朝食の後、薬売りさんは一枚の振り袖を見せてくれた。


煌びやかな刺繍が施されていてすごく素敵。


でも決して派手なわけでもなく、落ち着きもあって。


「きれい…」

「では、ヒロインさん」

「うん?」

「こちらへおいでなさい」


見とれていると、凛と背筋を伸ばし正座をし、振り袖を片手に薬売りさんが手招きをしてくれた。


隣に座り直せば薬売りさんはその振り袖を私に合わせて視界に収めた。


「ふむ…、よくお似合いです」

「え!?もしかして私のなの?」

「はい、今朝あなたが目を覚ます前に調達してきたのですよ」


てっきり売り物にでもするのかと思ったんだけど。


まさか薬売りさんが私の為にこんなに綺麗な振り袖を用意してくれたなんて。


だから朝いなかったんだ…。


これだけでまた目頭が熱くなるよ。


「薬売りさん…こんなに素敵なもの、私が着ていいの?」

「ヒロインさんの為に用意したのですから、着ていただかないと困ります…よ」

「ありがとう…薬売りさん」

「昨夜から言っていますが遠慮はいりませんぜ、俺と共に旅に出る決意もしたんですし…」


やっぱり夢みたい。


でも夢じゃないんだよね。


しかも薬売りさん曰くいきなり現れたなんて、私相当怪しい女でしょ。


薬売りさんだって何も分からなかったはずなのに、よく私のこと受け入れてくれたよね。


おまけに浮かれて話す私の言葉の中から重要なことは拾って。


私という人間をできる限り理解してくれた。


思い返せば薬売りさんにカウンセリングのようなものをしてもらえた気分。


さすが普段から段階を踏んで真と理を聞き出している薬売りさんだね。



自分の身に普通では考えられないような、物凄くありえないことが起こってるのは分かる。


夕べまで暮らしていた世界での私はどうなっちゃってるんだろうとか。


この期に及んで仕事を無断欠勤してしまったことが気になりもするし。


考え出したらきりなくて。


それに何よりも重大なのは、本当に本当に大好きな薬売りさんの所へ来れたこと…。


でも薬売りさんが冷静に受け止めてくれているおかげで、私もひどく取り乱すことはせずに済んだと思う。


本当だったらパニックで失神するレベルだったかも知れないけど。


むしろ私の方が薬売りさんに説明しなきゃいけないこともたくさんあったはずなのに、薬売りさんが落ち着かせてくれた。


大好きだから胸の高鳴りも半端ないけど、同じくらい安心もできるの。


薬売りさん。


やっぱり本当に好きだなぁ…。



「おや…、また泣くんで?」

「だって…薬売りさん、好きです…」

「はいはい、…ではヒロインさん、立てますか」


どうしても泣けてしまいそうなほど好きで。


目の前にいることに改めて感激して。


見つめていたら、そんな私にもきっとすぐに気付いた薬売りさんの唇は緩く弧を描いた。


そうして私の両手をとって、立つように促した。


「ご自分で着られますかな?」

「…あ、そっか…、着られないです」

「やはり…」

「うん?」

「いえね…昨夜のヒロインさんは明らかにこの時代とは違うなりをしていましたから…慣れていないのではないかとも思っていたもので」


その通りです、薬売りさん。


自分で自分の着付けなんてしたことないし。


そもそも振り袖だって成人式以来。


でもせっかく薬売りさんが用意してくれたのに、着れないなんて悲し過ぎるから。


とりあえず試行錯誤してみよう。


「でもがんばってみます、薬売りさん、その振り袖貸してもらってもいい?」

「いや…できないのでしたら、俺がして差し上げますが」

「薬売りさんが!?」

「はい…今更恥じる必要もないでしょう」

「え!?恥じる必要…!?ふふふ、いっぱいあるけど」


薬売りさんは少し意地悪そうに、でもどことなく楽しそうに、恥じる必要はないと言った。


やっぱり夕べ素で過ごしたからこその空気が流れてると思う。


「…ふ、仕方ありませんねぇ…では先にこちらだけ羽織るといい、俺は後ろを向いていますので」

「あ…はい」

「できたら呼んでください、そこから先は俺がしますから」


薬売りさんは私に振り袖の下に着る肌襦袢と腰紐を渡し、背を向け再び正座をした。


すぐそこに薬売りさんがいるのに着替えをするなんて、これも超ドキドキなんだけど。


でも振り袖を着れない方が嫌だから。


着ていた浴衣を静かに脱いで、薬売りさんの言う通りまずは襦袢に袖を通した。


「あの…くすりうりさん…」

「できましたか」

「はい」


腰紐もそれとなく結び呼べば、薬売りさんは目の前まで来てくれた。


「では、よろしいですか」

「はい…お願いします」


薬売りさんはまず振り袖を私の肩に掛けて。


腕を通すと、慣れた手付きで腰紐を結んでから帯を巻いてくれている。


薬売りさんが膝を付いて、私の為にこんなふうに動いてくれているかと思うと…。


ああもう、心臓の音がうるさいよ。


薬売りさんだって絶対気付いてる。


そういえば朝ご飯の前に…キス、のようなものもされそうになったよね。


あのときも心拍がやばかった。


あれは、なんだったんだろう…。


直接聞くのが一番早いんだと思うけど。


そのあとの薬売りさんが拍子抜けするくらい普通だったし、自意識過剰だったら恥ずかしいし。


なんとなく聞くに聞けない。


ああ…どうしよう、あの接近も思い出したら余計ドキドキしてきた。


その時、薬売りさんが不意に私を見上げて、視線が絡まった。


「…ふっ、抱いてくれ、等と容易に口にする割に…」

「!…くすくす、その通りだけどさー…」

「良いのですよ、かまととぶらずとも、ヒロインさんが破廉恥な女であることは昨夜教えていただきましたし」

「やだもう、薬売りさん、忘れて…!」


からかうように言う薬売りさん。


知ってる通りあんまり表情は変わらない、けど。


それでも柔らかな感じは伝わってくるから。


「それにしても、本当に……脱がしてる訳でもあるまいし…」

「ふふ、そうだけど…」

「着せているのだよ」

「だけど緊張しちゃうんだもん」


幸せすぎる。


もしからかわれてるだけだとしても、薬売りさんならそれでも良くて。


こんな幸せ、生まれて初めてなんじゃないかと思ってしまうほどに。




贅沢な身空。




「…はい、できましたよ、ヒロインさん」

「ありがとう…!薬売りさん!」

「やはりよく似合っていますね」

「本当?嬉しい!」

「ヒロインさんも、あちらの鏡で見てみるといい」


薬売りさんに言われて鏡台の前に立ってみれば。


鏡に写るのは、きっとどこから見ても非はなく振り袖を着こなす自分の姿で。


薬売りさんが選んでくれた振り袖は肌の色にとてもよく映えた。


「わーすごい!」

「気に入っていただけましたか」

「うん!すごい嬉しい、…あ!しかも!」


正面からだけじゃなくて後ろも気になったから、後ろ姿を鏡に写し振り向いた。


そうしたら、帯は薬売りさんと同じ結び方になっていることにも気付いて。


「帯!薬売りさんとおんなじだ」

「喜んでいただけたなら、何よりです」

「超かわいー!」


前から見たり後ろを見たり、思わずはしゃいでしまっていた。


薬売りさんはそんな私を穏やかな表情で眺めていた。


目が合うと小さくクスッと笑ったようにも見えたから。


ちょっと恥ずかしくなってきて。


素敵な振り袖にばかり気をとられていたけど、そういえばまだすっぴんだし…。


なんか余計恥ずかしいよ。


「…おや、もうくるくる回らないのですか」

「はい、年甲斐のないことはおしまいにします…、すっぴんなことにも気付きましたし…」

「ふ…そうですか…、」


とりあえず一回落ち着こうと鏡台の前で座った。


すると今度は、後ろで座っていた薬売りさんと鏡の中で目が合う。


鏡の中の薬売りさんは口を開いて。


「ヒロインさん、」

「…うん?」

「化粧…するんでしたら、持ち合わせのもので良ければ、お貸ししますよ」

「薬売りさん持ってるの…?」


私がすっぴんなことも気にするから、気を遣ってくれてるのかな。


首を回して直接薬売りさんを見れば、薬売りさんは立ち上がり。


「はい、売り物もありますし」


傍に置いてあった薬箱から一通りのメイク道具を出してくれた。


ほんと生活に困らないね、助かります。


薬売りさんの前で化粧をするのも恥ずかしいけど、身だしなみ程度にはしておきたい気持ちも。


だからありがたく薬売りさんの好意に甘えた。


幸い薬売りさんもメイクをする私のことはまじまじと眺めることもなく、薬箱に向かい自分のことをしてるみたい。


メイクを終えて、振り袖に合わせ簡単にだけれど髪もまとめた。



「薬売りさん」

「―……」

「薬売りさん…?」


振り向けば薬売りさんは、立ったまま窓の外を見ていた。


見てるっていうか…見据えてるっていうか。


真剣な眼差し。


私の声も耳に入らなかったみたいだから、二回目は少し大きく呼んだ。


「あぁ…はい、…仕度は、できましたか」

「薬売りさん、ありがとう、お待たせしました」


私の声に気付いてこちらを向いた薬売りさんは、もういつも通り。


あ…でも片手に、番頭さんにもらった水仙を持っていて。


「こいつは…どうされますか」

「あ…、…旅の邪魔になるかな…?」

「まぁ…持ち歩き枯らせてしまうならば、活けて行った方が良いとも思いますが…」


番頭さんは、私の潜在意識のせいで、あんな展開になったんだと思ってた。


でも違ってた。


てことは番頭さんも、一目惚れとは言え本当に私のことを考えてくれていたわけで…。


もうこのお宿からも立つだろうから、これ以上関わりも増えないだろうけど。


きちんと挨拶だけはしていこうと思う。


夕べのプロポーズの彼からの指輪も受け取れなかったし、水仙もお宿に置いて行くべきかも知れないね。


「ヒロインさん、」

「ん?」

「二輪ばかりいただいても?」

「…?はい、それは、構いません」

「どうも、……それから、残りですが…」


少しだけ考え込んでしまっていた。


でも薬売りさんの声ですぐに我に返った。


薬売りさんは何に使うのか分からないけれど、水仙を二輪よけてから。


「持っていっても、気を持たせるだけでしょうし…、丁度良い一輪挿しもありますし」


飾り棚に置かれていた一輪挿しへと残りの水仙を活けた。


薬売りさんは今私が考えてたこともきっと理解して言葉を選んでくれてる。


根拠はないけど自然とそんなふうに思えた。


「こうしていくのが…最善かと、」

「うん…そうする」

「それから、あいつと話をするんでしたらしてくるといい、もう出立もしますから俺は外で待っていますので」

「ん…ありがとう、薬売りさん」


やっぱり…私が思ってたこと、全部先に薬売りさんが口にしてくれた。


心がすごくあたたかいよ。


「では、参りましょうか」

「はい…!」


そうして薬売りさんが薬箱を背負って。


そんな背中を真っ直ぐに見つめながら。


初めて二人で過ごした部屋を後にした。




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