「見て、薬売りさん、このお部屋からスイーツが頼めるのかな」 「ではヒロインさん、何か頼みましょうか」 「いいの?」 「もちろん」 「わーい、やった」 今宵過ごす宿屋。 部屋へと通され、まずヒロインの意識を奪ったのは一枚の紙切れ。 甘味の書かれた品書きのようで。 「あんみつ、ぜんざい、わらび餅、お団子…」 「悩んでいるのですか」 「うん、だってどれもおいしそうなんだもん」 「全て頼めばいいじゃありませんか」 「ふふ、それはさすがに食べきれない」 全て頼んでやることは、容易なのだが。 そういうわけにもいかんらしく、ヒロインは未だに品書きと向き合っている。 俺はそんなヒロインを眺めつつ。 穏やかな胸中を感じていた。 しかし、その時。 「っ、いた」 「ヒロインさん、どうされました」 「あ…、なんか紙で切っちゃったみたい」 言いながらヒロインは人差し指の先を俺に見せた。 覗き込めば、ヒロインの言葉通り、小さな傷跡。 「痛みますかな」 「こういうのって小さい癖に地味に痛いよね」 「痛み、ますか…」 「ん、でも全然大丈夫」 ヒロインに傷が付くことは、例え小さかろうと、厭なものである。 が、大したことのない傷。 にっこりとしたヒロインの笑み。 安堵したのも確かで。 「気を付けなければ駄目ですよ、あなたひとりのからだでは、ないのですから」 「え!ふふ、薬売りさん、私別に身籠ってないでしょ」 「ええ、ですが、あなたは俺のものでもありますから」 「あー…くすくす、そっか、そだよね、気を付ける」 「はい」 「じゃあさ、薬売りさん、なんか絆創膏的なもの…」 ヒロインの手を自分の手に乗せ、傷口を見つつしばし眺めていた。 どうしてこうも、より深く触れたくなる形を成しているのだろうか。 故に少しだけ、悪戯心が反応しちまって。 「―――こんなもの、」 「あはは、あんなに心配そうな顔してくれてたのに、今度はこんなもの扱いー?」 「舐めときゃ、治りますよ」 「え?…ぁっ、」 ヒロインは何か薬を所望しているようだったが、無視をし。 そのままヒロインの手を優しく握り、口許へ近付け。 傷の付いた指の先に舌を這わせた。 「薬売りさん…、やぁだ」 「どうして?」 「薬売りさん、薬売りなんだから、お薬で治してよ」 「これが、ヒロインさんには一番効くと、思うのですがね…」 「えー、でも…、ふふふ、薬売りさんがお仕事してくれない」 指の付け根の方へも、わざといやらしく舌で辿り。 慈しみを込め、唇でヒロインの指を食っちまうようになぞる。 ヒロインの澄んだ瞳から目を逸らすことなく。 さすればヒロインの面持ちも、徐々に艶めいたものになってきて。 「すぐに治りますよ」 「ん……、“効かぬは貴様の信心が足りぬからだ”?」 「はい、その通り、」 ヒロインの反応に。 思わず少しだけ、このままヒロインを乱しちまいたい気持ちが芽生えたりもした。 が、そこまで青くさいわけでもないと、自覚しているつもりであった。 とりあえず今は、最後にもう一度、傷跡に軽く口付けをして。 ヒロインの手を離し、薬箱へと向き直った。 今度こそ本当の手当てをするものを漁り始める。 「さすがは俺のヒロインさん、よく心得ている」 ヒロインに背を向ける形。 しかしヒロインの中でも、今の行為は中途半端な刺激になったであろうから。 ヒロインの出方が見ものでもある。 我慢するにせよ。 我慢できずに甘えてくるにせよ。 どちらにしろ、ヒロインが愛らしいことに変わりはないであろうから。 俺にとっちゃあ、どちらのヒロインの相手をすることも好都合。 今はただ、背に受ける、熱を孕んだ視線。 だが、おそらく、ヒロインは―――。 「薬売りさん…」 「はい…、どうしました、ヒロインさん」 おもむろに、ヒロインが近付いてくる気配。 そうして俺の後ろに座り直し。 「もっと、して…?」 若干弱々しく、俺を試すような台詞が、背後から掛けられ耳に籠る。 やはり。 ヒロインが望むは、俺に触れられることであった。 俺自身は、ヒロインの反応さえ弄ぶことができたら、それで良かったのだが。 そのヒロインの声に、一瞬にして、先程芽生えた気持ちが輪郭を増し。 このまま望み通りにしてやりたくもなっちまって。 やれやれ…この女と居ると俺は、まだまだ未熟のようだ。 だが、俺を欲するヒロインを楽しむ為に、今しばらくしらを切ることにする。 「…“もっと”、とは…?」 「んー…薬売りさんの治療」 「ふ、ヒロインさん、俺の生業は薬売りであって…医者ではないのだよ」 一瞬の間。 ヒロインの返事はないが。 潤んだ瞳で俺を見つめているであろうことが、振り向かずとも分かった。 「おふざけはやめにして、今きちんと薬を用意しますから、」 「でも…私に一番効くのは、」 薬売りさんなんだよ、と、ヒロインの声が。 先程よりも更に耳に近い所で、俺を誘って。 おまけにうなじに、あたたかい唇が触れ。 「…甘味は頼まなくても、よろしいんで?」 「ん…だって、それより薬売りさんのがいい」 振り向かざるを得ず。 目が合えばヒロインは、今度は寄り添うように、俺にからだを預けた。 「…俺は甘味のように甘くはないですぜ」 「くすくす、良薬口に苦し、でしょ?」 「忠言耳に逆らう…、ですな、」 「ふふ、私、薬売りさんに逆らってる?」 「薬を用意すると、言っているじゃありませんか」 この際、抑えが利かなくなっちまうのは、仕方のないことであろう。 ヒロインの顎に人差し指を添え、つと顔を少し上に向かせ。 薬、自ら言っているにも関わらず。 その言の葉は一旦破棄し、ヒロインの唇に唇を重ねた。 ヒロインは瞼を落とし、既に俺に身を委ねる体勢。 触れるだけの口付けを繰り返し、そのうちに優しくゆっくりと舌で唇を割っていった。 「んぅ…、ふっ……」 心地よく絡まる舌、だんだんと上がっていくヒロインの息。 思わず漏れる喘ぎに酔いしれる。 「はぁ…、やっぱりうそ、薬売りさん、あまい」 「困ったものです…、あなたには、どうしてもこうなっちまう」 「ふふ…うん、大好き、薬売りさん」 ヒロインの腕が、俺の首に回されて。 ヒロインが自ら床に背を付けたのか、それとも俺が押し倒したのか。 曖昧だが、そんなことはどうでもよく。 もう一度口付けをしながら、崩れるように重なった。 「薬売りさん…」 「はい、」 今度は顎や首筋にも口付けをしつつ。 衣服の擦れ合う音が浮かび上がる。 ヒロインの着物の襟を乱し、そこへも唇の跡を残そうとしている時だった。 吐息混じりのヒロインの声が俺を呼び。 見つめれば、愛に満ちた視線が返ってきて。 「ほんとにね、もう痛くないよ、治った」 「ヒロイン…」 あまりにも柔らかく、綺麗に微笑むもんだから。 目眩がしちまいそうな程のいとおしさに襲われた。 口付けや、この行為が、傷に効くわけないであろう。 なんて言っちまえば、元も子もない。 俺の生業など、そのようなもんだ。 ヒロインと居れば、俺の平常心は何度も壊される。 が、余裕な振りをして、少々口角を吊り上げ問えば。 「ふっ…では、もう、止めに…しますか」 「でも、やだ、やめないで…」 ヒロインは一層縋ってきて。 どうやら手当てはまだまだしてやれそうにない。 ―――情事の後。 眠っちまったヒロインの髪を撫で。 先刻開け放しで、放置したままになっちまった薬箱の引き出しの中から、必要なものを用意した。 それから、小さな小さな傷跡に。 消毒をし、軟膏を塗り。 ヒロインの華奢な指先に合う包帯を丁寧に巻いてから。 宿の者に、全ての甘味をいつでも持って来られるよう準備しておくことを、申し付けておいた。 目を覚まし、それらに気付いたヒロインは、きっと。 また満面の笑みで、俺を満たしてくれるであろう。 確かに薬売りこそ生業 ← top ← contents ×
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