、しなやかに認めている。

緋咲は、そんな言葉でくくられぬ自分自身を、ちゃんと確立しているからだ。

そんな緋咲に愛されている小春には、言葉でひとくくりにされない緋咲自身の強さが、きちんとわかるのだ。
そして、そう思わせておけば、緋咲以外の男も、この純粋な恋人からとおざけることができる。緋咲の言ってのけた言葉には、そんな幼い独占欲もにじむ。

「何もなくてよかったぜ?」
「心配かけてごめんなさい…」
「小春ぁ何もしてねーだろ。おまえにんなことするオトコがわりーんだ」

なぜだか切ない気持ちになった小春が、ちいさくうなずいた。

「でも緋咲さんみたいなひともいるし」

緋咲の分厚い胸板にちいさな頭を素直にあずけた小春が、緋咲を見上げてちゃっかりと言ってのけた。

「……あのスーツの人みたいに、やさしい男の人も、いますよね!!」
「忘れろ」
「は?」
「ソイツんことは、わすれろ」
「え、あ、は、はぁ……」
そ、そうですよね、あの人、彼女もいますし!


いいか、忘れろ。
小春があじわった危機をはらってやるように、そして小春を守った男の記憶を、こどもじみた嫉妬でふきけすように、小春の耳元へいやに妖艶な調子で息をふきかける。
身体をすくめた小春が、緋咲の腕のなかで素直なちょうしでうなずいてみせた。その澄んだ笑顔に、もう傷も影もない。安堵した緋咲が、小春のちいさな体を、もう一度強く、抱きしめた。
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