騒がしい男は女将に仕事をしろと呼ばれ、渋々部屋から出ていった。


ヒロインは布団の上で未だ、正に夢現といった表情で俺を見つめている。


まぁ…当然と言えば当然であろう。



「消えちまうかとも…思ったのですが、」

「え…?」

「あなたが、俺の前から」


近付き、ヒロインの前でしゃがみ目線を合わせる。


ヒロインは頬を桜色に染め、澄んだ瞳で俺を捕らえたまま。


「くすりうりさん…」

「はい」

「此処は…何処ですか…?」

「俺の居る世界ですよ」


本来、真っ先に出てくるはずであった疑問を、やっと口にした。


夢ではない、と気付き、混乱もしているのであろう。


昨晩よりも少しよそよそしく。


「…だから言ったでしょう」

「うん…?」

「俺は此処に居る、と」


言いながらヒロインの頬に右手を伸ばした。


包むように触れれば、ヒロインの肩は小さく竦んだ 。


「薬売りさん…本当に?」

「はい、…ヒロインさんが此処に居る理由は俺にも分からぬが…」


今日もこのぬくもりは、しっかりと人間のものである。


俺が確認する為に。


そして今日はヒロインにも、俺の存在を認めさせる為に。


触れた頬だが。


ヒロインが今にもとろけちまいそうな顔で、瞳を潤ませるもんだから。


「ヒロインさんが今、夢ではなく、俺と居るのは紛れもない事実」


このまま口付けの一つでもしてみりゃあ、ヒロインはどうなっちまうのか。


ヒロインの示す反応に少しばかり興味が湧いた。


とろける、なんて、不可能なことは当然分かるが。


この女は本当にとろけちまいそうな気さえして。


「えっと…薬売りさん…」

「はい」



夜が明けてもヒロインの存在はなに一つ変わらなかった。



ただ見つめ、幾分か顔を近付けてみる。


惹き付けられるような感覚もあり。


その行動は完全に思考とは伴っていないような気もした。


だが大した問題ではないようにも思えた。


ヒロインも微妙な距離の変化を感じたらしく、何か言いたげな顔をしている。


しかしそれを言葉にする意志はないのか、はたまたできぬのか。


更に近付き、あと僅かで触れる―――。




「ヒロインさん!!!」

「!!!!」


そんな中、再び響き渡った騒がしい男の声。


ヒロインの肩が大きく跳ね、自然と俺の手もヒロインの頬から離れた。


「番頭さん!びっくりしたー…!」

「朝食を持って参った!先に布団を片付けちまうから待っててくれ!」


男はもう一度ズカズカと部屋へ入ってきた。


ヒロインは本当に驚いた様子で胸の間に手をやり押さえている。


が、驚いたのは番頭に、か。


それとも俺の行為に…か。


ヒロインへと視線を戻せば目が合い、相変わらず頬を火照らせたまま。


「…ヒロインさん」

「え…え…?はい…」

「布団を片付けるのなら、退いた方が良いかも知れませんね」

「あ…はい」


先に立ち上がりヒロインへと手を差し出す。


ヒロインは遠慮がちに手のひらを重ねた。


…この光景と似たものは昨夜も見ている、と微かに思う。


昨夜。


そういやヒロインと出逢いまだ一日も経っていないのだな。


だが不思議なことに、俺はこの女のことを既によく知っているような心地がする。



「おのれ…!!」

「なんだ」

「俺の前でヒロインさんと馴れ馴れしくしやがって…!そもそも夫婦でもない男女がそのようなことを…!!」


使わなかった布団を片付け終えたらしい男が獣のような目付きでこちらを睨み付けた。


そうして俺とヒロインの間を目掛けて突進してきた。


おそらく間に割って入り、手と手を離させたかったのだと思うが。


「おっと」

「わ、…ふふふ」


ヒロインの手を引き、ヒロインごと寄せて避けた。


男は更に怒り心頭のようだが、知ったこっちゃない。


「っ…!ふざけやがって!」

「あんたこそ仕事をしたらどうだ」

「くすくす、番頭さん、朝ご飯食べたいです」

「ぐ…!ヒロインさんがそう言うなら…」


俺と男のやり取りを見て、柔らかな表情も取り戻したヒロイン。


ヒロインが言えば男は俺に絡むのを止め、素直にもう一組の布団も片付け始めた。


「あ、でも薬売りさん、ご飯の前に着替えた方がいいかな、このままじゃお行儀悪い?」

「いや、そのままでも構いませんぜ」

「いいの?」

「はい、食後着付け致しましょう」

「え?着付けって…?」


――昨夜、ヒロインが眠ってから考えた。


もしも翌朝、消えることなく姿を成したなら。


興味本意とはいえ、連れて来ちまった責任はある。


帰る場所を持たぬ女を、置き去りにしても良いものか、と。



「まぁ…今後の話は、飯を食いらながらでも…」

「うん?」

「ヒロインさん!お待ちかねの朝食だ、…あと、それから、」


ヒロインは不思議そうに首を傾げ、俺を見つめていた。


が、その時不意にヒロインの前に差し出されたものに無意識に視線は奪われたようだ。


自然と手と手も離れていった。


雰囲気が変わり、唇に触れてみるなんていう考えも嘘だったかのように消え去った。



「今朝、庭で綺麗に咲いたんだ、真っ先にヒロインさんが浮かんで…贈りたくなった」


男の手には黄色い水仙の花が数本。


「…えっと、ありがとう、ございます」

「いや、なんというか…夕べは唐突にすまなかったと思っている」

「…はい」

「一晩冷静に考えようとも思った、しかし今朝も気持ちは変わらずに…、俺は直感を信じたい」


それから男は半ば押し付けるようにヒロインに水仙を渡し、部屋を出ていった。


水仙を片手にしばし呆然とするヒロイン。


俺からすれば、ただの茶番であるが…。



「ヒロインさん、冷めちまうよ」

「ぁ…!はい」


男が並べていった膳の前で先に正座をし、ヒロインに声を掛ければ。


ヒロインはハッとしたように顔を向け、若干そわそわと俺の向かいに座った。


だがすぐには食べ始めず、箸を口に運ぶ俺をまたも見つめている。


「どうしました?」

「あ…薬売りさんもご飯食べるんですね」

「食いますよ、人間ですからね」

「ふ、そっか、そうですよね」


どうやら食事をする俺が珍しかったようだ。


「食べる姿もお綺麗ですね」

「そりゃあ、どうも」

「ふふ、はい」


そうしてヒロインも手を合わせ、食事を口に運んだ。


するとヒロインの頬は軽く緩んだ。


きっとこの飯が口に合ったのであろう。


「おいしい…」

「眠気も感じるようですし、空腹も感じるのであろう、五感もしっかりしている」

「…私?」

「はい、ヒロインさん」


寝起きの頃の混乱も少しずつ落ち着いて来たのだろうか。


今朝になって現れた俺へのよそよそしさも解消されつつある。


「おなか…うん、空いてた、ていうか薬売りさん…私…モノノ怪とかじゃないよね…?」

「当然です、…自分がこの世ならざるものだとでも?」

「だって夢でもないのに、本物の薬売りさんに逢えるなんて…」

「もしもあなたがモノノ怪や怪だったなら、まず真っ先に俺やアイツが気が付かなければおかしいでしょう」


言いながら薬箱へと視線を流せば。


ヒロインも釣られたように見て、おそらく俺と同様脳内では剣を描いているに違いない。


「そうだよね」と言い、自分が魂と身体を伴う生身の人間であるということは納得したようだ。


「てことはさ、私急に薬売りさんの前に現れたの…?」

「そうですよ」

「わーそれすごくない!?でもそれにしては薬売りさん、全然びっくりしなかったよね」

「いえいえ、驚いていましたよ」

「本当?」

「目玉が飛び出るかと、」

「あはは、うそ、超冷静だったじゃん」


朗らかな笑い声。


やっと完全に昨夜のような振る舞いも垣間見えてきた。


「私ずっと夢だと思ってたんだけど…」

「そのようですね」

「薬売りさん気付いてたの?」

「ヒロインさんの言葉の端々から、感じることはできましたから」

「そうだったんだ…、じゃああんな私の話から色々理解してくれたの?私が薬売りさんを知ってる理由とか、」

「おおよそは」


飯を食いつつも、ヒロインの中で流れる速度に合わせ、現状の確認をしていった。


まぁ…何がなんでも認めざるを得ない状況でもあろう。


ヒロインもその一つ一つを受け入れ理解していこうとしているようだった。


が、その時はたとヒロインの動きが止まり。


眉を下げ、とてつもなく不安そうな表情で俺を見た。


「薬売りさん、どうしよう…!」

「うん…?どうしたんで?」

「私ただの変な女だったでしょ!?よりによって大好きな薬売りさん相手に…」


なるほど。


おそらく夢だと思わなければ、ヒロインはあのように自分を曝け出さなかったということか…。


少しは気取るつもりもあったのかも知れんな。


「好きとか!抱かれたいとか!いきなりすっぴんも本音も晒して…!」

「あぁ…おまけに夜泣きもしていましたし」

「夜泣き…!!うん、泣いたね、恥ずかしい!ごめんね、薬売りさん」

「ふ、良いではないですか、恥じる必要等ない、それがヒロインさんなのでしょう?」

「ん、そうだけど…」

「それにヒロインさんが億劫だと言っていた“相手に自分のことを知ってもらう”という行程…、」

「は…!一晩で達成です」

「案外簡単なことのようだ」

「あー…ふふ、でもそれは薬売りさんだからだよー!薬売りさんに安心しすぎた」

「俺でなくともそのようにすれば良いのですよ」


するとヒロインの笑みに少し影が落ちた。


今のは、完全に無意識だったのだが。


ヒロインにとったら、突き放すような台詞になっちまったことに気付く。


しかしヒロインはこれ以上このことについて口にするつもりはないらしく。


一瞬微妙な間が流れた。


いくらヒロインが俺を知っていて、ヒロインも一晩で素を出したからと言って、俺とヒロインの間に距離があることは明確。


そもそも俺は、自分の領域に他人を踏み込ませるような真似をしたことなど、かつてない。


「…ヒロインさんは、この先どうしたい」

「この先?」

「当然、帰らねばならぬ世界もある」

「あ…」


再びヒロインの箸が止まる。


何を見るでもなく、視線はぼんやりと宙を仰いだ。


「帰る……なんかピンと来ないなぁ…」

「まぁ突如起こったことのようですし…実感が湧かぬのも仕方ないとは思いますが」

「うん…」

「帰り方も、模索していく他に術はない」


頭では色々と考えているのだろうが、やはりヒロインはそれを言葉にすることはせずに。


ただ小さく頷いた。


それから先程あの男から受け取り自らの脇に置いておいた水仙を、僅かに視界に入れた。


「気になりますか…?」

「ん?」

「いえね…此処に残るという選択肢もあるのではないかと思うのですよ」

「え…?此処?」


連れていく選択をするにしろ、ヒロインの意志がなけりゃ始まらん。


それに連れていくとなりゃあ、いつか危険と隣り合わせな状況に陥ることは目に見えていて。


「ここって、このお宿に?」

「都合よくあなたに惚れてる男もいる、帰るまでの間食うに困ることもないだろう」


その点此処に残れば、俺と居るよりも安全だと確実に言える。


ヒロインの中に少しでも迷いがあるのなら連れていくべきではない。



しかし、それでも。


ヒロインを突き放すつもりで言っているわけではなく。



一晩考えた。


そして共に過ごす腹は括っていた。


大方ヒロインならばそれを望むだろうとも思っていた。



「薬売りさん、」

「はい」


ヒロインの汚れなき瞳。


真剣な視線を注がれる。


「もし…迷惑じゃなければ一緒に連れて行ってほしい…です」

「ただ俺の旅は普通ではない」

「知ってます」


口調にも一切の迷いは見えず。


ヒロインの心に在る考えが一つだということを物語っている。


「守ってやれる保証もない」

「分かってる、でも薬売りさんの傍じゃなきゃ意味がないの」



やはり、予想通りの答えである。





共に過ごす決意を。




さあ…どうなることやら。




06

<< 7 >>



topcontents