付き合ってもいない男に結婚を申し込まれた。 「一目惚れだった、君しか考えられないんだ」とか言って。 知り合って二ヶ月にも満たない男性から、人生初のプロポーズを体験。 控えめに、だけど確実に、輝く指輪。 初めての経験に、高鳴る胸。 ただ、その高鳴りが恋するときめきだったかと聞かれると、分からない。 ううん、やっぱり分からなくない。 あれはときめきなんかじゃなくて、驚いたからドキドキしただけ。 けれど、結婚への意識がないって言ったら嘘になる。 いつかはしたいとも思ってる。 それに最近、結婚をする友人も徐々に増えてきたし、その“いつか”にはもう差し掛かり始めてるのかも知れない。 そんな年頃。 でも……もしもあの人とこれからも結婚を前提に逢って、過ごす時間が増えれば好きだって思えるようになるのだろうか たんたんと、穏やかに……。 だけど、私が求めてるのは、そんなものじゃなくて―――。 「ふぅ…」 プロポーズをしてくれた男性には「考えさせてください」と言葉を残し、送ってもらうこともなく足早に帰路についた。 家に帰って明かりを点け、ニーハイストッキングだけ洗濯機に放り込んで。 部屋着に着替えることもせずにソファに座った。 自分の重みでソファが沈んでいくのを感じながら、思わず漏れた溜め息。 あー…疲れてる、私。こんなんじゃ、きっと、だめ。 ご飯食べて、数時間一緒に過ごしただけでこんな風になっちゃうのに、本気で結婚なんて考えられるのだろうか……。 とりあえず本当に疲れてしまったから、今日はもう考えるのはやめようと思った。 「…ふ、」 少し自嘲気味に笑い。 テーブルの上に並べられたリモコンに手を伸ばし、DVDの再生ボタンを押した。 夕べの続きから。 画面一杯に広がる、美しく独特で。 何度見ても厭きることなく、私を魅了する世界。 そして、大好きな薬売りさんの姿。 所詮アニメ、かも知れないけど。 容姿が好き。 声が好き。 振る舞いも、口調も、思考も。 言い出したらキリがないほどに。 「薬売りさん…」 好き。 そもそも彼は私の何が良くて、結婚なんて申し込んでくれたんだろう。 だって私のこと何も知らないのに。 こうやって夜な夜なアニメなんか見ちゃってることも。 その上その登場人物が、現実に生きるどんな男性よりも素敵だと思ってることも。 考えるのはやめようと思った矢先だけれど、やっぱり今夜の出来事はインパクトが大きかったせいで。 薬売りさんに意識を傾けながらも、頭から離れなかった。 “考える”なんて言ってきちゃったけど、何を考えたらいいのかも分からない。 まず今後もお付き合いしていけるかどうか。 そしてそのうち、結婚をする。 ああ…でもやっぱりだめ。 考えるだけで労力を使う。 別に彼が変な人って訳じゃない。 むしろ爽やかで仕事のできる今時イケメン。 仕事関係で知り合って…、そういえばモテるって噂も聞いたことがある。 職場の友人にプロポーズを濁してきたことを伝えたら、きっと「もったいない!」とどやされるに違いない。 “ヒロインってば、また…、もう彼氏作る気なんかないんでしょ!” だからいつもこんなふうにからかわれる。 結婚まで飛躍されるのは初めてだったけれど、今までにも好意を抱いてくれる男性はいた。 でもその都度、何かと理由を付け断ってきたから、尚更そんな印象を持たれてしまうことは理解できていた。 作る気がないわけじゃ、ないんだけど……。 ―――誰かを好きになって、想いが通じて、ときめいて。 例えば学生の頃、それはすごく簡単な作業だったように思える。 でもいつの間にかそうじゃなくなってて。 一緒にいて楽しいひとだって確かにいた。 だけど何かが、足りなくて―――。 “真と理、お聞かせ願いたく候” テレビの中の薬売りさんが言った。 やっぱりとびきりかっこいい。 のんびりと薬売りさんを見ながら、色々と考えていたら疲れも相俟って、なんだか眠くなってきてしまい。 シャワーしなきゃと思いつつも、でも明日休みだしまだいいか…という甘い思考も浮上する。 結局、少しだけ眠ってからでも……という考えの方が大きく膨らんできて。 睡魔と、まだ薬売りさんを見ていたい意識と、今日の出来事が混沌とする。 薬売りさんがいたら、今すぐにでもお嫁さんにしてもらいたいのに…。 とりあえず置き薬でも頼んでみて……。 富山に移り住むか…。 あ、眠くて、思考が少し、変に。 でも現実に薬売りさんがいるわけないんだから。 薬売りさんに抱く感情と同じものを感じられるひとに出逢うしか道はない。 だけど結婚まで辿り着くには、相手のことを一から知って。 私のことも少しずつ全部知ってもらって。 うわ。めんどく……。 なんて、だめだめ。 これを億劫だって思ってたら、結婚どころか彼氏も一生できない。 だけど恋って、そんなんでいいのかな。 なんで大人になって、こんなことが分からなくなったんだろう。 ねぇ、薬売りさん。 私に、教えて。 好きって、なに? 恋って、なんだろう? ちりん、と、鈴の音がした。 月夜。 草原。桜。 舞い落ちる花弁。 薬売りさん。 「薬売りさん…?」 目覚めた私は外で、ぺたんと座っていて。 広がるのは、現実のものよりも、雅やかな色使い。 見上げれば、薬売りさんが立っていた。 きっとまだ夢の中。 感覚が妙にリアルだけど。 このリアルさは、毎日DVDを見続けた賜物だろうとも思えた。 「いかにも、私は…薬売り」 「わぁ、薬売りさんだー…!薬売りさん!」 「はいはい、そんなに呼ばずとも…、」 聞こえていますよ、そう言って薬売りさんは、目線を合わせる為にか、しゃがんでくれた。 低くて甘くて、私の心臓をきゅって掴む。 薬売りさんの極上に素敵な声が、脳内に響く。 不思議。 こんなにもリアルに、薬売りさんと見つめ合えるなんて。 でも、夢、だから、全部私の理想というわけで。 気持ちを伝えれば、もっと理想の展開を迎えられるかも知れない。 だって夢なんだから、夢が叶うはず。 だからすぐさま口にした。 「あのね、薬売りさん、聞いてください」 「…はい、はい」 「私薬売りさんが大好きなの、本当に好きなの、だから逢えてすごく嬉しい」 「……ほぉ…」 好きだと言えば、薬売りさんは少しだけ目を見開いて。 でもすぐにいつもの表情に戻って。 片手を伸ばし、私の頬をそっと指で撫でた。 触れられてる…。 やばい、心臓がドキドキしてうるさい。 それにしても本当に感覚がリアルて、この夢優秀すぎる。 「物好きな、お方だ」 「ふふ、物好きなんかじゃないよ、だって薬売りさんはこんなにも素敵、大好き、」 「それはそれは……、だから、あなたは此処に…現れた、と?」 「え?現れたっていうか…、現れてくれたのは薬売りさんでしょ」 「…ふ、……少し、話をしましょうか」 はい、いくらでも、と思わず即答。 あなたとならば何時間でもこうしていられる。 現実に少しだけ疲れてしまった私。 あとどれくらい眠っていられるのだろうか。 今はまだこの夢の中。 薬売りさんの隣にいられる幸せを噛み締めていたいと切に願った 01 ← top ← contents ×
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